2026年8月3日

マリー・アントワネット自叙伝 68

コンシエルジュリーへ

8月2日夜のことでした。

監視員たちに囲まれた役人が、突然、部屋に入って来ました。4人だったと思いますが、先頭コンシエルジュリーへにいた人は顔見知りでした。バッツ男爵が計画した私たちの脱出計画に加わった、監獄監督官ミショニです。

あまりにもいろいろなことが引き続きあったので、私は自分の身に起きたことがよく理解できませんでした。茫然としている私の目の前で、役人は紙を広げ、そこに書いてある文字を読み上げました。それが裁判を受けるためにコンシエルジュリーに移すという内容だったことがわかるまでに、数秒必要でした。


これまでに何度も不条理な決定を押し付けられてきた私は、声をあげることもなく、黙ったまま支度にかかりました。着替えた服のポケットを、役人が無遠慮に探ったときにも、抵抗しなかったし、何も言いませんでした。ハンカチを握りしめ、娘を抱擁し、

「勇気を持つのです。健康に気をつけて」

とだけ言い、その後、義理の妹に娘と息子をよろしくと頼み、9カ月間住んだタンプル塔を後にしました。

いくつものドアと、いくつもの階段をおりて庭に出て、そこに待っていた馬車に乗ったのは2日の朝2時ころだったでしょう。20分後くらいにシテ島に到着しました。

私が移されるコンシエルジュリーは、その島のセーヌ川に面した建物の一角にあるのです。

私が捕らえられていた2番目の牢屋
左に窓の外は中庭ですが、一度も行ったことがありません。

コンシエルジュリーに着いて馬車をおり、ミショニにうながされて中に入ると、所長のリシャールが分厚い名簿を開いて、

「280番目の囚人、フランスに対して陰謀を図った罪」

 と記録したのでした。

 私は元王妃でも、カペーの寡婦でもなく、番号のみの囚人のひとりになったのです。

 その後、私は奥まった所にある部屋に連れて行かれました。部屋ではなく、正確には牢屋です。壁も床も天井もデコボコの石造りで、暗く、狭く、湿気がひどく、鉄格子がはめてある小さな窓が一つだけありました。その外は「女たちの中庭」と呼ばれる狭い空間があり、そこで女囚たちが時々お散歩していたのです。


私が入れられたのは、怖ろしいほど殺風景な牢屋でした。狭いのに、屏風で2つに仕切られていて、私の部屋の向こう側で、2人の監視人が四六時中見張ると知ったときには、驚きました。私には一秒の自由も、プライベシーも許されないということなのです。

ここにいつまで閉じ込められているのか、私はもちろん、所長リシャールも知らなかったのです。革命家たちがすることは、本人たちでさえもはっきりわからず、何事も毎回議論を交わして決めていたのです。その間に意見が合わなくなり、昨日まで同士だった人を処刑にさえ追いやっていたのです。


コンシエルジュリーは「死の控え室」と呼ばれ、恐れられていたことは私も知っていました。ここから無事に出れるという希望は皆無でした。でも、身なりは貧しくても心の気高さは保っていようと、小さな牢屋で決心しました。

 

私が来ることを知らされたコンシエルジュリー所長の妻マリー・リシャールは、女中ロザリー・ラモルリエールに手伝ってもらいながら、大急ぎで最低限必要なものを揃え、牢屋に置いてくれました。簡易ベッド、マットレス2枚、細長い枕、毛布、籐椅子、テーブル、トイレなどでした。リシャール夫人は新しいシーツをベッドに敷いてくれたし、ロザリーは自分の部屋から、背もたれのない丸い椅子を持ってきてくれました。カビで黒ずんだ個所に、傷んでいるとはいえタペストリーさえかけてくれたり、2人とも気を配っているのがわかり、冷たく暗い牢屋にわずかながら、温かみが感じられる思いでした。

心の優しいロザリ―さん。

ロザリーはピカルディ地方の貧しい靴屋に生まれたそうです。私の世話をするようになったとき25歳で、整った顔立ちの美人でした。教育を受けたことがないので、読み書きはできませんでしたが、心の優しい娘さんで、私のために最大のことをしてあげたい、という心遣いがはっきり感じられました。


コンシエルジュリーに入った初めての日、ベッドに入るために着替えを始めると、ロザリーが遠慮がちに私に近づき手伝おうとするので、ていねいにお断りしました。

「娘さん、ありがとうございます。でもお手伝いして下さる人がいなくなってから、自分でするようになりましたから」

その後、リシャール夫人とロザリーが、たいまつを1本ずつ持って部屋に置き、無言で出て行き、私は眠りに陥りました。


牢屋は屏風で2つに区切りられた、片側3メートル50センチの小さな部屋で、屏風の反対側に待機する看守は、ジャン・ジルベールとフランソワ・デュフレンヌでした。仕切りは叩いたら壊れそうな簡単な屏風だけで、しかも背が高くないので、上から私がいる場所が丸見えでした。その中で暮らす身になった自分を惨めに感じないではいられませんでした。

幸いなことに、2人の看守が結構おだやかな性格で、私に気をつかっているようにさえ思えることもあったほどです。わりと頻繁にお花を届けてくれて、それがどれほど私の心を慰めてくれたことか。

でもいつも剣を携えているので、気を許すことはできませんでした。困ったことは2人ともお酒が大好きで、毎日浴びるほどワインを飲んでいたことです。ワインをまったく飲まず、お水の味しか知らない私は、彼らが飲むワインの匂いに悩まされていました。

牢屋で着ていた肌着。


この牢屋でも、一番心が休まるのはお祈りのときでした。誰にも邪魔されることなく、静かに神にお祈りを捧げるとき、すべての不幸、すべての恨みから解放されるようでした