2013年5月18日

最期の日のマリー・アントワネット ハプスブルク家の連続悲劇


新刊のお知らせです。
タイトルは写真でご覧の通り
「最期の日のマリー・アントワネット ハプスブルク家の連続悲劇」
                講談社+α文庫

ヨーロッパの歴史に多くの痕跡を残し、
今なおオーラを放っているハプスブルク家。
長い歴史を誇るこの名門を、
いつかの日にか本にしたいと思っていました。
それが今回実現し、とても嬉しいです。

ハプスブルク家は、結婚政策により国土と勢力を広げ、
ヨーロッパに大帝国を築き、
700年もの間君臨していました。
そのために、歴史に刻んだ栄華は数知れないほど多い。

けれども、悲劇が何度も襲ったのも事実です。
ハプスブルク家の長い歴史を紐解いていくと、
世界を驚愕に陥れた悲惨な出来事は、
不思議なことにマリー・アントワネット以降に連続的に起きているのです。

そこに焦点を合わせて書いたのがこの本で、
5つの章に分かれています。

  最期の日のマリー・アントワネット
  メキシコに散った若きマクシミリアン
  ルドルフ皇太子の悲惨な情死
  レマン湖のほとりで終焉を迎えたシシー
  サラエヴォに轟いた銃声 フランツ・フェルディナント大公夫妻暗殺

難しい表現を避け、気軽に読める文体で書きました。
たくさんの方々に読んでいただけたら、
とても、とても、とても幸せです。
 

2013年5月13日

ジャンヌ・ダルクの祝日

国王シャルル7世の
戴冠式のジャンヌ・ダルク。
彼女の肖像画というより、
画家アングルの想像作品。

イギリスに占拠されていたフランスを
救った少女として、
世界中で名高いジャンヌ・ダルク。

聖女にまで昇進した彼女の銅像は、
パリにいくつもあるけれど、
サン・トーギュスタン教会前とチュイルリー公園近くの騎馬像は、
見るからに雄々しく大人気。

5月12日午後、
このふたつの銅像をつなぐ路上で、
ジャンヌ・ダルクの行進があり、
パリ市民もツーリストも大喜び。

行進の先頭を行くジャンヌ・ダルク

考えてみると5月は彼女の記念日が多い。

1429年5月8日
イギリスに占領されていた町オルレアンを、激戦の末、開放。

1430年5月23日
パリの北、コンピエーニュの森で、
イギリスと手を組んでいた敵、
ブルゴーニュ軍に捕らえられる。

5月30日
宗教裁判の結果、
魔女の汚名をきせられ19歳で火刑。
聖女ジャンヌ・ダルクへのオマージュの
長い行列が続く

1920年5月16日
ローマ教皇ベネディクトゥス15世により聖女となる。

と、これだけ揃えば、
5月はジャンヌ・ダルクの月とさえ言える。
だから、行事があっても不思議ではない。
実は彼女が聖人に列せられた1920年に
5月第二日曜日をジャンヌ・ダルクの祝日、
別名、愛国心の祝日と決めたのです。
そのために、フランス各地で様々なイベントがあるのです。

勿論、愛国心の固まりの
ベテランも登場
何か変わったことがあると、すぐに夢中になる私。
 なので、もちろん、
心躍らせながら見物に。
ジャンヌ・ダルクの生家や、
彼女が通っていた教会を訪問したこともあるだけに、
無関心でいるわけにはいかない。
目的地はもちろん行進の出発点のサン・トーギュスタン教会。

目の前に見える馬上のジャンヌ・ダルクは、実にりりしい。
本物でないことを充分承知しているのに、
甲冑に身を固め、武装した多数の兵士に囲まれている姿を見ると、
これが奇跡の少女か、
と感激してしまうのだから不思議。

終着はチュイルリー公園近くの
ジャンヌ・ダルク像。
そこで聖女ジャンヌ・ダルクと
愛国心に関して長い演説。
彼女と共に戦った兵士たちも、国王から授かった旗を振りかざしながら、立派な武装姿で先頭を行くジャンヌ・ダルクに、戦闘心を掻き立てられたのに違いない。
もし、彼女がみすぼらしい身支度だったら、
そうはいかなかったと思う。

ジャンヌ・ダルクを駆り立てたのは純な愛国心。
だから彼女の祝日には、愛国心を盛り上げようとフランスの国旗が華々しく飾られる。
赤、白、青の三色旗は、見れば見るほど美しい。

特に5月の晴天の日にはそれが青空に映え、
誰もが愛国者になりそう。
とは言うものの、このところ経済が下降線をたどる一方のフランス。外国移住の若者が急増しているのが事実。人気の国はイギリス、スイス、カナダ、ドイツだと統計が語る。

5月12日の祭典によって、何か変化が起きるのかしら?
いろいろとあるけれど、
私にはパリが一番合っている、
と再認識したジャンヌ・ダルクの祝日でした。

2013年5月7日

やっと春


5月になっても暖房が必要な寒いパリ。
これはやはり異常。

気が乗らないから外出も控えめ。
そのために商店の売り上げが
大幅におちているそう。




でも、やっと春の気配。
公園にたくさんの人々。
ハトもたくさん。
お花もたくさん。

撮りたてのお写真です。



2013年5月6日

シャトレのつぶやき 69 思い出のアルバム11


春、でもすごく寒い

5月になったのに、
今でも暖房を入れていると
ママンは毎日ブツブツ。
「とうとう地球はくるったのね。
でも、ほかにいくところもないし・・・
だからこのまま暮すしかな~い」
と、どうでもいいことばかりいっている。



ワタシはそんなことより、
まず、かんさつ
このタワーの使いかたをマスターしたいの。
エッフェルタワーより低いけれど、
少しでも高いほうがいいもん。
ざっしの写真でみると、
ネコ族がいかにも幸せそうにすわったり、
ねむったり。

で、ワタシもトライしたいけれど、
どうもしんぱい。

まず用心してタワーをカンサツ。
そのあと筒のなかにおそるおそるはいってみる。
ためしに入ってみる。 
変なきぶんでイヤッ!
 
でも、どういうわけかすご~く狭い。

だから居心地がワルイ。
すご~くワルイ。

なので、これはすぐにやめて、
タワーの一階にのぼってみる。
するとなんと、
ママンが大切にしている木が目の前に見えるではないの。

それで一枚、また一枚とたべる。
さいきん野菜がふそくしているから
ちょうどいい。ムシャムシャ。

はっぱをたべるのにちょうどいい
「な、な、何しているの!!」
いつもの悲鳴がひびく。
あの人の声はとにかく大きいの。

ナニって、見ればわかるのにね。
でも、もう葉っぱはほとんど食べてあまり残っていない。
枝だけじゃ、みる気にもならない。

アー、それにしても、今日はいろいろあってつかれた。
心も体もつかれた。
だからその場にすわって、いつの間にかス~ヤスヤ。

それを見て
「あーら、やっとタワーの使い方
がわかったのね。
苦労して組み立てたかいがあるわ」
ここがいい。


ママンはごきげん。
ワタシもごきげん。

春の、あるしあわせな日のことでした。


2013年5月3日

東北スクールの大きな願い


東北スクールの
イヴェントプロジェクト発表
パリOECD本部で。
左から生徒リーダー、
福島大学教授、吉川OECD日本大使、
OECD事務総長教育顧問、司会者。


巨大地震、巨大津波、
そして巨大な原発事故。
世界を驚愕の渦に巻き込んだ2011年3月の東日本大災害は、
世の中がいかに変化しようとも、
決して消えることなく、
歴史の中に生き続けていくことでしょう。

前代未聞の大災害にあったにもかかわらず、被災地の方々の、沈着で、控えめとさえいえる態度は、世界の多くの人々の感動を呼びました。

それは同時に教訓でもありました。
同じ地球上で、
同じ時期に生きている人類の中に、
このような人々もいるのだと、
2014年8月のパリでの
イヴェントプロジェクトのいくつかを
スクリーンで紹介

日本人の気高い精神性に、
世は驚き、感激したのです。

大災害の一ヵ月後に日本を訪問した
アンヘル・グリアOECD事務総長は、
荒野のようになってしまった地域に
心を動かされ、復興のための支援を確約しました。
その一環として立ち上げたのが
「東北スクール」

この画期的な企画を、
伊達市の中学生が共同開発した
ゼリー。
イヴェントで販売する予定の製品のひとつ
吉川元偉OECD日本大使が
情熱を込めて支援しています。

福島、宮城、岩手の被災地の
中学生と高校生、
約100人で形成されるこのスクールの目的は、OECD本部があるパリで、
2014年8月に東北の復興の状況を知らせ、
東北特有の魅力をアピールする数々のイヴェントを企画し、実現すること。

公共機関や財団、民間企業などが支援しアドヴァイスをしますが、
イニシアティヴをとるのは生徒たち。
資金集め、多種多様なプロジェクト、その実現を生徒たちが一致団結して行い、
生徒たちの全面的信頼を
受けている
吉川元偉OECD日本大使
東北地方は
これほどのダメージを受けたけれど、
それに負けない精神力も才知もあることを、
パリから発信するのです。

これからの世を担う若者たち。
彼ら自身が未来を作るエネルギーの発光体なのです。

5月2日、パリのOECD本部に東北スクールの16人の生徒代表が集まり、
2014年8月末のパリでのイヴェントのプレゼンテーションをしました。
14歳から16歳の若い彼らの、清く、力強い意志に、日本の明るい将来を見る思いでした。

2013年5月1日

女王退位と新国王即位


4月30日に女王が退位し、新国王が即位したオランダは、ここ数日間、世界の視線をひとり占め。特に日本は、皇太子妃雅子さまが参列なさったので、さぞかし大きな話題になっていることでしょう。

1609年から日本とオランダには通商関係があり、鎖国時代でさえも途切れることがなかった両国。今回の皇太子ご夫妻揃っての国王即位式参列により、友好関係がさらに深まることは確実。どの国でも、王族が果たす外交の強さは格別です。

私個人としていは、今回の公式訪問により、雅子さまの健康が急テンポで回復に向うことを願っているし、その可能性が大きいように思えます。皇太子妃の写真を拝見している限りでは、水を得た魚のようにハツラツとしていて、彼女に必要なことが何であるかわかるような気もします。

王家の重要な行事があると、大騒ぎしてテレビで実況中継をするフランス。今回もあらゆるメディアが特集。何度もブログに書きましたが、王侯貴族の華やぎに満ちた時代に、
スランス人はいつまでもノスタルジーを抱いているのです。家具にしても、今でもルイ16世様式がもっとも人気があるのは、その目に見える証拠のひとつ。

オランダ新国王ウィレム・アレクサンダーは、どちらかというとおとなしい性格。それを補うかのように、アルゼンチン出身のマキシマ妃は、明るく、活動的、その上頭脳明晰で語学堪能。オランダ語も数ヶ月でマスターし、国民の心をたちまち捕らえたほど。オランダ行きを迷っていらした雅子さまに、直接お電話でお誘いしたとのことで、その機転も行動力も、現代のオランダを代表する王妃にふさわしい。

若い国王夫妻が誕生し、オランダの王室が、ひいては国自体が新時代を迎えたことを世界はしっかりと感じています。時代は刻々と、しかも加速度的に変化している。それを感じられることは、国民にとって糧であり活力であり、将来への期待、希望にも繋がると思う。もちろん、外国への強力なアピールとなり関心度も増す。

こうした世の動きを知るにつけ、日本の皇室の変化はいつ起きるのかと、フランス人の友人の質問はしつこいくらい。オランダ国王即位に雅子さまが参列なさったことは、フランスのメディアも報道。今回の久々の海外公式行事参列が、プリンセス・マサコに良い結果をもたらせることを願っている、との解説が圧倒的に多い。このように、世界は日本の皇室の動きに注目しているのです。

女王が三代続き、162年ぶりに国王を迎えたオランダ。伝統と近代性の両面を持つ、21世紀にふさわしい王室を目指すと新国王のお言葉。46歳になったばかりのヨーロッパでもっとも若い国王と41歳の王妃のもとで、オランダは、今、大きな変貌を遂げようとしているのです。それがパリまで伝わってきます。