2013年6月30日

ホテル・ル・ブリストルのガーデンパーティー

カルティエの豪華な一日で、
まだ夢の中を彷徨っているような翌日、
パラスホテルとして名高いル・ブリストルでガーデンパーティー。

パラスホテル、ル・ブリストルでのガーデンパーティー

ホテルの広々とした中庭の入り口近くでは、ミュージシャンが
絶え間なくクラシックを奏で、
色鮮やかな花があちらこちらで可憐な姿を見せている。
まるでユートピアに迷い込んだみたい。

クラシックが高貴な庭園にぴったり

いくつもあるビュッフェから
舞い上げる香りは、
3つ星レストランのシェフ、
エリック・フレションのプロデュース。
しかも種類が豊富。
これほど上質なビュッフェは、パリでも稀。
食べやすい大きさのどのお料理も、
生きていて良かったとつぶやかせるほど。

誰もが着飾っているので、雰囲気も抜群。
昔の有力な貴族の大邸宅を改造して
ホテルになったル・ブリストルにふさわしいガーデンパーティー。

日本女性5人集まって注目の的?!
右から本間恵子さん、鈴木東子さん、
ワタシ、高橋木綿子さん、粟野真理子さん
パリの奥深さ体感の貴重な日が続いて、
現実の生活にもどるときが怖ろしい。
などどいわずに、その日その日を最大に楽しみましょう。

7月1日からはオートクチュールのコレクション発表。
それにあわせて
高級宝飾店もこぞって新作発表。

あれこれ顔を出す予定なので、地上に足をおろす暇もない。
それにしても、
やはりパリに暮しているのは、
とてもいいことです。
何しろ毎日が刺激の連続なのだから。

お花はきれいだし、お料理は美味ばかりだし
ギャルソンもナイス。いいものばかりで最高にハッピー。

2013年6月29日

カルティエ ゴージャスな一日


ヘリコプター上空からパリを

6月25日は忘れえぬ日になりました。宝石店の王者カルティエが、新作発表に伴い大イヴェントを行なったのです。新作は「パリ ヌーベルバーグ」それにちなんで、パリを再発見していただこうというのが趣旨。

日本から主だった雑誌の編集長が勢ぞろい。それに数人のパリ在住のジャーナリストも参加。集合場所は宿泊先のホテル、ル・ブリストル。朝7時30。

希少価値の2CVが待機

まず、カルティエがチャターした8機のペリコプターに分乗し、パリ近郊のセルジー・ポントワーズに向う。その間にもちろんパリを上空から堪能。セルジー・ポントワーズでは、
カリスマ・シェフ、ヤニック・アレノがイニシアテイヴを取って栽培している、野菜栽培所訪問。ブーツをはいて、皆、真剣にラディッシュやニンジンを掘り起こす。それを使いヤニックがランチを準備して下さるという、この上ない贅沢。


セーヌ川の船旅
豪華な椅子とシャンパン。
ミセスの落合真由美さんと、
幸せ気分。
その後16台の2CVに乗ってパリのサンマルタン運河の辺を走り、ヴォージュ広場着。そこでチョー豪華なギャラリーのオーナー宅でアペリティフ。

その後マレ地区の由緒あるお店を数件徒歩で訪れる。どこでも大歓迎でおみやげをいただき、そのたびに歓声が舞い上がる。道中には特製ハガキがあちこちにばら撒いてあって、それを一番多く集めた人にはプレゼントありということで、夢中になってハガキ集め。その後5区の見晴らし抜群のテラスでランチ。ノートルダムを身近にしながらヤニックの絶品を味わう。

次は船でセーヌ川くだり。もちろん貸し切り。アコーデオンの演奏が流れる中、シャンパン片手にパリのモニュメントを改めて満喫。その間にカルティエの新作を見せていただく。

ヤニックの自然を尊ぶ心がこもった
絶品のひとつ
船を降りると先ほどの2CVが待っていて自宅まで送ってくれる。ドライバーが若い男性がほとんどで、彼らの容姿で車を選ぶのに大騒ぎ。ディナーは「魅惑的な服装」とのドレスコードがあるから、着替える。お化粧もし直す。着飾って、お迎えの黒い車に乗り、会場のカルティエ財団へ向う。エレベーターで最上階にのぼり、テラスでアペリティフ。

白とグリーンの
爽やかな花装飾を前に
美味を味わう心地よさは
格別。
ステキなライヴの演奏の中、ヤニックの独創性に富んだ、目にも口にもおいしい数種類のお料理に、皆、最高の幸せ気分。前もってプレゼントされていたi pad で、全員が朝からの様々な場面を写真にとっていて、それを食事中に画面に映し出し、その度にまたまた歓声。優れた写真には賞がある。

何てすてきな企画でしょう。皆、大満足。大感激。さすがカルティエ。いろいろあるパリですが、いつまでも話題になるイヴェントでした。

ひときわの美しさを見せる
「鉄の貴婦人」エッフェル塔
夕焼けも演出のひとつ、と思ってしまう。

2013年6月21日

アデュー、ジャン=ルイ・シェレル

エレガンスの創造者、ジャン=ルイ・シェレル

20世紀を飾った偉大なデザイナー、
ジャン=ルイ・シェレルが78歳の生涯を閉じました。

イヴ・サンローランと同じようにクリスチャン・ディオールの元で育ち、自分のメゾンを築いた巨匠のひとりが、また去ったのです。後数日でオート・クチュールのショーが始まる直前のことでした。

 シェレルがクリエートするエレガンスに魅了された女性は、ベルギーのパオラ妃、ジャクリーヌ・ケネディ、フランスやアメリカの大統領夫人など上質な人ばかりでした。限りなく優美で、品格があり、まるでクラシック音楽の旋律が聞こえるような完璧なライン。
コレクション発表は多くの人にとって待ち遠しいことでした。


彼の経歴を語る本が
出版されたときに、
優しい言葉とサイン入りで
贈ってくださいました。
彼との思い出はたくさんあります。
ディオールの本を書いていたときに、
サンローランと一緒の未公開の写真を貸してくれたジャン=ルイ。
モロッコのタンジェに大きな別荘を持っていて、部屋も、階段も、バスルームも、家具も何もかも真っ白だった夢のようなインテリア。
そこで過ごす夏はいつも8月。

サンシュルピス教会が窓の前に見える
パリのアパルトマンには、18世紀の日本の屏風が飾ってあり、日本をいかに愛しているかと情熱を込めて語っていたジャン=ルイ。

パーティやディナーを催すときには、自ら花市場に行って白い花を買い、自ら活け、
オペラ座で歌舞伎公演があったときには、衣装をしっかり見たいから、
舞台に近い席をなんとかして欲しいと電話してきたこともある。

正統エレガンスを布で語り、思い出をたくさん作った彼が、旅立った。
地球がまた寂しくなりました。

2013年6月17日

超デラックスな日

ヴァンドーム広場の
高級宝飾店ショーメ。
「特別の日」の表示が
遠くからも視線を集めます。

超高級製品のメゾンを多数傘下に治めている企業グループLVMH。
当初はフランスのメゾンだけだったのが、
年を重ねるごとに国境を超え、
今ではヨーロッパ主要国の主だったメゾンも次々と買収し、いったいどこまで拡大するのか、その目的はいったい何か、と話題が絶えません。

そのLVMHが名立たる数社のメゾンを開放して、極秘のアトリエなどを訪問していただこうと思いついたのです。発案者は会長の長男アントワーヌ・アルノー。

彼にそのヒントを与えたのは、
国家財産的存在の多くの建造物を、
無料で一般に開放する「世襲財産の日」
ショーメのアトリエ

現在、官庁関係の建物となっているのは、昔の大富豪や貴族の邸宅。王朝華やかな頃の建造物がほとんどで、金箔、大理石、見事な天井画やフレスコ画で、どれもこれも宮殿のよう。
大多数の人にとって、このような建物の中に入れる機会などない。

それで主だった建造物を数日間一般に開放して、誰でも訪問できるようにしたのです。
素晴らしいことです。
ということで、私も長い列を作って訪問しているひとり。
ディオール本社最上階にある
オート・クチュールのアトリエ。

「世襲財産の日」には、大統領官邸や迎賓館まで訪問できるのだから、長時間待つカイがあるというもの。皆、サンドイッチや本持参で列を作っている。外国からざわざわ来る人もいるほどの人気。

LVMHがデラックス製品のメゾンをオープンする「特別の日」は二日間。
今年は6月15日と16日。グループの中の40社が参加。ショーメ、ルイ・ヴィトン、ディオールなど、夢のようなメゾンの内側を見ることによって、古くからの伝統ある技法を守る職人魂のすばらしさを、実際に目で見てほしいというのが目的。

アトリエでどのようにして製品が生まれるかを見ることによって、フランスのアール・ド・ヴィヴールに誇りを抱くはず、と主催者は期待。

好天気に恵まれた二日間は長い列。二年前の第一回目のときには、10万人が訪問したそう。今年はもっと増えるはずとLVMH。

この不安な経済状態の中で、デラックス産業のみ業績をあげていることから、確かなクオリティと名を持つ製品は、何事があっても健在だということがわかる。

これは人に関しても言えることかも。ということで確かなクオリティを持つ人間になる努力をしよう、と決意をした「特別な日」です。

2013年6月12日

イヴ・サンーロランが亡くなって5周年

若きころのイヴ・サンローラン

イヴ・サンローランが亡くなって早くも5年。
時の流れの速さに驚くばかりです。

亡くなったときのサン・ロック教会での葬儀は
国葬に近く、
フランス大統領夫妻も参列。
すべてのデザイナー、経営者、
そして政界、経済界の主だった人が一同に集まった盛大な葬儀は、
まだ記憶に新しい。

翌年、1周年記念のミサを同じ教会で、
2周年記念のコンサートを
オペラ・バスティーユで行ない、
サンローランへの思いを新たにしました。

そして今年、5周年記念に再びオペラ・バスティーユで
サンローランに捧げるコンサートが開催されました。
最後のショーを終えた
サンローラン
50年間のパートナーであり、
サンローランになくてはならなかった、
ピエール・ベルジェのイニシアティヴです。

オリヴィエ・メシアン・ホールの舞台は
黒一色の布で覆われ、左右にサンローランの若かりし頃の等身大のモノクロの写真。舞台の上にはグランドピアノ。
シンプルでありながら多くを語るベルジェならではの演出。

約200人ほどの招待客に、
女優カトリーヌ・ドヌーヴ、
元文化大臣ジャック・ラング、
クリスティーズ・スランス社長の姿も見える。

ベルジェの挨拶に始まり、
ピアノ、ヴァイオリンの演奏。
サンローランがこよなく愛していたワーグナーとシュトラウスの作品が
ときには静かに、ときには力強く流れる。

その後コメディ・フランセーズの俳優による、
「イヴへの手紙」日本では「イヴ・サンローランへの手紙」の
いくつかの章の朗読。
まるでベルジェが目の前にいるサンローランに語りかけているような、
感情を込めた朗読に、ベルジェは感動の涙を浮かべていたほど。

ワグナー作曲のメゾソプラノの歌声がコンサートの最後を飾った、
ベルジェとサンローランにふさわしい上質な5周年記念コンサートでした。

2013年6月8日

シャトレのつぶやき 70 思い出のアルバム12


ママンのベッドの下にもぐりこむ
一日中すご~くしつっこいママンから
のがれるために、
ときどきベッドの下にもぐりこむの。
そこだと安心してねむれるからね。

なにしろママンは
ベッドの下にはいれるほど
スマートじゃないから、
安全地帯なの。

でも、外のようすが気になるから、
なんどか顔を出してみる。

シンパイだから
ときどき外のようすを見る
すると
「やっぱりそこにいたのね。
そうじゃないかと思った。何しろキミは
ひとりでドアをあけて外にいくことなんか
できないものね」

勝利をえたようにトクイになるあの人。
だからまたベッドの下に入る。
それをくりかえす平和なワタシたち。

でも、ハクジョーすると、
ベッドの下はかた~い板だから、
それほど寝心地はよくないの。

やっぱりフカフカがいい


だからどうしてもベッドの上に
のぼりたくなる。
とたんにあの人の声。
「どうせそうなると思っていたわ。
キミの考えていることは、何でもわかるんだからネ」
と、またうれしがるママン。


でも、そうしたブジョクテキなことばも気にならなくなったワタシは、
シンポしたのよね、きっと。
ランランラン ♪ 


2013年6月1日

ナポレオン、腹心の部下コーランクールの子孫

パリ市内には、有力な貴族が暮していた瀟洒な邸宅が多数残っています。そのほとんどは、政府関係の建物として使用されているし、諸外国駐仏大使公邸になっているのもある。美術館になっているのもある。
軍人であり外務大臣もつとめた、
ナポレオンの腹心の部下コランクール。
館の入り口の大きな肖像画

ナポレオンの家族や部下の子孫も、同じように大邸宅に暮していました。そのひとつが、ナポレオンの腹心の部下コーランクールの子孫の館。5月末にナポレオン史学会会員が招待され、しかも、その館を直径子孫の案内で訪問することができ、大いに感動しました。

コーランクールの
直径子孫おふたりと
18、19世紀の趣のサロンのひとつ
革命前から続く侯爵の称号を持つ貴族の家に生まれたコーランクールは、その才知、勇気、貴族ならではの気品をナポレオンに高く評価され、次々と重要な地位につき、その名を歴史に残し、パリ市内の道路名にもなっているほど。ナポレオンの栄華の象徴、パリの凱旋門にも彼の名が刻まれています。

ロシア大使を務めたこともあるコーランクールは、彼の目から見て無謀と思われるロシア遠征計画を、ナポレオンに思いとどまらせようと試みたこともあります。ところがナポレオンはそれを無視し、軍を進め、大敗。打ちひしがれた皇帝がパリに戻る際に付き添った、唯一の軍人がコーランクール。1812年12月7日から18日まで続いたのその長旅の間に、 皇帝はコーランクールに多くを語り、後年、コーランクールは数冊に及ぶ忠実な記録を発表。それが多くの事実を正確に伝えたのです。

ナポレオンの頭髪
家族所有の貴重な遺品
後にパリに進軍した連合軍の前に屈したナポレオンは、ついにフォンテーヌブロー城で皇帝退位を決意。エルバ島に流刑されることがわかると、妃マリー・テレーズに渡して欲しいとコーランクールに七宝焼きのオブジェを託します。それは今では家宝になっていて、
金庫に保管していますが、この日、特別に見せてくださいました。その直後、皇帝はコーランクールの目をかすめて服毒自殺を試みる。幸い、毒がきかなかったためにナポレオンは一命を取り留めたのでした。

こうした歴史を、コーランクールの子孫は立て板に水のごとくに語ります。そこには書物では伝わってこない、特別な感動があります。特に、フォンテーヌブロー城におけるナポレオンの様子を 細部にわたって記録したコーランクールの自筆の手紙を、古びた封筒から手袋をはめながら取り出し、その一部を読み上げたときには、感激で涙を目に浮かべる人がいたほど。フランスの歴史の重要な一こまを体で味わった、貴重な日でした。