ブシコー(8号線)
セーヌ左岸にあるパリ最初のデパート、ボン・マルシェ創立者ブシコ―夫妻の名を冠しています。
アリスティッド・ブシコー(1810-1877) |
マルグリット・ブシコー(1816ー1887) |
実業家アリスティッド・ブシコーがデパートを開業したのは1852年。彼亡きあと、さらに発展させたのが妻マルグリットで、ブシコ―夫妻はフランスのデパートのパイオニアと呼ばれています。
当初、父が経営する地方の小さな帽子店で働いていたアリスティッド・ブシコーは、その後パリに出てバック通りにあったショップ「プティ・トマ」の販売員になります。
年がたつに連れて実力が認められチーフに昇進。そのころにマルグリットと出会い結婚します。「プティ・トマ」が不況にあおられて閉店すると、ブシコーはそこからさほど遠くない場所にあった「ボン・マルシェ」と呼ばれる、ヴィドー兄弟が経営する小間物店で働くようになります。
1863年、小さい規模の時代のボン・マルシェ。 |
1892年には、クライアントでにぎわう 大きなデパートになっていました。 エッフェル塔を建築したギュスタヴ・エッフェルが デパート大改造に加わり、 鉄骨とガラスの劇場のような建造物になったのです。 |
やがて両者の間に信頼関係が生まれ、それまでに蓄えた貯金をはたいてヴィドー兄弟と共同経営者になり、またたく間に主導権を握り、多種の製品を販売するデパートをオープン。1852年のことで、ヴィドー兄弟は1863年に引退します。
事業拡大に情熱捧げるブシコーに、女性ならではの感性で様々なアイディアを提供したのは、妻マルグリットです。
製品は誰でも手で触っていいことにする、全ての製品に価格を表示する、例えばクリスマスにはおもちゃを多くするなど季節によって品を変える、バーゲンをする、買った品の返品や変更を許可する、カタログ販売で地方や外国の人も買えるようにする・・・・ショッピングは主に女性がするので、女性用洗面所を作り、妻の買い物中に夫たちが退屈しないよう図書館も作りました。
成功に成功を重ね、パリ近郊のシャトーの持ち主にもなります。 |
時と共に地方や外国からも買い物客が殺到するようになり、そうした人々の宿泊を考えて、徒歩で数分の場にホテル建築をうながしたのはマルグリットです。それがホテル・リュテシアです。
1877年に夫を、その2年後に一人息子を失ったマルグリットでしたが、気丈に事業発展につくし、ボン・マルシェは例を見ない飛躍を続け、デパートの重要性を世界に示します。
1900年にパリで万博が開催された年のボン・マルシェ全景。 |
子孫がいないマルグリットは、自分亡きあとパリの病院を管理する機関を受遺者とする遺言を残します。
マルグリットの遺言に基づいて建築された 15区のブシコー病院。 |
遺言に書かれていたマルグリットの希望のひとつは、パリ左岸に病院を建築することでした。それが1897年に完成した15区のブシコー病院です。
マルグリットにふさわしい盛大な葬儀。 |
マルグリットが残した莫大な遺産はそのほかの慈善事業にも活用され、彼女が生涯を閉じたときには、サン・トーマ・ダカン教会で盛大な葬儀が行われました。
デパート・ボン・マルシェが見える小さな公園に、ブシコーの名が残されています。そこからデパートを見ると、感慨深いものがあります。
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