2017年6月11日

メトロの駅名は語る 45

Alésia
アレジア(4号線)

激戦地アレジアで、
ローマのシーザーに降伏する
ガリアの長ウェルキンゲトクリス(左)
紀元前のローマ人と、フランス人先祖ガリア人(ゴール人)の激戦地が駅名になっています。
ブルゴーニュ地方にある古代都市アレジアで、ガリア征服を志すシーザー率いるローマ軍と、ガリア人の長ウェルキンゲトクリスの間で激しい戦いが繰り広げられ、ローマ軍が大勝利を得ます。

18世紀に発行した、シーザーが書いた「ガリア戦記」。
これによってフランスはローマの支配下に置かれます。紀元前52年のこと。現在この地域は、アリーズ・サント・レーヌと呼ばれています。
シーザーが「ガリア戦記」 を自ら書いたために、この戦いの様子が後世に伝わりました。

以前のアレジア、
現在のアリーズ・サント・レーヌにある
ウェルキンゲトクリス像。


ウェルキンゲトクリスはフランス最初の英雄と称えられています。
というのは、戦いの敗北が見えてきた際に、彼は部下たちの身の安全と引き換えに、自ら進んで捕虜になり救ったからです。ガリア統一を果たしたのもウェルキンゲトクリスです。

1908年に激戦地の発掘が行われました。
ローマに連行されたウェルキンゲトクリスは、6年間の投獄後に処刑されます。
美貌、勇気、優れた戦略を持つ彼が、シーザーの侵略から ガリアを救うために戦ったのは、若干20歳のとき。

ルーヴル美術館にあるシーザー像。
シーザーはこの若く有能なガリアの指導者に、異常なほどの恐れを抱いていたために、処刑させたという説があります。
他の罪人を許していたシーザーでしたが、ウェルキンゲトクリスは別。
それほど彼の威力はおおきかったのです。

独裁者になったシーザーは暗殺されます。
紀元前44年、反対派の手にかかるシーザー。
アレジアの勝利から8年後のことでした。
 ウェルキンゲトクリスが脱出したり、、あるいは彼を敬愛する人が結束して反乱を起こすかもしれなかったから、いたしかたないです。でもやはり残念。英雄には長生きして欲しい。