2019年2月26日

ファッション界、女性活躍の時代

カール・ラガフェルドが亡くなった当日に、シャネルのアーティスティック・ディレクターをヴィルジニー・ヴィラールが引き継ぐと正式発表があり、ますます興味を呼んでいるパリモード。

なぜなら、常に比較される二大メゾンのディオールもシャネルも、女性デザイナーがトップに立ったからです。プレタポルテを手がける女性デザイナーは世界中に多いけれど、ここ数十年間、オートクチュールは男性に限っていたので、モード界が新時代を迎えた印象を受けます。

シャネル本店の並びに、
ココ・シャネルとカール・ラガフェルドが語り合っている大きなデッサンがあります。
多分、この裏側で工事が行われていて、それを隠すために掛けられているんでしょうが、
その完成を見ずに世を去ったカール。
深く印象に残ります。

2月25日からプレタポルテのパリコレが始まり、最終日の3月5日、カール・ラガフェルド最後のクリエーションが発表されます。いつもの通りグランパレに非現実的世界を造り、カールの途方もない夢を具現化した中に導いてくれるでしょう。

不思議なことにそのグランパレも予定では来年から修復を行うために閉鎖するそう。となるとコレクション発表の会場そのものも新たになるシャネルです。

2019年2月24日

メトロの駅名は語る 116

Charonne
シャロンヌ(9号線)

かつてのシャロンヌ村が駅名の起源です。パリから村に通じる道路はシャロンヌ通りと名付けられ、今でも残っています。

のどかだったシャロンヌ村。
修道院がいくつもありました。

シャロンヌでもっとも重要な建造物はバニョレ城でした。1600年代に領主の館として建築され、その後数人の貴族の手に渡り敷地もそれに伴って拡大されました。

広大な領地の中に建築されたたエレガントなバニョレ城。

オルレアン公爵夫人。

1719年にオルレアン公の妻、オルレアン公爵夫人がシャトーを購入したときから、華やかな存在になります。オルレアン公はルイ15世が幼少のころ摂政を務めていた有力な人物。公爵夫人は敷地をさらに拡大し、オルレアン公はシャトーの中に劇場を造らせ、自ら劇を演じていました。

その後バニョレ城は子孫が引き継ぎますが、1769年から土地が分割して売られるようになり、シャトーも1771年から取り壊されました。幸いなことにその一部が難を逃れ現在も残っています。

2019年2月21日

カール・ラガフェルド亡き後

2月19日に世を去ったカール・ラガフェルドは、数社のデザイナーを同時につとめていましたが、シャネルとの関係がもっとも強く、カール・ラガフェルド=シャネル、シャネル=カール・ラガフェルドでした。

カール・ラガフェルドが亡くなった翌日、
カンボン通りのシャネル本店前で。

そのためにシャネル本店前で、リポーターがドイツ語や英語でカメラに向かって話しているのが目立ちました。道行く人も反対側の歩道から遠慮がちに視線を送ったり、スマホで撮影したり。

カールへ捧げるお花が道路に置いてあるかと思ったのですが、そうしたことはまったくなく、店内もいつもと変わらないで販売員が笑顔でクライアントに接していました。


報道に関してはル・フィガロ新聞が翌日に、7ページもの大特集を組み、カールの生い立ちからデザイナーとしての歩み、私生活にいたるまで貴重な写真と共に振り返っています。こうした動きをみると、フランスにとってモードがいかに重要な地位を保っているのか分かります。

今、人々の関心はカールの莫大な遺産が誰の手に渡るかに集中。一説では愛猫シュペットも相続者のひとり?だそうです。フランスではペットが遺産相続するのは禁止されていますが、それに対して自分がドイツ人だからそれは適用されないとさえ語っていたカール。

生前に親しい人に打ち明けていたのは、自分が世を去ってもセレモニーをしないこと、火葬して母の遺灰と混ぜて撒いてほしいこと、遺灰の一部はすでに亡くなっている恋人と一緒にしてほしいということだったと、フランスのメデイアは伝えています。それだけでなく、もし愛猫シュペットが自分の前に死んだら、彼女も一緒に、と。

どこまでもミステリアスで、実態がつかめないカール・ラガフェルドらしい。猫大好きな私は、主人亡き後シュペットの面倒を誰がみるのかも知りたい。

2019年2月20日

カール・ラガフェルド、偉大な死


カール・ラガフェルドの多岐にわたる才能は、今更改めて言うことではないけれど、彼のシャネルへの貢献は、世界のモードの中心がパリにあることを世界に知らしめた重要なことだったと思います。

1971年にココ・シャネルが没し、その後長年停滞していたシャネルを見事に蘇らせたのはカール・ラガフェルドでした。1983年に主任デザイナーに就任してから2019年まで36年もの間、コレクション発表ごとに女性たちを美の世界に導き、憧憬を抱かせ、女性に生まれ装う喜びを与えてくれた「モード界の帝王」が2月19日、85歳の生涯を閉じました。

今年1月のオートクチュール発表の際に、フィナーレに姿を現さなかったので、カールが病気ではないかと噂が飛び交いました。メゾンは単に彼は疲れてるからと説明し、彼の右腕として長年傍らでクリエーションに貢献していたヴィルジニー・ヴィアールがひとりであいさつに立ったときから、彼女が次期主任デザイナーになるのではないかと、これも関心を呼んでいました。

カールが亡くなった19日、メゾンは直ちにヴィアール採用を発表しました。シャネルのイメージは今後も彼女の指揮のもとに守られていくことでしょう。シャネルはシャネルなのです。デザイナー交代劇があろうとも、メゾン創立者ココ・シャネルのDNAは忠実に引き継がれていくのです。

カール・ラガフェルドが亡くなって、モードが、少なくともオートクチュールが、新しい時代に入るような気がしてなりません。

2019年2月15日

パリの犬たち 192

早くしてッ!!

あっ、太陽が照ってる。
早くおそとに行きたいワン。

ねぇ、ねぇ、早くしてッ! 太陽がどこかに行っちゃう~~

ああ、やっとわかってくれた。
そう、リードをつけてくれるのを待っていたんだワン。

2019年2月11日

メトロの駅名は語る 115

Voltaire
ヴォルテール(9号線)

パリで生まれパリで生涯を閉じた、世界的に名をなしている哲学者であり文学者。本名はフランソワ=マリー・アルエで、パリの裕福な家に生まれています。18世紀は「ヴォルテールの世紀」と呼ばれるほど、様々な分野で活躍しました。

ヴォルテール(1694-1778)

若い頃から詩を出版していましたが、政府や貴族への批判も多い内容で、それがもとで2度もバスティーユ監獄に送られます。釈放後ロンドンに渡り、絶対王政のフランスと異なる立憲君主政の自由な思想にふれ、感化を受けます。

バスティーユ監獄でも書き続けていたヴォルテール。

帰国後再び政府批判を開始し、書物も手掛けます。このころの代表作が「哲学書簡」で、いかにイギリスの自由主義や政治が素晴らしいか賞賛ばかりしているので、フランスで発行禁止になったばかりでなく、愛国者の怒りの対象になり国外に逃れたほどでした。けれどもヴォルテールの名は啓蒙思想家として広がります。

啓蒙主義者のプロセイン王フリードリヒ2世に56歳のときに招待され、大歓迎を受けしばらくプロセインに暮らし、フリードリヒ2世の侍従を務めたこともありました。フランス語に精通し哲学書も執筆した博学の王でしたが、ヴォルテールと意見が合わず衝突することも度々あり、3年後にヴォルテールはプロセインを離れ、それ以降スイスに居を定めます。
 
プロシアのフレデリック2世とヴォルテール。
フレデリック2世お気に入りのサンスーシ宮殿の
ヴォルテール専用の部屋で。

サンスーシ宮殿での会食。
華やかなロココ装飾の宮殿にふさわしい、豪華な食事。
正面がフレデリック2世で、そのひとりおいた左がヴォルテール。

フリードリヒ2世と犬猿の仲だったロシアのエカテリーナ二世も熱心な啓蒙主義者で、ヴォルテール亡き後、彼の蔵書と草稿を購入したほどでした。

ヴォルテールが手掛けた戯曲「イレーヌ」がパリで上演された1778年に祖国に戻り、歓迎されましたが、体調を崩しその年に83歳で世を去りました。

1791年7月11日、亡くなってから13年後、
パリのパンテオンに遺骸が移されました。

ヴォルテールの大作のひとつ「ルイ14世の世紀」は私の愛読書で、重要な資料として何度も手にしています。

2019年2月7日

ヴァレンタインデー

ヴァレンタインデーが近づいて、ピンク、赤、ハートがショーウインドウの中で飛び交っているパリ。「恋人たちの祭典」の日だから当然。

女性から男性にチョコレートをプレゼントする日本の習慣とはまったく異なり、ふたりでディナーを楽しむのが多いパリ。そのためにちょっとお洒落なレストランは、早めに予約を入れないと満席になってしまう。ヴァレンタインデーにちなんだ特別メニューを考えるレストランもあります。

プレゼントはバラ、カード、香水、チョコレート、ジュエリーなど様々。男性から女性に、女性から男性にと、これも様々。ヴァレンタインデーを控えた幸福満開のパリの光景をお届けします。

ハートが飛び散るマカロンの名店。


こちらもピンクいっぱいのマカロン専門店。

香水専門店。ロマンティックなデイスプレイ。幸せそう。

ピンクの矢で心を射止める、機知に富んだ宝飾店。

満開のバラの中にガラスのオブジェが待っています。

チョコレート専門店のラヴリーなデイスプレイ。


品格ある落ち着いたアンビアンスの香水店。

ビジューのブティックも華麗な飾りで視線をとらえます。

ハートのバッグなんて可愛すぎる。パーティーにぴったり。

ハイジュエリーのお店もバレンタインデーをお祝い。
レッドとブルーの組み合わせが最高。バッグもいいけれどブレスもいい。

パリの中国旧正月

2019年の中国旧正月は2月5日。
その日に合わせてパリ市内でも中国の飾りが見られました。もっとも盛んなのはもちろ13区。この地域に暮らす中国人が多いし、ショップも多い。

でも、パリの高級ブティック街も負けていません。特にサントノレ通りはハデ。まるで中国に来たかと思うほど。

これをみれば誰でも中国の新年のお祝いと分かる。


サントノレ通りにずらりと並ぶ中国の装飾。
夜にはイルミネーションが灯ってとてもキレイ。

中国勢力を恐れて最近離れる傾向がみられるとはいえ、やはり大切なクライアント。そのためにこうしたデコレーションをして魅了しようとしているのでしょう。日本の新年には何もなかった・・・

2019年2月3日

パリの犬たち 191

牛に間違えられる

自分ではよくわからないけれど、犬以上の大きさらしいネ。
模様も黒と白で牛に似ているらしく、よく間違えられる。

でも本物の犬だワン。
その証拠にモーと言わずにワンワン。
牛がワンワンとなくはずはない。

いつか牛に会ってみたいワ~ン。

2019年2月1日

メトロの駅名は語る 114

Saint Ambroise
サン・タンブロワーズ(9号線)

聖人アンブロワーズの名を冠した駅名。

アンブロワーズ(アンブロジウス)聖人
(340ー397)

日本ではアンブロジウスと呼ばれ、ミラノの守護聖人とされています。ローマで法律を学び弁護士の道を進む決意を固めていましたが、374年にミラノ司教が世を去り、その後任になるよう執拗に説得され、急遽、洗礼を受けて司教に任命されます。

ギリシャ語に精通し、ギリシャの教父の思想から多くを学び、西方教会の教えに大々的に貢献した学識が高い人物で、哲学者や思想家に影響を与えています。破格の勇気と信念を持ち、古代ローマ帝国皇帝に対してさえも教会の権利を強く主張していました。


古代ローマ帝国皇帝テオドシウス1世と
アンブロジウス。

アンブロジオ聖歌と呼ばれるミサで歌われる曲は、アンブロジウスの作曲だとされていて、東方教会の影響のある旋律が特徴。現在もミラノで歌われていますが、4世紀の時代のものかは不明だそうです。

アンブロジウスの弁論にはローマ皇帝でさえも屈服させる説得力があったそうですが、幼い頃にハチが口の中に入り蜜をたっぷりたらし、そのお陰で話術が優れてたというエピソードがあります。私も頻繁にハチミツをいただいているけれど、その効果がいつかあるのかしら。期待したい。