ナポレオンの象徴の一つは真横に被る二角帽。戦場で自分を識別しやすいからというのがその理由だった。終焉の地セント・ヘレナ島でも被っていたほど、帽子に愛着をいだいていた。生涯で120~160もの帽子を注文したとされている。もっとも全て同じ形ではなく、二角帽ではあるが、時代や地位向上に従っても変化をつけていた。外見が重要な役割りを果たすことを知っていた人だったのだ。
![]() |
ナポレオンの帽子の変化。 上/ヴァンデミエール時代、執政時代、帝政時代、 中/オステルリッツの戦い、ワグラムの戦い、モスクワ遠征、 下/ワーテルロ―の戦い、セント・ヘレナ島 |
![]() |
第一執政時代のナポレオン |
ナポレオン亡き後、角が二つある独特な二角帽はオークションで高値で売られ、個人や博物館、シャトーなどが買っているが、パリのレストラン、ル・プロコープに置いてあるのはちょっと違う。ボナパルト将軍だった時に、学生街のこのレストランで食事し、代金の代りにこの帽子を置いていったもので、有名な二角帽ではなく、それ以前の帽子で形が異なる。イタリア遠征の勝利者として人々が彼の名を語っていた時代だった。
ナポレオンの帽子を作っていたのはパリの帽子店プパールで、黒いビーバーのフェルトを使用し、頭の部分の裏地はサテン。19世紀から20世紀初頭まで、様々な国で軍人が二角帽を被っていた。通常、角が前後に見えるように縦に被るが、ナポレオンは真横に被り、そのために帽子が大きく見えひときわ目立っていた。将軍や元帥が被っていた帽子と区別をつけたかったために、自分にふさわしい帽子を注文するようになったのは30歳のころから。帽子の高さは24~26センチで、幅は44~47センチと記録が残っている。
ナポレオンが食事代のかわりに帽子を置いていったル・プロコープは、1686年にカフェとしてオープンし、その後レストランになり、現存するパリ最古のカフェ・レストランという栄誉に輝ている。改築が何度か行われたとはいえ、長い歴史が刻まれているし、それにふさわしいトラディショナルなフレンチを味わえるのが醍醐味。18世紀にはヴォルテールやディドロが常連だったし、革命の時代には首謀者のロベスピエールやダントン、マラーがここで会合を開き、その後は文芸人が好む場になる。当時は着飾った人々が集まる、社交場のような役割を果たしていたのだった。
![]() |
ヴォルテールとディドロを中心とした ル・プロコープでの会食。 |
![]() |
お洒落なインテリア、美味を味わえるル・プロコープ 着飾って行きたくなる社交場的存在だった。 |
久しぶりにル・プロコープに行ったのは、ナポレオン1世が皇帝だった時代の医学、医者に関する講演とランチに出席するため。会場は2階の「デイドロの間」。以前はレストランの入り口に飾ってあったナポレオンの帽子は、2階のガラスケースに入っていた。有名なナポレオンの帽子を見ていると、大望を抱く若くほっそりしたナポレオンの姿が浮かぶようで、感慨深かった。忘れがたい思い出が、また増えました。
![]() |
レストラン2階に飾ってあるナポレオンの帽子。 若き日のナポレオン・ボナパルトの野心にあふれた顔が浮かんでくる。 |
![]() |
ナポレオンに格別の情熱を抱き、 今でもコレクションを続けている マルセル・ジュルノ博士の講演。 |
![]() |
ランチと講演は3時間続きました。 あっと言う間に終わったと感じたほど、充実したひととき。 |
![]() |
パリ最古のカフェ・レストラン、ル・プロコープ |
コメントを投稿