アンヴァリッドの ナポレオンのお墓 |
最近再び、DNA鑑定をして、この疑問を早く解決するべきだという意見が、専門家の間で再燃していますが、ナポレオンの親族のほとんどはそれに反対。
いまだに結論は出ていないけれど、万が一アンヴァリッドにいるのがナポレオンでないとしたら、彼は一体どこにいて、アンヴァリッドにいるのは誰なのか。
ナポレオンが流刑地セント・へレナ島で、その波乱に富んだ生涯を閉じたのは1821年5月5日。
名も書かれなかった殺風景なお墓に葬られていたナポレオンの棺は、1840年に当時のフランス国王の嘆願で掘り起こされ、遺体確認後にフランスに帰還。壮麗で感動的な儀式のもとに、ナポレオンの生前の希望にしたがって、セーヌ川のほとりに葬られたというのが、正式な発表。
セント・へレナ島に送られた代表団が、遺体確認のために棺をあけたところ、ナポレオンは猟歩兵の制服を身に付け、レジョンドヌール勲章を胸に飾り、ブーツをはき、まるで数時間前に世を去ったかのようだったと、その正式発表は続きます。
若き日の英雄の姿 |
そのために4日後に埋葬したときには、セント・ヘレナ島の気候ではすでに遺体腐敗が始まっていたはずと主張。
セント・ヘレナ島のナポレオン |
それだけでなく、奇妙なことに、真夜中の暗闇の中で遺体発掘がおこなわれたというのだから、何か意図がありそう。しかも遺体確認の時間はたったの2分間のみ。
勿論、正式発表はうそばかり書いたもので、
棺を開けた瞬間にナポレオンでないことがわかり、代表団は示し合わせて偽の報告書を書いたというのが歴史家の意見。
中には棺には石しかなかったとする人もいる。
となるとアンヴァリッドには誰も葬られていなにのかもという疑問も湧いてくる。
謎が深まる一方のナポレオンの遺体は、
彼を崇拝していたイギリス国王ジョージ4世が
イギリスに運ばせ、
ウエストミンスターに葬ったなどという説もある。
ナポレオンの最期 |
いずれにしてもDNA鑑定さえすれば、真実が判明するけれど、親族としては気が気ではないのでしょう。
今まで毎年おこなってきたアンヴァリッドでのナポレオン命日の儀式が、まったく関係ない人へのものになるのだから。
パリ市もこのままにしておいて欲しいと内心思っているはず。万が一の場合に、アンヴァリッドの過去の訪問者に対してどうしたらいいのかと考えると、いろいろ複雑。
でも私はやはり事実を知りたい。