2014年6月27日

節子さんの新しい活躍

節子さんの作品展のお祝いに
駆けつけたイネス。

バルチュス未亡人節子さんは、驚くほど多才な方。
絵や感動的な随筆を次々と発表したかと思うと、
今度は陶器。

以前からお会いするたびに、今、焼き物をしているのよ、とおっしゃっていらしたけれど、これほど多岐にわたる作品だとは思っていませんでした。

サントノレ通りのブティックでのプレ・ヴェルニサージュにご招待して下さり、彼女の誠実で清らかな心がこもった数々の作品をゆったりと拝見。


完成したてで、ほんのりと温かさが残っている
大作。



種類豊富なテーブルウエア、オブジェ、ネコ、香リ入りキャンドル、御香など、そのどれも静けさがあり、品格があり、
心が洗われる想いです。

色もフォルムも限りなくピュア、それでいて奥深さがあるし、どの場所にも、どのような人にも会う優しさがこもっています。一点一点に込められた、落ち着きある愛も伝わってきます。

節子さんの側にいると、日本の文化や歴史が彼女の周囲に漂っているように思えてなりません。それでいて、世界狭しと動いていらっしゃる。バルチュスのために東京に行き、複数の講演をこなし、
パリに戻ってご自分の陶器作品展。「この後はバルチュス展で京都よ」などと、さっぱりしたお顔で言う。

何かしていないと気がすまないの、とおっしゃる通り、常に何かしていらっしゃる。
人生を無駄のないように、積極的に生きている節子さん。学ぶことが多い女性です。
節子さんの側にいると
たくさんのオーラが伝わってきます。

2014年6月26日

パリの犬たち 5

ウィークエンドにはいろいろな場所でマルシェがあり、それはそれはにぎやか。
売り手と買い手の楽しい会話がはずむのが、とてもいい。
何事も機械化された今の時代に、貴重な存在の気負いのない交流の場です。
青空市場だから、犬たちもOK。
今日は何を買うのかな。ぼくの好物も忘れないでね。
チョコレート色の巻き毛がチャーミング。

2014年6月23日

パリの犬たち 4

レストランやホテルは犬たちに寛大で、中に入ることができますが、食料品を取り扱っているお店はNG。
有機食料品店の前で待つ、賢そうなワンちゃん。
パリは、今、有機食料品が大人気。
もちろん中に入れないから、お外でおとなしく待つのだワン。
スーパーも、服や雑貨売り場は入れるけれど食料品売り場はダメ。
ここで待つほかない。でも、通りかかる人が話しかけてくれるから、
退屈しない。身だしなみを整えて行くことは愛されるために大切だワン。

2014年6月21日

ジャン・ルイ・シェレル ブティック オープン

ジャン・ルイ・シェレルのブティック

ジャン・ルイ・シェレルのメゾンが復活し、サントノレにブティックが新たにオープンしました。

シェレルはフランスのエレガンスを代表する、
数少ないメゾンです。
いろいろな経緯で彼自身はメゾンから離れ、
その後経営者交代劇があり、一時期閉鎖。
それが今回見事に蘇ったのです。

ジャン・ルイとは個人的に親しくさせていただいて、
パリの自宅やモロッコの別荘にも招待されたり、
楽しいひとときを過ごさせていただきました。
残念なことに亡くなりましたが、
フィガロ誌が
1ページ大で彼の業績を称えたのはうれしいことでした。
シックな店内
111 rue du Faubourg St.Honoré

最高級の素材、優美極まりないデザインは、エレガンスを求める多くの淑女の絶賛をかい、ジャクリーヌ・ケネディもご愛用。

今回新たなデザイナーを迎えてリニューアル。
ジャン・ルイ・シェレルのエスプリが見事に生きているのを見て感激です。

オープニングの日にはほかにディナーがあったために、カクテルのみ参加。
レディス、メンズ、子供服と
ヴァリエーションある店内。
ジャン・ルイが喜んでいるのが実感できるようなステキなお店です。

サイン入りの彼の本をプレゼントして下さいました。

2014年6月18日

OECD日本大使公邸でガーデンパーティー

緑の香りが清々しいOECD日本大使公邸
毎年、6月にOECD日本大使公邸で開催されるガーデンパーティーは、日仏の文化、経済の人々の有意義な交流の場で、多くの人が待ち焦がれている大イヴェントです。
緑の香りが爽やかな広々とした庭園でのパーティーは、季節的にも最高。

左から深雪さん、ジャッキーこと藤原夫人、
私、藤原邦一さん。
児玉大使の英語による多岐にわたる素晴らしいお言葉に、皆、熱心に、あるいはうっとりと聞き入ります。その後、庭園にほどよく設置された種類豊富な和食、選び抜かれた数々の日本酒、美しい和菓子をはさんで会話が終わることなく続きます。

今年は着物の女性が多いのが特に目立ちました。
日本酒の微妙な味の差をフランス人が興味深げに質問したり、和菓子の制作デモンストレーションに驚きの声をあげたり。日本人のデリケートな感性を再認識する貴重なひととき。

楽しい語り合いと美味を味わう喜びは高い空に向ってのぼり、この日の充実感は遠くまで広がっていきました。

公邸内には東北スクールの生徒たちの活躍や、夏にパリで予定されている重要なイヴェントに関する情報が展示されていて、多くの人々の関心を集めていました。

2014年6月17日

フランス女子会 ファム・フォロム誕生30周年記念

30周年記念の特性メダル。
会員のひとりが造幣局に
制作を依頼。

「女子会」という言葉が適切かわからないけれど、
とにかく、女性だけのフランスの会ファム・フォロムが生まれて今年で30年。
すごい歴史です。
女性だけの会なのだから、これはやはり女子会なのでしょうね。

メンバーは何故か法律に関する仕事に
従事している人が多い。
検事もいるし弁護士もいる。
女性で始めてコンコルドを操縦したパイロット、
女性初の公証人、元法務大臣、
テレビ局ディレクター、
出版社経営者、医者、作家など、
ほんとうに様々な仕事をこなしている。

共通の友人がいる仲良しのアメリー
二人揃ってどこを見ているのでしょう。



共通点は、皆、自分の仕事に誇りを持っていて、それが生き甲斐になっているためか、
ハツラツしていること。

30年記念のディナーは3つ星レストラン、
ルドワイヤン。
ヤニック・アレノがシェフになると最近話題
になっています。出席は120人。
ウーマンパワーが交差する記念ディナー


華やぎと
にぎやかさは圧倒的。
会員によるピアノ演奏、詩の朗読などお祝いにふさわしいパフォーマンス。

8時に始まり終了は夜中の12時30分。
ディナー開始の挨拶で、女性の社会進出の素晴らしさを見ていると、女性だけですべてこなせると会長が述べていましたが、何となく納得できそうなウーマンパワーあふれる会でした。

2014年6月11日

ルーヴル、新公開の豪奢な33の部屋

マリー・アントワネットの部屋

フランスが眩しいほどの栄華を誇っていたのは、ルイ14世からルイ16世の時世。
ヴェルサイユ宮殿での華やかな宮廷生活が諸外国の絶賛をかい、多くの王侯貴族の賞賛を独り占めしていました。

その時代をたっぷり味わえる33の部屋が、
ルーヴル美術館に新たにオープン。
フランスが世界に誇るアール・ド・ヴィーヴルを十分に堪能できます。

ルイ14世の宝石箱
家具、タペストリー、彫刻、絵画、時計、宝石箱、テーブルウエアなど、その時代のフランス人の美的感覚がいかに優れていたか、
そしてまた職人たちの腕がいかに比類なきものだったか、感嘆するばかり。

特に時計は類のない高度な芸術品。
時計の技術者がスイスに移住するまで、フランスが世界一の技術を誇っていたことがよくわかります。
フランス人の卓越した美意識と
優れた技の結集の時計

ルイ14世やルイ15世、16世の時代の時計が、今でもきちんと正確な時を告げているばかりでなく、精密なレリーフや七宝焼きが施されているどの時計も、いつまで見ていても飽きないほど素晴らしい。

この時代へのフランス人のノスタルジーに限りはなく、
今でも当時の様式がもてはやされているほどです。

18世紀の黄金時代を体感できるのは、
ルーヴルのリシュリュー翼の2階。
展示作品は非常に多く、しかも、どれもこれもじっくり観賞していたいものばかりなので、
結構時間がかかります。
でも、ぜひ足を運んでいただきたいフランスの栄光時代です。

このポスターに従って
黄金時代にいらしてください。
心が豊かになって大ご機嫌です。












フランスの栄華を満喫できます。

2014年6月9日

パリの犬たち 3

動くぬいぐるみみたいな、キュートなワンちゃん。ペットという言葉がぴったり。
ヒモつきだから、動くのがムズカシイ。
でも、どこまでも一緒でサイコーに幸せだワン。

2014年6月7日

ノルマンディー上陸作戦70周年記念


第二次世界大戦初期に戦いを失い、屈辱のドイツ支配が続いていたフランス。
それに耐えられずいち早くロンドンに渡り、BBC放送を通して、フランス国民にレジスタンス運動を起こすよう呼びかけたシャルル・ドゴール。

ドゴールの呼びかけに応じて、フランス人は愛国心の固まりとなって、各地でレジスタンスを行ないました。

一方、英仏海峡に面したノルマンディー地方では、連合軍の上陸作戦計画が極秘の内に進められ1944年6月6日に決行。

この作戦で上陸したアメリカ、イギリス、カナダを主要とする連合軍と、レジスタンスが力を合わせ、激戦につぐ激戦の結果、ノルマンディー地方のドイツ支配の町を次々に解放。その後も戦いを続けながらパリに進軍し、首都が自由を獲得したのは8月25日。この作戦でもっとも多くの犠牲者を出したのはアメリカ。 その激戦地はオマハ・ビーチ。

ノルマンディー上陸作戦で命を落とした
9000人以上のアメリカ兵の墓地。
墓標はアメリカに向っています。

フランス開放のために命を失った兵士たちが眠るアメリカ兵の墓地は、そのオマハ・ビーチを見下ろす地にあります。9387人のヒーローひとりひとりの墓標があり、名前と戦死した日付と場所が刻まれています。そのすべてが故郷アメリカに向っている感動的な墓地。

オバマ大統領がノルマンディーに到着して、最初に足を運んだのはそこでした。フランス大統領を迎え、両国の国家演奏があり、演説。オバマ大統領の祖父が、この歴史上最大の作戦と呼ばれるノルマンディー上陸に参加していただけに、感慨が深いようです。

ノルマンディー上陸作戦が実現して今年で70周年。これを記念する行事が6月6日に現地で行なわれ、エリザベス女王、デンマーク女王、ノルウェー国王、オランダ国王、オバマ大統領、プーチン大統領、キャメロン首相など大物が揃って出席。盛大な記念行事が朝から続き、ランチはシャトー・ベヌヴィルで。

18世紀に建築されたこのシャトーは、第二次世界大戦のときには、恵まれない女子のための施設となっていました。そのディレクターは、早くからレジスタンに参加し、ドイツの情報を詳細に渡って収集し、仲間たちに渡し、重要な役割を果していたのです。
まさかその施設が、レジスタンスの重要な役割を果たしていたなどと、ドイツ軍は思ってもいなかったために、事はうまく運んでいたようです。いうことで、今回の式典にふさわしいシャトーです。

この記念式典で一番大きな注目を浴びていたのは88歳のエリザベス女王。今回集まった各国代表の中で、大戦中に軍服を着た経験があるのはエリザベス女王のみ。そして、もちろんオバマ大統領も大変な人気。エリザベス女王は彼を大変お気に召していらっしゃるとのこと。

今はウクライナの問題が加熱している時期。18カ国の首脳がフランスに集まるこの機会をいかして、首脳会談もいくつか行なわれるようです。平和はいつの時代でも重要。この記念すべき日の一点の曇りもない青空のように、爽やかな解決をと願うばかり。

夜は、エリザベス女王を主賓とする。ロングドレスとタキシードの正装ディナーがパリの大統領官邸でありました。テレビでは10時間に及ぶ大特集。これも、歴史に残る記録ではないかと思います。

2014年6月5日

エリザベス女王来仏


イギリスのエリザベス女王が、88歳というお年にもかかわらず、お元気な姿でフランス訪問。明日、6月6日のノルマンディー上陸作戦70周年記念の式典出席が、主な目的です。

イギリスとフランスをつなぐユーロスターで、パリの北駅にご到着なさった女王は、白い色の服と帽子でとても爽やか。凜としたお姿には女王の威厳があり、それでいて親しみ深いチャーミングな笑顔。誰もが虜になってしまうほど、素晴らしいオーラがおありになる。

その後、ピンクの服と帽子に着替えられ、
シャンゼリゼでフランス大統領フランソワ・オランドの出迎えを受け、
お二人揃って無名戦士の墓となっている凱旋門へと向かいます。

この日の夜はディナーがあり、お忙しい日程が3日間続くそうです。
それをにこやかにこなされる女王。イギリスの明るい未来の象徴です。

2014年6月4日

スペイン国王退位


スペイン国王フアン・カルロス一世が退位し、フェリペ皇太子が王位を継ぐ表明が発表されました。前々から健康がすぐれないことと、王家の人々のいくつかのスキャンダルで、そのような噂は流れていましたが、声明発表が突然であっただけに、フランスでは大きく報道しています。

初代スペイン・ブルボン国王フェリペ5世になった
ルイ14世の孫アンジュ公フィリップ。

スペイン国王は、フランス最後の王朝ブルボン家出身ということもあり、ひときわ関心が高いのでしょう。

スペインの王家は16世紀からスペイン・ハプスブルク家だったのが、跡継ぎが途絶え、フランス国王ルイ14世の孫アンジュ公フィリップを国王として迎えることになります。1700年のことで、国王はフェリペ5世を名乗り、その年からスペイン・ブルボンの時代が始まり、現在にいたっているのです。

ルイ14世の妃マリー・テレーズがスペインのプリンセスだったのですから、もともと血の繋がりがあったといえます。旅立つ際の祖父からの言葉は、良きスペイン人になるように、けれども、フランス人であることを決して忘れないように。

フランスとスペインの関係が深いわけです。

2014年6月3日

ステキな再会


モニックと友人の法律家と記念撮影
20年来の友人モニック・グルゴー男爵夫人と、思いがけない場で再会。
思わず二人とも、子供のようにはしゃいでしまいました。
晴天に恵まれたある日の午後、
ポーランド大使公邸でのことです。

モナコのプリンセス、マリー=カトリーヌ・ブリニョルのために、18世紀に建築された邸宅オテル・ド・モナコ。
数カ国の大使館が次々と置かれ、帝政時代には元帥の住まいとなり、第二帝政時代に改装が成され、1936年にポーランド大使館所有となり、現在大使公邸になっているそうです。

ポーランドが誇るピアノの詩人ショパンが最初の演奏をして喝采を受けたのは、この邸宅だったし、プルーストの名作「失われたときを求めて」に書かれた、プリンセス・ド・サガンの動物たちの舞踏会を催したのもこの邸宅でした。
ポーランド大使公邸
緑に囲まれた素晴らしい旧邸宅です。
パリの有数の美しい建造物とのことです。

現大使夫人がこのような貴重なお話をして下さったのですが、驚くほど流暢なフランス語。
フランスとポーランドは縁が深く、ルイ15世のお妃はポーランドのマリー・レクザンスカ。
それ以前にはカトリーヌ・ド・メディシスの息子がポーランド国王になっていた時代もあるそうで、
こうした歴史を知ると、ますますポーランドへの関心が深まります。

モニックとは近い内にお食事しましょうということになったし、友人も数人紹介して下さって、ステキなカクテルでした。このようにして知人が増え、パリ生活が一段と楽しくなります。それにしてもパリは奥深い街です。

この日出会った多くの方が、日本に行ったことがあるとのことで、歴史や伝統のお話も出て、日本のことをもっと勉強しなくてはと痛切に思った日でもあります。