2017年2月20日

メトロの駅名は語る 25

Temple
タンプル (3号線)

この近くには、フランス革命の際に国王一家が幽閉されていたタンプル塔があり、後年、それが取り壊され今はタンプル公園になりました。
この名から駅名が決まりました。

頑丈な石の壁に取り囲まれたタンプル騎士団の本拠地。
もともとこの地には、タンプル(テンプル)騎士団の拠点があり、豪勢な居館がありました。

キリスト教徒による第一回十字軍が、11世紀末に聖地エルサレムを手に入れると、それを守るために騎士修道会がいくつか作られます。そのひとつがタンプル騎士団。彼らは他の騎士団と同じように、修道士であり戦士でもありました。

第二回十字軍に参加した国王ルイ7世は、タンプル騎士団の業績を高く評価し、
当時パリの東近郊にあった広大な土地を寄贈します。後年パリが拡大され、その土地はパリ市内になります。

1240年から壁で取り囲んだ城砦のような建造物を創り、そこを拠点として勢力を増し、多額の寄付を受け、莫大な財産を持つようになります。
財産管理の安全性を知ったフランス国王や貴族たちは、タンプル騎士団に財産を預けたほど有力な騎士団でした。

ところが14世紀のフィリップ一世が、国王以上に裕福で有力な騎士団に激怒し、不法な罪状で騎士たちを捕らえ、財産を没収し、騎士団は廃止され、領地と建物は聖ヨハネ慈善修道会のものとなります。
タンプル騎士団の敷地内には、
高さ50メートルの大塔と、それにぴったりつく小塔も建築されました。
そこに、革命で捕らえられたルイ16世一家が幽閉されていました。
時が流れ、18世紀にルイ16世の末弟アルトワ伯の息子が、その修道会代表となり彼所有となります。その後革命の時代を迎え、修道会は廃止され、塔にルイ16世一家が幽閉されたのです。

タンプル塔の国王一家。
左から、国王の妹、国王夫妻の王女、マリー・アントワネット、
王子に勉強を教える国王。
 ナポレオン皇帝は、この忌まわしい歴史が刻まれているタンプル塔を嫌い、1808年、取り壊す命令を出し、後年に公園がつくられたのです。
一説では、王家の人々の巡礼地になるのをナポレオンが恐れ、壊させたともいわれています。