2020年7月28日

メトロの駅名は語る 154

Porte de Versailles
ポルト・ド・ヴェルサイユ(12号線)

「ティエールの城壁」の門のひとつ、ポルト・ド・ヴェルサイユ跡に造られた駅。

ルイ・フィリップ国王の時代にパリを防御するために建築された城壁は、首相を務めたこともあった政治家ルイ・アドルフ・ティエールの案で実現。そのために「ティエールの城壁」と呼ばれていました。1841年に城壁の建築が始まり1844年に完成。33キロメートルもの長さがあり要所に17の門が設けられ、城壁の外側には幅15メートルの堀も造られました。

「ティエールの城壁」の17門のひとつだったポルト・ド・ヴェルサイユ。
後に解体され、その跡地にパリ見本市会場が建築されました。
ポルト・ド・ヴェルサイユに建築されたパリ見本市会場を視察する
アレクサンドル・ミルラン大統領。1923年。

軍事的目的で建築されたこの城壁の解体が決定されたのは1919年で、時代の変化に連れて新たな武器が登場し、城壁がパリ防御に役立たないと判断されたためです。

ポルト・ド・ヴェルサイユ跡には、1923年、パリ見本市会場が建築され、それまでシャン・ド・マルスで開催されていたその見本市は、毎年ポルト・ド・ヴェルサイユで行われるようになり、会場も徐々に拡大されたのでした。農業、車、プレタ・ポルテ、本、あるいはチョコレートなど幅広い見本市を催し、日本を含めて外国からの訪問者も多数います。この会場に行く際に使用するメトロの駅は、もちろん、ポルト・ド・ヴェルサイユ駅。駅の周囲には手ごろなレストラン、カフェ、ホテルが立ち並び、一年中活気に満ち溢れています。

見本市会場の屋上のポタジェとレストラン。© VALODE&PISTRE ARCHITECTES

この見本市会場6号館の屋上に、ヨーロッパ最大の規模を誇るポタジェが7月1日にオープン。14、000m²の広さがあり、そこで野菜や果物を栽培し、近くのレストランでもお料理に使用。大きな特徴は、誰でも1m²の畑を借りて自分で好きなものを栽培できること。1年契約で320ユーロ。パリに暮らしながら畑仕事を楽しめるこのアイディアは、賞賛すべきこと。今後このポタジェは拡大される予定だそうで、ますますポルト・ド・ヴェルサイユ駅がにぎわうことでしょう。

2020年7月22日

ディオール、 サン・トノレ通りに新ブティックをオープン

ここ数年、サン・トノレ通りがますます注目を浴びています。シャネルやルイ・ヴィトンが大規模で優美なブティックをオープンし、高級ブティック街としての名声をさらに高めたばかりなのに、今度はフランスエレガンスの代名詞的存在のディオールが、7月にブティックをオープン。しかもサン・トノレ通りとカンボン通りが交差する最高に贅沢な地に。

サン・トノレ通り261 番地のエントランス。
偶然、この日はショーウインドウを飾る藍色製品と同じ色のTシャツ。
落ち着きがあり大好きな色です。
カンボン通り14/16番地のエントランス。

18世紀に建築された重厚な建物に、コンテンポラリーなインテリアをほどこし、5つあるどのフロアもゆったりとしたスぺースでこの上なく爽やか。瀟洒なこのブティックでは、もちろんディオールの名を冠するほとんどのアイテムを取り扱っています。レディースとメンズのプレタポルテ、バッグ、シューズ、ファインジュエリー、テーブルウエア・・・・

淡いトーンの壁や床に優しさがあり、要所に椅子や小テーブルが置かれていて、まるで邸宅にいるような居心地よさを感じさせるブティック。サン・トノレ通りに本物のパリシックの香りが漂い、ファッショニスタに欠かせないストリートになっています。

2020年7月21日

パリの犬たち 236

一緒に遊んでね。

ネ、やさしそうな人が近づいてくるけれど、
一緒に遊んでいい?
「たしかに良さそうな人だね。いいよ、でもちょっとだけよ」
理解があるパパでしあわせ。
とはいうものの、いつまでもワタシを行かせてくれない。
だから大声を出したの。
「はやく手を放して自由にしてちょうだい,はやく、はやく~」
ホッ、やっとパパの手から離れて近づけたワン。
で、何して遊ぶ?

2020年7月16日

メトロの駅名は語る 153

Convention
コンヴァンション(12号線)

1792年9月20日から1795年10月26日までの革命期に存在していた、普通選挙により成立した議会、国民公会(フランス語でコンヴァンション・ナショナル)にちなんだ名前。

当初、コンヴァンション・ナショナルは
コンコルド広場近くにあった
屋内馬術練習場に置かれていました。
ルイ16世の裁判はここで行われたのです。
国王処刑後の1793年5月10日から、
チュイルリー宮殿内にあった劇場が
コンヴァンション・ナショナルの議場になります。
屋内馬術練習場よりはるかに広い議場です。

1792年9月21日に王政を廃止し、第一共和政を宣言したのがコンヴァンション・ナショナルで、革命政府の中央機関でした。その後、第一帝政、王政復古、第二共和政、第二帝政、第三共和政、第四共和政と目まぐるしく変わり、現在は第五共和政で大統領はエマニュエル・マクロン。

マクロンが大統領選の選挙事務所を置いたのは、コンヴァンション通りとシャルル・ヴァラン広場で交わるラべ・グルルト通り99番地。前大統領二コラ・サルコジの選挙事務所はコンヴァンション通り18番地だったことから、大統領を目指す人にとってコンヴァンション通りは重要な意味を持っているのでしょう。

パンテオンの中にコンヴァンション・ナショナルに捧げられた、
大きな記念碑があります。

メトロの駅があるコンヴァンション通りは1888年から造られ、1893年暮れにこの名がつけられました。コンヴァンション通りは庶民的な商店が多く、気取りのない地域で特に若者たちに好まれています。立ち並ぶ建物の中でとくに注目したいのは、1900年に建築された170番地のネコの装飾。建築家はポール・ルグリエルで同じ通りに全部で3つの建物を担当しています。

番地の上のネコを見逃さないようにしてニャー。


28番地の教会、サン=クリストフ・ド・ジャヴェルも一見の価値があります。1930年に建築された鉄筋コンクリートの教会です。新時代にふさわしく新しい試みがなされていて、他の教会で味わえない特有の趣があります。サン=クリストフは幼い子供の姿で現れたイエス・キリストを背負って川を無事に横切って対岸に連れて行ったために、旅人たちを守る聖人とされています。外観も近代的ですが中のステンドグラスもコンテンポラリーなのが多く、親しみが感じられます。

サン=クリストフ・ド・ジャヴェル教会。
中央に幼い子供の姿のキリストを肩に背負うサン=クリストフが
描かれ、左右には光が勢いよく散らばるようなステンドグラス。
新旧のハーモニ―にオリジナリティーがあります
キリストを背負って川を横切るサン=クリストフ。
15世紀のドイツの画家コンラート・ヴィッツ作。

2020年7月11日

リッツ・ホテル、粋なアイディア

コロナのためにツーリストがさっぱり来なくなって、早くも4ヵ月近く経過。パリ中心にある憧れのパラスホテルのル・ブリストルもクリヨンもプラザ・アテネもすべてクローズ。ツーリストが多い夏には再オープンするかと期待していたけれど、その気配はまったくなく、重厚な扉を閉じて静まりかえっている。どうやら9月を待たなくてはならないみたい。

ゴージャスなホテルは別世界に誘ってくれるようで大好きなのに、扉をぴったり閉めているのを見るたびに、突き放されているようで寂しいと思っていたら、リッツ・ホテルが右端のエントランスにスイーツ専門カウンターを設けたのです。

さすがリッツのパティシエ・シェフ、フランソワ・ペレの特別スイーツとあって、オープンした6月上旬から列ができるほど大人気。

パリを代表するホテル・リッツ。
ロックダウンした時からクローズしたまま。
でも、火曜日から土曜日まで右端のドアが開いて
スイーツカウンタ―が登場し14時から19時まで営業。

ご覧の通りお洒落なカウンター。
フランソワ・ペレ特製のマーブルケーキ。
滑らかな感触、アーティスティックなデザイン。
口の中に消えてしまうのがもったいないくらい。
格別人気があるマーブルケーキの他に、タルトやチーズケーキ、マドレーヌ、贈答にふさわしい詰め合わせもあるし、特製シャンパーニュ、ジャム、様々な香りのティーやカフェもありどれも魅力的。リッツの名にふさわしいお味が確約されているのだから、連日並ぶ人が多いのも当然。

2020年7月8日

ブシュロン ニュ―コレクション発表

本来ならば7月上旬はクチュール・コレクション新作発表で、華やかさが飛び交うパリ。けれどもコロナウイルスの影響でクチュールメゾンはショーを行わず、代わりにオンラインでコレクションを発表。そのために個性的な装いのマヌカンや顧客、ジャーナリストの姿も見られません。

この時期にハイジュエリーのメゾンも新作を披露しますが、今年は限られたメゾンが限られた報道関係の人のみ招待。その中でコンテンプレイションContemplationをテーマとするブシュロンのハイジュエリーがひときわの輝きを放っていました。

クリエイティヴ・デイレクターのクレール・ショワンヌの詳しい説明付きで紹介されたハイジュエリー。その全てに彼女の卓越したセンシビリティ、進取の精神が込められていて、感嘆しないではいられませんでした。

ニュ―コレクションは自然界の刹那的な瞬間をとらえた、詩情あふれるクリエーションばかり。ゆるやかな動きを見せる雲、雨のしずく、空を自由に飛ぶ無数の鳥たち、風にそよぐ羽・・・・日常から、時から遠ざかり、物質でありながら物質でないピュアな世界が描かれた卓説したコレクションです。

空のしずく。
水晶、ダイヤモンド、ホワイトゴールドの存在感あるネックレス。
無数のダイヤモンド、ホワイトゴールド、チタンが織り成す
雲のネックレス。

ギャラクシ―の中にいるような錯覚を起こします。
フェザーの軽やかさを伝えるイヤリング。
アシンメトリーで自然が生む不思議が感じられます。
無限に広がる大空を自由に飛び交う鳥たちが主役の
ブレスレットとリング。

ヴァンドーム広場のフォルムのリング。
5,31カラットのエメラルドカットのダイヤモンド、
ホワイトゴールド、パヴェセッティングのダイヤモンド。
息をのむほどエレガント。

2020年7月4日

パリの犬たち 235

テラスでのランチは最高

ココはいつもはお食事に来る人が駐車するんだけれど、
コロナでレストランを外に延長しているんだ。

「車を止めないでください、メルシー」と書いたボードがあるから
ボクも安心して体をのばせるワン。
今は特別な状況下にあるパリなのだ。
パパのお気に入りのイタリアン・レストランで、
ボクも顔なじみだからお水をサーヴィスしてくれる。
おもてなしが上手だね。

2020年7月1日

シャネル、その比類なき人生

7月8日発売のシャネルの本。

ココ・シャネルは二つの世界大戦に大きく揺れ動いた20世紀を、力強く生き抜いた女性でした。11歳のときに母を亡くし、残された5人の子供たちの育児に困り果てた父によって、姉と共に孤児院に預けられたシャネルは、修道女たちから規律ある健全な生活と、女子の自立に必要と思われていた裁縫を学びます。ここで身に付けたことは、シャネルに計り知れないほど大きな影響を及ぼしたのでした。

孤児院を後にし人生を自分で切り開くようになった18歳のときから、シャネルは働き続けました。賢明で真面目な彼女は出会う人たちから多くを学び、吸収し、自分のものとし、努力を重ねながら内面に磨きをかけていきます。シャネルが巡り会い交流を持った人々は、アーティストにしても実業家にしても、あるいは爵位ある人にしても、キラ星のような輝きを持つ優れた人ばかりでした。そうした人々に出会ったシャネルが幸運だったのは確かです。けれどもそれ以上に彼女には、その幸運を生かす才知があったし、人々を魅了する個性の煌めきがあったのです。

シャネルは自分の人生を自分で創った稀有な女性です。自分の感性を信じ、新たなことに挑む勇気と実力を持ち、矢継ぎ早に改革をおこない、従来のモードに関する観念を一変させました。87歳の生涯を閉じるまで、ポジティブに生きることの意義を身をもって示し続けた彼女の人生から学ぶものは多いし、折々に語った言葉には多くの教えがあります。

シャネルは時代の風潮に流される流行ではなく、時代がいかに変貌しようともアイデンティティを保ち続けるスタイルを創ったデザイナーです。そのためにシャネルのすべてのアイテムは常に新鮮で、世界中の女性たちを虜にし続けているのです。彼女のクリエーションにも長い人生の間に語った言葉にも、永遠の命が宿っているような「今」を感じないではいられません。

シャネルという類まれな女性が歩んだ人生には、以前からずっと惹かれていました。フランスで発行されている多くの資料に目を通し、何度も読み直し、今回、自分なりに納得できる内容の本を書くことができ、とてもうれしく思っています。本書を通して、シャネルの今までと異なる面をお伝えできればと願っています。