フィーユ・デュ・カルヴェール(8号線)
かつてこの近くにあったフィーユ・デュ・カルヴェール修道院が駅名になっています。今はすっかり姿を消したこの修道院が建築されたのは17世紀で、ルイ13世の時世。
イエス・キリストが磔刑されたエルサレム近郊のゴルゴタの丘は、「苦難の丘」を意味する「カルヴェールの丘」と呼ばれていました。その名を冠したのがフィーユ・デュ・カルヴェール修道院。フィーユは女子を表します。
「ゴルゴタの丘への行進」 1564年、ブリューゲル作。ウィーン美術史美術館。 絵の中央に荷車に乗せられたキリストの姿が、 そして手前に嘆き悲しむ聖母アリアの姿が見えます。 |
戒律が厳しいベネディクト派のこの修道院を設けたのは、貴族夫人アントワネット・ドルレアン=ロングヴィル。24歳で未亡人になり修道院で暮らしていた、信仰深い女性でした。
フィーユ・デュ・カルヴェール修道院を設けた、 アントワネット・ドルレアン=ロングヴィル侯爵夫人。 |
24歳で未亡人になり修道院に入ります。 |
大きな影響力を持っていたヨセフ神父。 |
1621年にローマ教王に認知されたこの宗派の修道院は、様々な地に建築され、そのひとつがこのフィーユ・デュ・カルヴェール修道院。
フランス革命で修道会は消滅し、中にあった貴重な品々はすべて売り払われてしまいます。
ヴォジラール通りにあったフィーユ・デュ・カルヴェール修道院。 後のマリー・ド・メディシスの礼拝堂。 |
立派な建物から フィーユ・デュ・カルヴェール修道院の重要性がわかります。 |
もうひとつのフィーユ・デュ・カルヴェール修道院は、リュクサンブール宮殿のヴォジラール通りに面した所にあり、ルイ13世の母マリー・ド・メディシスが礼拝堂として使用していました。
現在は上院議長官舎で、すっかり変わってしまいましたが、幸いなことにアーカイヴが残っているので、この修道会の一部をしのぶことができます。
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