2025年4月8日

マティスとマルグリット展 8月24日まで

 パリ市立近代美術館で開催中の、マティスの視線で見た娘マルグリット展覧会は、とても興味深い。一人娘のマルグリットを描いたデッサン、絵、彫刻、版画など展示作品は110を越え、それに加え家族の貴重な写真もあり、巨匠マティスの知られざる部分に触れたように思える。

マルグリットはマティスが20代半ばの若い頃に、恋人キャロリーヌ・ジョブローとの間に生まれたが、2人は結婚せず、マルグリットは、当初、母親の名を語っていた。その後マティスがアメリー・パレルと結婚し、アメリーの希望で5歳のマルグリットはマティス家に迎られ、それ以降マルグリット・マティスとなる。それから2年後にジフテリアにかかり大手術をし、その傷跡を隠すために、彼女はハイネックの服や黒いリボンを首に巻くようになる。今回の展覧会でも、黒いリボンを首に巻いた肖像画が多いのが目立つ。

その後、2人の弟が生まれるが、マティスは一人娘に格別な愛を注ぎ、彼女はアメリー同様にマティスのお気に入りのモデルになる。地中海の寛大な太陽に魅了されたマティスは、家族と離れニースに暮らすことにする。一方、パリに住むマルグリットは結婚し、息子クロードが生まれ、第二次世界大戦の際にレジスタンス運動に加わり、逮捕され、奇跡的に生還。

このように父娘の間は数年間途切れるが、戦後、マルグリットは父の展覧会を開催したり、作品保護に全力をつくし、1954年、マチスがニースで84歳の生涯を閉じたときには、その傍らに娘がいた。マルグリットは1982年に世を去るまで、フォービスムの巨匠アンリ・マティスの作品管理を情熱を込めてこなしていたのだった。

手術後の暗い表情のマルグリット。
首の傷跡を隠すために、ハイネックの服を着ている。
体が弱かったマルグリットは、通常の学校生活を送れず、
父のアトリエで学んだり、母から多くのことを教えてもらったりいた。
室内で読書にふけるマルグリット。12歳頃。

体は弱かったが、精神的強さを感じさせる作品。
これは未完成の絵と見られている。

マティスが描いた娘の絵や素描は100点をこえている。
マルグリットで埋まるマティスのデッサン帳

一時期画家を目指したマルグリットの自画像。
1915-1916年の作品。

マティスのキュービズムへの関心が見える作品。
マルグリットのジャケットの縞模様が
顔に影響を与えている1914年の作品で、
当時はまったく理解されず、買い手がなく、
マティスは世を去るまで自分の住まいに置いていた。

1921 年からしばらくの間ニースに暮らしていたマルグリットは、
プロのモデル、アンリエットと度々マティスのためにポーズをとっていた。
ホテルのバルコニーから花の祭典を見る2人
1923年、マルグリットは作家で美術評論家ジョルジュ・デゥツイユと結婚。
2人は一時期マティスのニースの家に暮らす。
家のバルコニーから見える「天使の湾」を描いた
マルグリットの1925年の作品。

画家になるのを諦めたマルグリットは、
服のデザイナーになる決心をする。
1935年にロンドンでコレクションを発表、
その時の作品のひとつ、オーガンジーのドレス。
デザイナーとしての活躍は、その後見られなかった。
  
結婚、息子誕生、離婚、
レジスタンス運動、逮捕、拷問・・・
多くの出来事を力強く生きて来たマルグリット。

老いて、健康を損なっていた父を見守る娘は、
以前の厳しい表情から抜け出て、温和で平和な表情をしていた。
マティスによる最後のマルグリット肖像画。1945年作。