2018年8月6日

メトロの駅名は語る 95

Filles du calvaire
フィーユ・デュ・カルヴェール(8号線)

かつてこの近くにあったフィーユ・デュ・カルヴェール修道院が駅名になっています。今はすっかり姿を消したこの修道院が建築されたのは17世紀で、ルイ13世の時世。

イエス・キリストが磔刑されたエルサレム近郊のゴルゴタの丘は、「苦難の丘」を意味する「カルヴェールの丘」と呼ばれていました。その名を冠したのがフィーユ・デュ・カルヴェール修道院。フィーユは女子を表します。

「ゴルゴタの丘への行進」
1564年、ブリューゲル作。ウィーン美術史美術館。

絵の中央に荷車に乗せられたキリストの姿が、
そして手前に嘆き悲しむ聖母アリアの姿が見えます。

戒律が厳しいベネディクト派のこの修道院を設けたのは、貴族夫人アントワネット・ドルレアン=ロングヴィル。24歳で未亡人になり修道院で暮らしていた、信仰深い女性でした。

フィーユ・デュ・カルヴェール修道院を設けた、 
アントワネット・ドルレアン=ロングヴィル侯爵夫人。
 24歳で未亡人になり修道院に入ります。
彼女は尊敬していたヨセフ神父が購入したパリの邸宅を、フィーユ・デュ・カルヴェール修道院にします。ヨセフ神父はリシュリュー枢機卿の影の助言者と呼ばれていた才知に富んだ人物で、枢機卿亡き後国王ルイ13世の相談役になります。

大きな影響力を持っていたヨセフ神父。

1621年にローマ教王に認知されたこの宗派の修道院は、様々な地に建築され、そのひとつがこのフィーユ・デュ・カルヴェール修道院。

フランス革命で修道会は消滅し、中にあった貴重な品々はすべて売り払われてしまいます。

ヴォジラール通りにあったフィーユ・デュ・カルヴェール修道院。
後のマリー・ド・メディシスの礼拝堂。

立派な建物から
フィーユ・デュ・カルヴェール修道院の重要性がわかります。

もうひとつのフィーユ・デュ・カルヴェール修道院は、リュクサンブール宮殿のヴォジラール通りに面した所にあり、ルイ13世の母マリー・ド・メディシスが礼拝堂として使用していました。

現在は上院議長官舎で、すっかり変わってしまいましたが、幸いなことにアーカイヴが残っているので、この修道会の一部をしのぶことができます。