逃亡が発覚されました
6月21日朝、夫の侍従ルモワーヌは、起床時間になったのでいつもの通り声をかけたのです。
ヴェルサイユ宮殿に暮らしていたときから、侍従は国王の寝室で寝るのが習慣でした。国王のベッドは刺繍を施した厚手のカーテンでとり囲まれていて、侍従はその足元のシンプルな寝台で休むのです。それはチュイルリー宮殿に移されてからも同じでした。ただ今までと異なるのは、夫の微々たる動きもわかるように、侍従は毎晩夫の手首に紐の片方を結び、もう片方を自分の手首に結んで夜を過ごすようになったのです。それを知った時にはあまりにも侮辱的だと思い、怒りで顔がほてったほどでしたが、夫は黙って受け入れていました。あの人は従順すぎて何事にも抵抗しないのです。ほんとうに歯がゆいくらい人が良すぎるのです。
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チュイルリー宮殿。 この右端のフロール館1階に私の寝室があり、 その左のビュロン館に2階に夫の寝室がありました。
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朝7時になったのを確認したルモワーヌは
「陛下、7時でございます」
と、夫に声をかけました。
ベッドの周りのカーテンを閉めたまま声をかけ、返事があってから開けるのが習わしでした。いつもはすぐに夫の声なり動きが伝わってくるのに、その朝は静まり返っていたので、ルモワーヌはもう一度、起床時間を知らせたそうです。
それでも何の返事もないので、思い切ってベッドのカーテンを開けると、国王の姿が見えない。一瞬驚いたものの、もしかしたら、階下の王妃のお部屋にいらしたのかもと思ったそうです。それで、若い助手のエベールに1階に行って様子を見るようにと命じ、エベールが急いで階段を降り王妃の部屋に着くと、部屋のカーテンが閉まったままなのにびっくりします。胸騒ぎを覚えた助手は、ルモワーヌに直ちに報告し、意を決して2人そろって王妃の部屋に入ると、空っぽのベッドが見えただけだったのです。そうしている間に王子さまがお部屋にいらっしゃらない、王女さまもいらっしゃらないと次々に報告があり、国王一家の逃亡が、またたく間に宮殿中に広がりました。
想像もつかなかった一大事を知り、国民衛兵軍総司令官ラ・ファイエット将軍、バイイパリ市長、国民議会会長ボーアルネ子爵が急遽集まります。その結果、ボーアルネ子爵が国民議会で国王一家追跡の決定を告げ、ラ・ファイエット将軍の指揮の元に兵士が送られることになり、教会は鐘を鳴らしパリ市民に警告したのです。もちろんパリは大騒ぎになります。
いろいろな情報が集まり、私たちより早くチュイルリー宮殿から出た子供たちの侍女2人が、クレイエ・スイイに送られたことが判明し、その先の村や町の住民の話から大型馬車が通過したこともばれて、国王一家が向かった方角がわかったのです。そうとも知らない私たちは、ひたすらヴァレンヌへと向かっていました。予定では逃亡が発覚したときには、すでにモンメディに到着していることになっていました。それなのに、様々な事が重なって大幅に遅れてしまったのです。
クレルモンではダマ伯爵が竜騎兵と待機していたのですが、いつの間にか兵士たちが王政に反対する町民たちに丸め込まれ、指揮官の命令をきかなくなっていたのでした。私たちの馬車を見かけたダマ伯爵は、急ぎ足で馬車に近づき、事情を説明し、自分は国王一家をヴァレンヌまでお送りしますと申し出ましたが、目立つことを恐れた夫はお断りしました。それではと、伯爵は忠実な部下のひとりをヴァレンヌに送りました。レオナールの誤った通告を信じて替え馬や衛兵が持ち場を離れることを懸念して、「宝物」が間もなく到着すると告げるためです。逃亡中の国王一家のことを用心のために「宝物」と呼んでいたのです。でも、何という運命でしょう。その部下は、ヴァレンヌへの道を間違えてヴェルダンに行ってしまい、何の役に立たなかったのです。
ヴァレンヌの入り口近くには、2人の軍人が替え馬と一緒に待機していました。逃亡計画の責任者の将軍ブイエ侯爵のご子息ブイエ軍曹と、レジュクール将軍です。ところがレオナールの言葉をすっかり信用し、国王一家がその日に来ないと知った2人は、馬を人目につかない場所に移し、深い眠りに陥ってしまったのです。私たちがヴァレンヌに着いたのは夜10時半ころで、外は暗く静まりかえっていました。予定していた場所に替え馬が見つからず、もうこれ以上同じ馬を働かせるわけにはいかないと思った夫は、馬車から降りて、見知らぬ家のドアを叩いて、馬を譲ってもらおうとしました。
けれどもすっかり寝込んでいて、何の返事もなかったり、不機嫌な声でぶっきら棒に断る人ばかり。ムスティエも同じように数件試みましたが駄目でした。仕方なくそのままヴァレンヌを通過しようと決めて、ゆっくりと馬車を進め、サン・ジャング教会近くのアーチに差し掛かったころ、突然、
「止まれ、止まれ!」
という鋭い叫び声が聞こえました。
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突然、馬車が止められました。
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ドルーエの仲間の革命支持者2人が、馬車の行く手をさえぎったのです。家具や荷車でバリケードをつくっていたので、止まらざるを得ませんでした。それもドルーエが率先して計画したのです。
「一体どこに行くのですか?」
私たちの馬車の中を覗き込んで声をかけたのは、ヴァレンヌの助役であり食料品店を経営する、ジャン=バティスト・ソースと名乗る人でした。ジョルジュ市長が不在だったのでドルーエに叩き起こされ、馬車の人物を調べるよう無理やり連れてこられたのです。数人の男性がソースの周りを囲んでいました。突然の声に驚きましたが、私は疑いをもたれないように落ち着いて答えました。
「フランクフルトです」
無造作に顔を見られるのに耐えかねて、私は付け加えました。
「とても急いでいるのです」
パスポートを要求されたので、パリ出発前にフェルセンさまが準備して下さったパスポートを見せると、それを何度もひっくり返して確かめた後、ソースは近くのブラドールという宿屋に入って行きました。そこには何人かの国民衛兵が待っていたようです。
灯りに照らしてパスポートを調べると、全く問題がない。馬車が町を出るのに何の不都合もないと思ったソースでしたが、ドルーエが強硬に反対したのです。彼は怒り狂ったようにソースを怒鳴りつけたそうです。
「馬車に乗っているのは、王とその家族だ!。もしあんたが外国へ逃れるのを見逃したら、犯罪者で裏切り者になるのだ!」
すっかり怯えたソースは、夜も更けたことだし、我が家でひと休みしてはいかがでしょうかと丁寧に言い、私たちを自宅に案内しました。
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ヴァレンヌ助役の ジャン=バティスト・ソース |
その間に、教会の鐘がけたたましく鳴らされ、数人の人が駆けずりながら大声で「火事だ、火事だ」と叫んでいました。眠っている町民を起こすためだったのです。夜中に突然起こされた住民たちは、一体何事が起きたのかと、ソースの家の周りに集まってきました。今まで見たこともない立派な馬車が2台もあったので、興味が大きかったようです。寒い夜だというのに、誰もそこから動こうとしませんでした。住民たちを起こし、助役の家の周りに集めたのも、ドルーエたちが仕組んだことでした。
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馬車が身動きできない状態が続き、 この後どうなるのかと、生きた心地がしませんでした。 |
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時間が経つにつれ馬車を取り巻く人が増え、 恐怖は増す一方。
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何度も群衆を追い払って先に進もうと試みましたが、 すべて無駄に終わりました。
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ヴェレンヌの入り口で待機しながら、不覚にも眠ってしまった軍人ブイエとレジュクールは、町民の騒ぎで目覚め、そこで起きている一大事に恐れ、ストネイに駐屯しているブイエ侯爵に知らせるために馬を走らせたのです。その間に、私たちは馬車を降りてソースの住まいに向かいました。細い木の階段をのぼるときには転ばないように手すりにつかまりましたが、古びた縄でできているのでびっくりしました。ギシギシと音を立てる階段をのぼった2階の2つの部屋に通されましたが、どちらも狭く窓も小さく、これが一般国民の住まいなのかと、あまりにもみじめで一瞬たじろいだほどです。
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私たちの身分を見破った過激派の革命家ドルーエは、 すごい形相でにらみつけ、身も心も凍りつきました。
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馬車が取り囲まれ身動きができなかったので、 馬車をおりソースの家に行くことにしました。
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部屋に入ると、トゥルゼル夫人は子供たちを抱えてベッドに寝かしました。ソース夫婦が使用している何の装飾もないベッドです。長旅でよほど疲れていたのでしよう、かわいそうに、娘も息子も粗末なベッドの中で、すぐに眠ってしまいました。部屋の入り口には町民が多数押しかけ、無遠慮な目で見るのでいたたまれませんでした。いまだかつて、これほどの侮辱を受けたことがなく、ひと言注意したかったのですが、疑われないようにしなくては、と我慢していました。時間が経つに連れて町民が増え、徐々に殺気だってきたのがわかりました。ソース夫人がパンや飲み物をテーブル上に置いてくださったのですが、とてもそれを口にする気にはなれませんでした。 |
ソースの家入った私たち。 一般の国民の住まいを見たのは初めてでした。 |
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ソース夫人は気を使って、食べ物を準備してくれましたが、 心配のあまり、私は一口もいただきませんでした。 どのような状況にあっても食欲旺盛な夫は、しっかり食べていました。 そうしている間に、群衆が部屋に入ってきました。
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ドアの前でひしめき合っている人の中には、国王一家かもしれないという噂がたっているけれど、それまで話に聞いていたような金糸銀糸の豪華な服を着ていないので、ほんとうにこれがフランス国王と王妃なのかと、いぶかがっている人もいたようです。私たちが変装していたので無理もないことです。一刻も早くこの状況から解放されたいと、それだけを望んでいました。けれども、それは一瞬のうちに崩れたのです。どたどたと駆け上ってきた人の中に、夫を知っていた人がいたのです。以前ヴェルサイユに暮らしていた判事ジャック・デステです。彼は部屋に入り変装した夫の姿を見ると、感激し、跪き、
「陛下」
と言ったのです。
その言葉に夫も私も蒼白になりました。すべてが目の前で崩れ落ちたようでした。暗く、深い穴に、突然つき落とされたような絶望感におそわれ、立っていることもできず、よろめいてしまいました。一瞬、その場の空気が止まったようでした。誰もがあっけに取られて、言葉を発することも、動くこともなく、ただ硬直していたのです。これ以上身分を隠していられないと悟った夫は、落ち着いた声で言いました。
「いかにも余は国王だ」
その一言に、駆けつけていた群衆たちはざわめきました。肖像画さえも見たことがない群衆たちは、本物の国王をまじかにして、信じられないような顔で見合っていました。短時間の間に起きたことが、あまりにも現実離れしていて、私の頭の中が真っ黒に塗られたようでした。息をすることさえも困難でした。
数分後、再び階段を急ぎ足でのぼってくる音が聞こえました。ショワズール公とその助手ゴグラ男爵です。その後ろには、クレルモンで兵たちに見放されたダマ伯爵が続いていました。3人は剣を振りかざしながら群衆を押しわけて、ソースの家に入ってきたのです。部屋に入るなりショワズール公は、テキパキと夫にこの場を直ちに離れるよう進言しました。
「陛下、ここに現在40人の兵がおります。そのうちの7人がご一家ひとりひとりに付き添い、馬でこの町を離れるのです。陛下は王子さまを腕に抱き、王妃、王女さま、エリザベート王女さま、トウルゼル夫人、それに2人の侍女、合計7人のそれぞれの方々の馬は、我が指揮下の軽騎兵が操り、さらに33人の兵が全員の周囲を固く取り囲みながらヴァレンヌを一刻も早くお発ちになるのです。どうか陛下、これを実行する命令をお出しください」
私はこの案が最適だと思ったのですが、気が弱い夫は、危険があり過ぎると思ったのです。ソースの家や町中で騒いでいる数1000人の群衆に比べ、軽騎兵はわずか40人。確かに人数の差は大きすぎたのです。
「鉄砲が王妃や王子、あるいは王女にあたるかもしれない。万が一、余の命令でそのような不幸が起きたら、余は貴殿の目の前で自殺するほかない。ブイエ侯爵子息が父上に知らせに行ったようであるから、侯爵が軍と共に間もなく到着するであろう」
夫はそれを待とうというのです。私も、もはやそれ以外に方法はないと思いました。それが一刻も早いことを祈ること以外、何も考えられませんでした。まったく予期していなかったことが起き、脳が硬直したようでした。動くこともできなかったし、何も見えなかった。幸い子供たちは眠ったままでした。
と、突然、また階段がきしむ音が聞こえました。朝5時ころです。きっとブイエ侯爵だと誰もが希望に胸をときめかしました。けれども何てことでしょう。現れたのは救い主ではなく、政府が送った追跡の代表だったのです。私たちの目の前に姿を見せたのは、国民議会に派遣された2人で、あちらこちらで情報を得て、ヴァレンヌに国王一家がいることを突き止めたのです。そのひとりのバイヨンと名乗る役人が汚れた服を正し、夫に近づいて言いました。
「陛下、パリは殺気立っております。子供たちさえも危険にさらされているのです。陛下、これ以上遠くに行かないでください。国家のために、そうです、母親や子供たちのために」
疲労でしっかりした声を出せなかったのか頭が混乱していたのか、しどろもどろの話し方にいら立った私は、ベッドで寝込んでいる子供たちを指さして話をさえぎりました。
「私だって母親なのですよ」
夫もバイヨンが何を言いたいのか理解できず
「一体、何をしてほしいというのだ」
と問わずにいられなかったのです。するとばバイヨンが思いも寄らないことを口走ったのです。
「国民議会の命令書があるのです」
国民議会の命令書? 一国の国王に向かって、国民の議会が命令をするなどいまだかつてなかったことです。驚いた夫でしたが感情を抑えて問いかけました。
「それはどこにあるのかね」
その言葉に、それまで壁際に目立たないように立っていた役人が、紙を手に進み出ました。その顔を見て私は驚きで息をのみました。なぜならそれはラ・ファイエット将軍の補佐官ジャン=ルイ・ロメフで、よく知っている人だったからです。
「なんてこと、ムッシュー! あなた・・ああ、まさかあなたが・・・信じられません !」
ロメフは自分に課せられた役目に胸を痛めていたのでしょう、涙を流し、極度に緊張しながら夫に近づき、国民議会の命令書を差し出しました。それを受けっ取った夫は、声をあげてそこに書かれている文を読みました。
「すべての役人に命じる。国王一家全員を捕えるべし」
その恐ろしい言葉は、私の耳の中で何度もくり返し響いていました。
「国王一家全員を捉えるべし、国王一家全員を捉えるべし」
大きな瞳に悲しみを広げ、夫は私を見ながら力なく言いました。
「フランスにはもはや国王はいないのだ」
そう言いながらそのいまわしい紙切れをベッドの上に置いたので、私は子供たちを汚したくないと、それを取って床の上に叩きつけました。それにしても、何故ブイエ侯爵率いる軍が到着しないのか、激しい怒りがこみ上げてくるばかりでした。夫もブイエ侯爵の到着に唯一の期待をよせ、時間稼ぎのために食事を用意するよう頼みました。こんな非常事態によく食欲が出ると思いましたが、ゆっくり食事をすることによって、群衆たちが先ほどから要求している、パリ行きを延ばすつもりだったのです。
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国王一家を捕えると書かれている用紙を見て、 屈辱と悔しさで思わず叫び声をあげてしまいました。
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けれども、期待していたブイエ侯爵は一向に現れませんでした。騒ぎを知って、近くの町や村からも、王と王妃をひと目見ようと住人たちが押しかけ、ヴァレンヌは身動きできない状態になっていました。彼らは大声で
「パリへ!、パリへ!」
と叫び続け、その大合唱はとまることはありませんでした。子供たちが疲れているからもうしばらく休ませたいと言ったり、侍女のひとりが緊張や恐怖から卒倒したので、介抱に時間をかけたり、何とかブイエ侯爵の有力な軍が到着までと頑張ったのですが、さずがにこれ以上ヴァレンヌに留まったいることができなくなり、夫は馬車を準備する命令をだしました。
あきらめた私たちが馬車に乗ったのは朝8時ころでした。それからわずか15分後に、ブイエ侯爵が兵たちと共にヴァレンヌに到着したと後に知りました。