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アンリ4世 |
ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世で日本人にもおなじみのブルボン王朝。このフランス最後の王朝の創立者は
アンリ4世。1610年5月14日に暗殺され、6月29日に王家の墓サン・ドニ教会に埋葬されました。
ところが、革命のときに墓はあばかれ、ほとんどの王家の人々の遺骸は棺から引き出され、
共同墓地に投げ込まれたのです。
王家の人の遺体は内臓を取り出し、防腐処置をほどこしていたために保存状態がよく、革命家が棺を開けたときにも、誰であるか区別をつけることが出来たほど。
ただ、ひとりだけ防腐処置をほどこさなかった国王がいました。それはルイ15世で、彼は天然痘で逝去したために、触ることを恐れたようです。
もっとも保存状態がよかったのが、アンリ4世。国民に非常に人気があった国王で、そのために精魂込めて防腐処置をしたことも考えられます。
ところが革命家の手は、墓の中にまで及び、
アンリ4世も共同墓地に捨てられる運命。
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サン・ドニ教会 |
ナポレオン失脚で王政復古が起き、ルイ16世の弟がルイ18世として即位。
彼は直ちに先祖たちの遺骸探しを命じ、手厚くサン・ドニ教会に葬ります。アンリ4世の遺骸も発見されましたが、その時点ですでに頭部は紛失していたのです。
つまり、何物かによって盗まれたのです。その行方が不明のまま時は流れました。
ところが1919年10月31日、パリの由緒あるドルオー競売所で、頭部が競売にかけられたのです。それを購入したのはモンマルトルに住む骨董商ジョゼフ・エミル・ブルデ。彼は信じていたのです。競売にかけられた頭部がアンリ4世のものであることを。
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アンリ4世の暗殺
1610年5月14日 |
けれども誰一人としてそれを信じない。ブルデは驚くほど安い値で買い、それ以後アンリ4世の頭部であることを、各方面に力説します。耳にピアスの跡があるとか、鼻の横にほくろがあるとか、最初の暗殺未遂の跡もあるとか、ミイラ化されたその頭部に生前のアンリ4世の特徴を見出したのです。けれどもその努力は実を結ばず、彼は失意の中に1946年に世を去ります。
その後彼の妹がそれを保管。価値を知らない彼女は他の不要な品と一緒に閉まっていました。その妹から買い取ったのは役所に勤めるジャック・ベランジェ。彼は何らかの情報でそれを知り、1955年に手に入れたとのこと。彼はいわばそうした品の収集家のようです。他にもいくつか持っていそうで、歴史家の関心をひいています。
科学の進歩のおかげで、頭部は確かにアンリ4世のものであることが判明。
その内サン・ドニ教会に葬られることになるでしょう。
それにしても、1919年に競売にかけたということは、持ち主がいたということになる。
それは一体誰なのか。そのあたりを知りたいと思っていたら、
どうやらこういうことらしい。
革命時の世襲財産管理人にアレクサンドル・ルノワールという人がいて、サン・ドニ教会の王家の人々の遺骸を盗み、売っていたのです。自分のコレクションにしていたのもあったとのこと。アンリ4世の頭部はそのひとつで、それが彼の孫の時代に、エンマ・ナレ・プサーンという女性の手に入ります。孫とプサーンは知り合いで、そのために彼女がもらったのか、そのあたりははっきりしていません。
いずれにしてもアンリ4世の頭部はルノワール家を離れ、プサーン所有となったのです。彼女には子孫がいず、亡き後遺品が競売にかけられ、その中にアンリ4世の頭部もあったということなのです。
革命の時には信じられないようなことが多くあったので、今後も何がどこから出てくるかわかりません。
ここにフランスの歴史の面白さがあり、私は夢中になりっぱなし。