2011年11月26日

オペラ座でガラ・ディナー

華やかなユニフォームの
共和国騎兵隊のファンファーレ

フランスのパスツール研究所とイスラエルのワイズマン研究所が、難病の共同研究を始めるようになったのは36年前のこと。

イスラエル系フランス人の女性政治家シモーヌ・ヴェイユのイニシアティヴで、共同研究は年を重ねるごとに目覚しい成果をあげ、今では世界的に知られるようになりました。

毎年、資金を集めるために様々なイヴェントが行われますが、そのひとつが「科学と平和のためのガラ・ディナー」場は年によって異なり、今年はオペラ座。

心を弾ませながらオペラ座に入ると、そこは別世界。共和国衛兵隊の華々しいファンファーレ。優雅に着飾った人々。交差する香水の香り。シャンデリアから放たれるまぶしいほどの光線。往年の映画の一場面のように素晴らしい奮囲気。

フランスの科学者と記念撮影
ゆっくりと歩を進めながら全員が着席し、ざわざわとした話し声がやみ、いよいよソワレ開始。オーガナイザーの挨拶の後、ソプラノとバリトンの見事な歌。それに続きオペラ座のエトワールによる「白鳥の湖」のもっとも美しい場面のバレー、最後はポピュラーのメロディー。このように誰にも親しまれそうな、盛りだくさんのプログラム。その後は美味のディナー。


科学者、弁護士、建築家・・・
多彩な顔ぶれ
私のテーブルは国際色豊かで、イタリア、ポーランド、フランスの科学者、弁護士、建築家など。みな初対面なのに話題がはずみ、ディナーが終了したのは真夜中すぎ。

心の豊かさが感じられるさわやかな夜会でした。

2011年11月19日

ジェイエムウェストン 120周年記念

靴といえども
見とれてしまう素晴らしさ
南仏のリモージュに1891年に創業された靴の老舗ジェイエムウェストンが、
120周年記念のイヴェントをパリで11月17日に行いました。

確固たる伝統技術、トラディショネルとコンタンポラリーの融合あるデザインで、こだわりの趣味のクライアントを満足させているジェイエムウェストン。
現代に適した様々な企画でも話題を呼んでいます。

共和国護衛兵のブーツも製作

例えば、著名な作家による小説「ジェイエムウェストン」の出版、映画「The Shoe」の上映、そして今回の120周年記念の大イヴェント。
それも単なる記念パーティに留まらず、小説をテーマとした空間の中に招待客を招くのです。

煌びやかなユニフォームで知られている、フランス共和国護衛兵のブーツも、ジェイエムウェストン製作。
そのノウハウを駆使した限定版「カントリー・クラブ」を、この記念すべき年に発表。シックでスポーティ。

庭園にも120年記念の飾り。
友人たちと
招待客は圧倒的に男性が多く、
視線が足元に集中するのは自然の成り行き。
パーティはエッフェル塔が見える庭付きの邸宅で行われ、
パリのエスプリたっぷりでいい感じ。
シャンパンも上等。

やはりいいものはいい。

2011年11月17日

齋藤大使 帰国


斉藤大使ご夫妻と
ジャック・ラング、アラン・ドロン
齋藤泰雄駐仏全権大使が帰国されます。そのレセプションが、11月15日にサントノレ通りの大使公邸で行われました。

輝かしい経歴にもかかわらず、親しみとユーモアのある会話、しなやかな振る舞い、小さなことでも日本に関することであれば必ず出席する熱意。

2011年は東日本大震災があり、特に大変な年でした。親日家が多いフランスのこと。支援行事は各地で催されました。その多くに出席するのは、並大抵のことではなかったはず。
それなのに、当然のことだと笑顔を浮かべながらさわやかに語る。

アラン・ドロンのお嬢さんアヌシュカと
フィアンセのジュリアン。年齢も背丈も
知名度も異なるけれど、最近
知り合ってとても気が合うのです。
国の代表という重要な公務だけでなく、「皆の大使」という表現がぴったりの気さくさ。そのために在仏日本人の間で大評判でした。

夕方から始まったレセプションには、日仏の様々な分野の方々が多数出席。
その顔ぶれが素晴らしい。
ミッテラン現文化大臣、ラング元文化大臣、女性のために多くの改革をしたシモーヌ・ヴェイユ、俳優アラン・ドロン、歌手ミレイユ・マチュー、そのほか経済界の方々など多彩な顔ぶれ。大使夫妻を囲んでの会話は途切れることがありませんでした。

齋藤泰雄大使、千恵子夫人。
たくさんの素敵な思い出を本当にありがとうございました。
今後のご活躍も楽しみです。

2011年11月15日

マリー・アントワネットのバスルーム公開

マリー・アントワネット
革命で大々的に破壊されたマリー・アントワネットのバスルーム。長年の修理が終わりいよいよ公開。

バスルームといえども広々とした部屋で、床は黒と白の大理石。壁にはフェミニンな浮き彫りが施され、一日中いたいほど優雅で素晴らしい。バスタブの他にベッドがあるのが不思議ですが、これはちょっと一休みしたいときのためとか。

王家の人は通常ふたつのバスタブを置いていました。
ひとつは体を洗うためで、もうひとつは石鹸を洗い流すため。部屋は、もちろん、湯冷めしないようにたっぷりと温めていました。

マリー・アントワネットのバスルームは、何度か場所が変わりましたが、今回公開されたのは 二階の王妃のベッドルームの左にあるドアを開け、階下におりたところ。王妃はこの細い階段を通って直接バスルームに行っていました。
時代によっては、足つきバスタブをベッドルームに運んでもらっていたこともありました。

フェミニンな
マリー・アントワネットのバスルーム
photosEPV/C.Milet
女官や侍女に体を見られたくなかったマリー・アントワネットは、フランネルの長い服を着てバスタブに入っていたし、そこから出るときには大きなシーツを広げて、誰にも見られないようにしていたのです。
再現されたバスルームには三人の女性がいます。マリー・アントワネット、女官カンバン夫人、侍女。その三人のドレスは驚くべきことに紙製。見事な細工に驚嘆。そのほかのインテリア製品も興味あるものばかり。

ヴェルサイユはあまり衛生的でなかったように伝えられていますが、それは医師たちが、水が伝染する病気の素因を含ん
でいるなどと信じていたため。
体も顔も水を使わず、
乾いたタオルなどで
こすったり。その後香水。
                                                                          
                                                                
時代が進んで、それがまったく根拠のないことがわかり、バスル
ームが重視されることになりました。
マリー・アントワネットのバスルーム見学には予約が必要。
王妃のプライベートな部分を垣間見られることは、貴重です。

ヴェルサイユ宮殿
℡ 01ー3083ー7800

2011年11月12日

クリスマス装飾 その1


ロック一色の
ギャラリー・ラファイエット
11月半ばだというのに、パリはもうすっかりクリスマス。
ユーロが危ないし、経済が不調だし、そうしたときにモラルをあげようということなのか、とにかく華やぎがあちこちに輝いているパリ。

大掛かりなクリスマス装飾は、まずデパートで始まりました。
オスマン通りのふたつのデパート、ギャラリー・ラファイエットとオ・プランタンは、毎年、装飾競争を繰り広げ、それを見るために何と多くの人が集まることか。

ギャラリー・ラファイエットは今年はロックがテーマ。どのショーウィンドーもロック歌手が狂ったように歌い、踊り、
観客が奇声をあげ、
すべての悩みを吹き飛ばしそう。
ショーウィンドーのひとつでは、17時から本物のロック歌手がライヴで演奏。11月17日まで。その後はデパート内でもイヴェントがあるらしい。

それと対照的なのがオ・プランタンのショーウィンドー。
世界の主だった大都市の特徴を捕らえた大掛かりな装飾の中で、
お人形さんたちが動いたり、踊ったり。
多彩なアイディア、品格あるディスプレイが魅力。
オ・プランタン
上から東京、モスクワ、
ヴェニス

小さい子供たちが見やすいように、階段つきの台を設けているのが素晴らしい。定休日にもショーウィンドーが活躍しているのも素晴らしい。

カトリックの国フランスはクリスマスは重要な祭日。
そのために多種多様な装飾があるパリ。

それをいろいろと見ないと気がすまない私。だからクリスマス装飾のブログの続きあり。
お楽しみに!

2011年11月10日

サンローランのミューズ 永眠

ルル・ド・ラ・ファレーズ
イヴ・サンローランのミューズとして、約30年間インスピレーションを与え、
アクセサリーのデザインも担当していた
ルル・ド・ラ・ファレーズが、闘病の末11月5日に永眠しました。

由緒あるイギリス貴族の祖母、著名なマヌカンだった母、貴族出身のフランス人の父を持つルルは、
何よりも自由を愛する女性でした。

独自の感覚のルルは既成概念にとらわれることなく、服装にも考え方にも、生き方そのものに彼女ならではのスタイルがありました。
それがルルの無比の魅力になっていたのは当然のこと。

そうした女性だから、イヴ・サンローランと出会ったその瞬間から意気投合。
出会いからサンローランが亡くなるまで、ふたりは離れることがなかったのです。

イヴ・サンローラン
「いつも必ずお化粧をしていました。そうしないとイヴが顔色が悪いって心配するから」
ルルはいつかこのように裏話を語ってくれました。
「彼が沈んでいるときには、元気が出るようにすごく派手な服を着たり、おどけてみせたり」
ルルはサンローランのミューズだっただけではなかったのです。公私にわたっていなくてはならない存在だったのです。

彼女が画家バルチュスの息子と結婚したときには、率先して祝賀祭を催し、ゴージャスなシャンデリアをプレゼントしたサンローラン。
彼らを中心とする社交界は知的で、文化的で、華やかで、どれほど人々を魅了したことか。そのふたりとも去ってしまった。

寒さが一段と厳しくなった10日、サントノレ通りのサンロック教会で、
ルルへ捧げるミサがおこなわれました。

同じ教会で3年前にサンローランの準国葬がおこなわれました。
そのときルルが黒いサングラスをずっとかけていました。
その色の濃さが、彼女の悲しみの深さを代弁しているようで、
心に残ったことが昨日のように思い出されます。

教会の祭壇とミサの
プログラムの表紙を飾った
ルルの象徴的な写真
サンロック教会には多くのアーティストが葬られているために、芸術に生きた人々に捧げるミサが行われることが多いのです。

本当のパリらしいおしゃれが何であるかを、自らの装いで示していたルルは、
モード界に輝きを与えていた星だったのです。ルルははっきりした色を好む人。そうした彼女自身がカラフルで楽しい女性でした。

ミッテラン文化大臣、ピエール・ベルジェ、カトリーヌ・ドヌーヴ、イネス・ド・ラ・フレサンジュ、フランスの哲学者、イタリア貴族など各界の人々が集まったミサは、
彼女にふさわしく優美でした。

2011年11月1日

ホテル・リッツが閉まる

由緒あるホテル・リッツ
パリの名所的存在になっている高級ホテル・リッツが閉まります。
とはいっても約二年半かかるリニューアル工事のため。

現オーナーはエジプトの大実業家モハメッド・アルファイド。
1979年にリッツを購入し、その際にある程度のリニューアル工事をしたものの、
それ以降大々的な模様替えをしていなかったのです。
今回ホテルを全館閉めて工事ということは、
かなり本格的な変貌がなされるはず。

リッツといえば、ダイアナ元イギリス皇太子妃と
オーナーの子息ドディの最後の地となった所。
ふたりが揃ってホテルに入る場面と、裏口から外に出る場面のビデオが、
事件の後、何度テレビで流されたことか。

リッツはまたヘミングウェーやプルースト、チャップリン、ディートリッヒが愛し、シャネルが長年住み生涯を閉じたホテル。

友人が宿泊していた
リッツのお部屋。
王朝時代を彷彿させるインテリアが
素晴らしい。

シャネルの部屋は当時の面影をそのまま残しているし、ホテルの奥まったところにあるバー・ヘミングウェーは、彼が今そこでカクテルをじっくりと味わっているかのような、第二次世界対戦直後の雰囲気が満ち溢れています。
彼は戦いが終わったときにリッツに一番乗りし、自由に乾杯した人。
このバーでのカクテル・ヘミングウェーは、
一度は味わっていただきたい美味。

近年に続々と新ホテルが建築されてパリですが、ノスタルジーを掻き立てないではいない貴重な歴史を刻んでいるリッツは、やはり格別な存在。
工事後の2014年にどのような姿を見せてくれるか楽しみ。
でも、過去が葬られるようで寂しい気がしないでもなく、とても複雑。
バーに行ってカクテル・ヘミングウェーを飲みたい気分。