2010年2月18日

アンリ四世

フランスの王政の最後を飾ったのは、1589年に始まり1830年に滅びたブルボン王朝。約2世紀半にわたり、もっとも煌びやかな時代を歴史に刻んだ王朝です。

ヴェルサイユ宮殿を建築させたルイ14世も、革命で処刑されたルイ16世もブルボン王朝の君主。
そのブルボン王朝を築いたのがアンリ4世。
カトリックとプロテスタントの間で起きた宗教戦争で荒れたフランスに、「ナントの勅令」を発布して平和をもたらした国王として、高く評価されています。
そうしたアンリ4世でしたが1610年に暗殺され、

パリ最古の橋「ポン・ヌフ」の中央の騎馬像

今年は400年記念。
フランス各地でさまざまなイヴェントが行われる予定があるし、彼の伝記もすでに数多く出版。アンリ4世という名は日本人にはあまりなじみがないかも知れませんが、現存するパリ最古の橋「ポン・ヌフ」の中央の騎馬像の主、と言えば、ああそれなら知っている、と思い当たる人がいるはず。

アンリ四世はカトリーヌ・ドゥ・メディシスの娘マルゴと結婚しますが、病的なほど男に興味を抱く彼女と別れ、二番目の妃として迎えたのがマリー・ドゥ・メディシス。ふたりの間に生まれた子供が後にルイ13世となり、壮麗なヴェルサイユ宮殿の元となる狩猟の館を、ヴェルサイユの森の中に建築させます。

ブルボン王朝は崩れましたが、今でもその血を引く人はフランス、スペイン、イタリア、ベルギーなどに暮らしていて、貴族の称号も保持。そうした人々の家系をたどり、
「もしもフランスで王政復古が起きたら、いったい誰が国王になるのか」
などと、ありえもしないことを雑誌などで生真面目に特集を組むのが、フランス人のかわいらしい点。

革命で国王も王妃も、そのほか多数の貴族を処刑したフランスですが、王政時代へのノスタルジーは強い。異常なほど強い。

数年前のことですが、マリー・アントワネットの女官だった貴族夫人の子孫夫妻と彼らの友人宅を訪問したときのこと。
「お久しぶり」
と簡単な挨拶の後、分厚い貴族年鑑を引っ張り出し、
それを顔を突き合わせながら一日中見ているのです。
「あら、あの人はこんな人と結婚していたのね」とか、
「この人の学歴はこうだったのね。それで仕事は・・・」
などと、朝から晩までそればかり。

あの人もこの人も知らない私は退屈でしかたない。
それにしても貴族年鑑のすごいこと。あらゆる貴族に関して何から何まで詳しく書いてあるから、隠し事もできない。生年月日から学歴、誰が誰と結婚し、子供が何人生まれ、その子供が・・・と途切れることなく続く。

王政時代へのノスタルジーがこれほど強い国だからこそ、アンリ四世暗殺400年記念の今年、何が起きるかが楽しみ。
5月14日にアンリ4世がラヴァイヤックの手にかかって生涯を閉じたので、絶対に見逃せないのは5月。もしかしたらブルボン家の末裔が集まって何やらするかも。

それにしても、王室に特別な興味を持つのはどこの国でも同じ。
王室のうわさ話を聞いていると、世の中は実に平和だ、と思うばかり。