2017年8月29日

残暑のパリ、暑い

街路樹の葉が落ち始め、気温も下がり、もう秋かしらと思っていたら、また急に暑くなっているパリです。

暑いパリ。だから、皆、テラスでお食事。
軽装でいかにも幸せそう。
昨日の最高気温は32度。今日も負けず33度。
冷房がないアパルトマンがほとんどのパリでは、この気温はやはり過ごしやすいとは言えない。

けれども、19世紀末の建物に住んでいる私は、家の中にいる限り涼しいので助かります。たとえ外が35度の気温でも、異常に厚い石壁の我が家の中では、朝晩はセーターを着るほど。

「でも、そうなると冬の寒さが厳しいでしょ」
と日本の友人は心配してくれる。

ところが、冷房にはあまり気を配らないフランス人ですが、暖房に関しては非常に熱心だし、お金をかけるのです。

この点も我がアパルトマンはセントラルヒィーングなので、建物に入ったときからホカホカ。24時間暖房だから、真冬でも薄着で過ごせるのです。

ドッグシッターとお散歩中に、
たまらないとばかりに街中の噴水に飛び込むワンちゃん。
うれやまし~い。
それにしても暑い。
長期天気予報では、この後急に気温が下がるようだけれど、信じがたい。
狂ってきている地球上では、以前のように予報も難しいのでしょう。

帽子、サングラス、日焼け止めクリーム。
武装して外出。
というわけで、日本のように衣替えなど不可能。
洋服ダンスの中には、一年中夏冬の服が並んでいるパリ生活です。

2017年8月26日

メトロの駅名は語る 51

Campo-Formio
カンポ・フォルミオ(5号線)

ナポレオンの名声を一挙に高めた、カンポ・フォルミオ条約にちなんで名が付けられました。

フランス軍とオーストリア軍の間で結ばれた
カンポ・フォルミオ条約。
右上に「ボナパルト」のサインがあります。
イタリア遠征隊総司令官ナポレオン・ボナパルトと、敵国オーストリア指揮官ルートヴィッヒ・フォン・コベンツルの間で講和条約が結ばれたのは、1797年10月18日で、イタリア北東にあるカンポ・フォルミオ村が調印の場に選ばれたために、「カンポ・フォルミオ条約」と呼ばれています。

無敵のナポレオン・ボナパルトにひれ伏すオーストリア軍。
調印後オーストリア司令官と握手を交わす若いナポレオン。
1796年、ジョゼフィーヌと結婚したばかりのナポレオンは、若干27歳でイタリア方面軍の総司令官に任命されました。

イタリア方面軍総司令官に選ばれたナポレオンと
その妻ジョゼフィーヌ。
3月に着任したナポレオンは稀にみる勇気と破格の優れた戦略で、4月にトリノを、5月にミラノを手中におさめます。

北イタリアのほとんどを支配していたオーストリアは、度重なる敗戦で大きな打撃を受け首都ウィーンまで脅かされます。 

オーストリア支配下にあった、
イタリアのヴェローナ近くのアルコレ橋を、
旗を振りかざしながら軍の先頭にたって渡るナポレオン。

兵士たちはその勇敢な姿に戦闘心をかきたてられ、
力の限り戦い、勝利をものとします。
危機を察したオーストリアはフランスとの戦いに終止部を打つために、カンポ・フォルミオ条約に調印。
これによって、フランスを攻撃するために結ばれていたオーストリア、スペイン、イギリスなどを中心とした第一次対仏同盟は崩れます。

快勝したフランスはオーストリア支配下にあった南ネーデルランド(現在のベルギー、ルクセンブルク)や、北イタリアのロンバルディア、イオニア諸島を手にします。

戦勝国フランスは領地が増えただけでなく、占領地から多額の賠償金や貴重な美術品が次々本国に送られ、その度に国中が喜びにわきます。

総司令官ナポレオン・ボナパルトは英雄として称えられ、帰国したときには熱狂的に迎えられました。
フランスの皇帝の座に就いたナポレオン。
35歳の若い皇帝でした。

それ以降、戦勝に戦勝を続けたナポレオンは、7年後に栄えあるフランス皇帝 の座に就いたのです。

2017年8月22日

ブリジット・マクロンの役割

マクロン大統領が妻ブリジットの役割を正式に設定したいと提案したとき、反対運動がおき、それに同意する30万人の署名が集まりました。

その主だった理由は、公費を大統領夫人に使ってほしくないということでした。
自分たちが選んだのはエマニュエル・マクロンであり、ブリジットではないという理由もあげられています。

歴代の大統領夫人は、夫に伴ってさまざまな役割を果たしてきましたが、その内容が設定されておらず、それを疑問に思ったマクロンが、大統領夫人の役割を正式に明らかにすべきだと提案したのです。

「エル」最新号のカバーになったブリジット・マクロン。
大統領夫人になって最初のインタヴュー記事が掲載されています。
おしゃれ上手な彼女が着ている白いジャケットはディオールで、
Tシャツとジーンズはサンローラン。

夏のヴァカンスが終わりに近づいた8月21日、突然、ブリジットの職務がエリゼ宮のサイトで発表されました。

国際的行事の際に大統領に伴ってフランス代表を務める。
エリゼ宮での公式なレセプションや行事の監視をする。
慈善、文化、社会的行事を支援したり参加する。
顧問は二人、秘書はひとり。
報酬はない。予算も持たない。支出はすべて大統領がまかなう。

アメリカのように「ファーストレディ」のタイトルはなく、「共和国大統領夫人」と呼ばれるそうです。
公式発表とはいえ、法的なものではなく、マクロンが大統領職にある期間のみのブリジットの役割です。

ブリジットの知性、行動力、魅力を誰よりもよくしっているマクロンは、彼女を単なる大統領の伴侶に留めておきたくないのでしょう。

ブリジットの人気は上昇する一方。
彼女はフランスが今必要としている希望の化身のように思っています。

パリの犬たち 139

大好きなママン
ボクをここにおいて、また食べ物を買いにいってしまったママン。
はやくもどってきてね。ボクとってもこころぼそいの。
アッ、もしかしてあれはママン?
ボクここだよ。
ここにいるのがボクだよ、見える?
キャーッ! やっぱりママンだ。
こっちを向いてくれた。

うれしいなぁ~、うれしいなぁ~、
はやくだっこして!

2017年8月17日

パリの犬たち 138

だ~れもいないパリ
みんな、どこにいるの?
姿も見えなければ、声も聞こえない。



そうか、そうなのだ。
今はヴァカンスでみんな山や海に行っているんだ。
やっぱりさみしいよ。グスン、グスン、グス~ン。
早くパリに帰ってきてね。

2017年8月16日

8月15日

8月15日は、日本では第二次世界大戦の終戦記念日。
この日が近づくと、戦争を体験した方々の苦労や悲劇が報道され、そのたびに心が痛みます。

聖母マリアさまの被昇天を描いた17世紀の絵。
カトリックの国では、8月15日は聖母マリアさまの被昇天祭の日とされ祝日です。
聖母マリアさまの被昇天というのは、聖母マリアさまの霊魂と体が天に上げられたという意味です。

カトリック教徒が多いフランスでは、各教会で特別なミサがあげられます。
聖母マリアさまが出現したピレネー山脈の麓のルールドや、パリのバック通りにある礼拝堂に、世界中から多数の巡礼者が集まるのもこの日です。

ナポレオンの母、レティツィア・ボナパルト。
ナポレオンが生涯自慢していた知性、勇気、美貌の持ち主。
85歳で世を去ります。
8月15日はナポレオンのお誕生日でもあります。
その日ナポレオンの母レティツィアは、コルシカ島のノートル・ダム教会でミサに参列していました。
ところが陣痛が始まり、しばらくの間こらえていましたが、陣痛が激しくなったために急いで家に戻ります。
ナポレオンが生まれた部屋。1921年の写真。
生家はコルシカ島のアジャクシオにあり、今は豪華な内装になっています。
無事に家に着いたレティツィアでしたが、二階の寝室まで行く力がなく、一階のサロンで出産。
生まれた子供は頭が大きい男の子で、ナブリオーネと名付けられます。
後にフランスに暮らすようになり、ナブリオーネをフランス風にナポレオンと変えたのです。

若き日のナポレオン。
聖母マリアさまの被昇天祭の日を選んで誕生したナポレオン。彼は生まれたときから特別の人だったのです。

2017年8月13日

鳩の足に毛が・・・・

久々に公園に行ったら、何と足に毛がはえた鳩がいてびっくり。

早速家に帰って調べてみると、足に立派な毛がある鳩が結構いるようです。
私が知らなかっただけで、ずっと以前からいたのです。

「ムッシューのお靴もステキだけれど、ボクの足も見て」
と鳩さんがよってきます。


「横からも見てッ!! 個性的でいいでしょ」
とご自慢です。
最近つくづく思います。
この地球上には私がしらないことがたくさんあるのだと。
この鳩もいい例。

このように毎日お勉強です。

2017年8月11日

メトロの駅名は語る 50

Bréguet=Sabin
ブレゲ=サバン(5号線)

高級時計で有名なブレゲと、18世紀のパリ市参事官サバンに捧げられた駅名。

200年以上の歴史を誇る時計メーカー、ブレゲの創立者、
アブラアン=ルイ・ブレゲ。

アブラアン=ルイ・ブレゲが1775年にパリで創立した時計メーカー「ブレゲは、「ヴァシュロン・コンスタンタンと並んで世界最古の老舗と言われています。

工房をパリ発祥地のシテ島に構え、時計をアートに昇格させたブレゲは、複雑時計でも名を成しフランス王家ご愛用となります。

ナポレオンの妹、
ナポリ王妃カロリーヌ・ミュラ。
ところが革命が起き、身の危険を感じた彼はスイスに逃れ、数年後、平和な時代になったときにパリに戻ります。

ブレゲは前にも増して画期的な時計の開発をなし、1812年、ブレスレット時計を創作し、ナポレオンの妹ナポリ王妃が購入します。ナポレオン自身もブレゲの時計を愛用していました。

ブレゲに超複雑時計を注文したマリー・アントワネット。
ブレゲの歴史に残る最高傑作は、マリー・アントワネットが注文した超複雑時計。
可能な限りの機能を備えた時計をという王妃の希望をかなえようと、凝りに凝ったブレゲは製作にかかります。
けれども革命で王妃は捕らわれの身となり、処刑されます。

ブレゲはその後も王妃がオーダーした時計製作を続けていましたが、完成前の1823年に76歳の生涯をパリでとじます。

マリー・アントワネットがオーダーした、
世界でもっとも複雑機構の時計のレプリカ。
亡き創立者の意志を継いで、メゾンが時計を完成させたのは1827年でした。
この時計はその後数人のコレクターの手を経て、エルサレムの美術館に入ります。が、1983年に盗まれ、2007年に奇跡的に発見されます。

その間に様々な資料をもとにブレゲはレプリカを製作し、世界中の時計ファンを感動させました。

これほど著名なブレゲに対し、サバンに関しての資料はほとんどなく、アブラアン=ルイ・ブレゲと同時代のパリ市参事官だったことしか分かりません。

2017年8月10日

パリの犬たち 137

何歳になっても元気なママン。
ネー、まだ歩くの?
ボクはもう疲れたよ。ちょっと休まない。ちょっとでいいから、
とお願いしても、スタスタ歩き続けるタフなママン。

かなりの年なのに、元気元気。
やっぱりお散歩が健康にいいのかもしれないワン。
ボクも見習わなくては・・・・

2017年8月9日

地中海で輝くマルタ共和国

東京の約半分ほどの小さな共和国マルタ。
規模は小さいけれど、古い歴史と混じりけのない濃いブルーの海に囲まれた、魅力たっぷりの島です。

首都のヴァレッタ。
パリから飛行機で3時間弱の距離。
こんなに近いのに、歴史も文化も言葉も異なる別世界なのが不思議。
この小さな共和国の首都ヴァレッタがあるマルタ島と、巨石文化があるゴゾ島訪問が目的の旅です。

旧市街入り口近くにある「トリトンの噴水」。
ギリシャ神話に登場するトリトンは海の神さまで
上半身が人間で下半身が魚。
ヴァレッタは大活躍をした騎士団長ジャン・ド・ヴァレッタにちなんで命名されました。

11世紀、聖地エルサレムを訪れるキリスト教巡礼者のために、洗礼者ヨハネ修道会跡に病院が建築され、そこに聖ヨハネ修道会が設立されます。

ところが聖地エルサレムをめぐって争いがおき、巡礼者を守るために修道会は武装するようになり、12世紀から聖ヨハネ騎士団として軍隊の役割を果たすようになったのです。

街の中心にある騎士団長の宮殿。
13世紀から14世紀にかけて大敗した聖ヨハネ騎士団は、ロードス島に本拠を移し、そこも追われマルタ島に移住します。

16世紀、マルタ島の騎士団はオスマン・トルコ軍の襲撃を受けます。けれども、有能な騎士団長ジャン・ド・ヴァレッタの功績で見事に撃退。
騎士団は名前が変りマルタ騎士団となり、団長ヴァレッタの名が街につけられたのです。

16世紀に洗礼者ヨハネを称えるために、マルタ騎士団により建築された聖ヨハネ大聖堂。
絢爛豪華なバロック様式は目眩を覚えるほど。
床には重要な騎士たちの紋章を刻んだ大理石の墓碑があり、
その下にそれぞれ騎士が葬られています。
いろいろな国でバロック建築を見たけれど、
この華やかさには圧倒されました。
マルタ騎士団が建築した聖ヨハネ大聖堂は声を失うほど圧巻のバロック。
それだけでなく、奥まったところにある礼拝堂には、絵画史上重要なカラヴァッジョが手がけた傑作、「洗礼者ヨハネの斬首」と「聖ヒエロニスム」があります。

どこまでも続くバルコニーつきの建物。
独特な色合いの石灰岩、マルタストーンで建築。
細い道、坂、階段に象徴される街です。
バレッタの多くの建造物はバロックで、街全体が世界遺産に登録されています。
建築に使用されているマルタストーンと呼ばれるピンクがかった石灰岩は、ほかで見られない美しい色合い。坂、階段、細い道をはさんだバルコニーつきの建物には、独特の情緒があり、過ぎ去った何世紀も前の国にいるような錯覚をおこします。

何度もくり返し日焼け止めクリームを塗っていました。
日差しの強さは半端ではないのです。
マルタ島でかかせないのは、ブルー・グロット、ブルーの洞窟です。
小舟に乗って、洞窟の中をあちらこちら周り、深いブルーの色を堪能するのです。
その澄み切った色の素晴らしいこと。やはり地中海はいい。陸から遠いほどキレイ。
小舟に乗る前に上からブルーの海を堪能。
同じ趣味を持っているらしい鳩さんと一緒にうっとり。
このブルーの深みはきっと生涯脳裏から離れない。
洞窟の中を探検。どこまで続く感動的なブルー。
マルタ島の北端からフェリーで30分足らずのところにあるゴゾ島には、世界最古といわれている巨石文化があります。
マルタ島の外れまでバスに乗り、
そこからゴゾ島行きのフェリーに。
紺碧の地中海を足元に感じながら、
爽やかな風に身をゆだねる心地よさは最高。



ゴゾ島のジュガンティーヤと呼ばれる神殿は、何と石器時代のもので5500年前に造られたそうで、エジプトのピラミッドより古いのです。
世界最古の巨石文化。
5500年前に造られたジュガンティーヤ神殿。
石器時代の建築と知って、人間の歴史の長さに改めて驚きます。
 もっとも高い部分は6メートルもあり、祈りの場にふさわしく祭壇もある。
祭壇といってもデコボコの石を積み上げただけの素朴なもの。
それだけに心の奥深くに響く感動があります。

タピーネ教会。
奇跡で不治の病から救われた人々の
感謝の手紙が多数展示されています。
ゴゾ島には巡礼者が後をたたない教会もあります。
農婦が聖母マリアさまの声を聞き、その後数々の奇跡がおきた地にあった小さな教会が、時と共に立派な建造物になったタピーネ教会です。
教会は草原の真っ只中にあり、聖母マリアさまの声が聞こえるのにふさわしい清らかさが広がっています。

対岸から見るマルタ共和国の首府ヴァレッタ。
夕暮れの美しさも見逃せない。
 フランス領になったり、イギリス領になったり、起伏に富んだ歴史があるマルタ共和国。
 豊かな歴史、文化、親切な人々に出会える国。またぜひ行きたい。

マルタが誇るガラス工芸品。
白が多い我が家のサロンにぴったり。
この国の特産品はガラス工芸品だそうで、もちろんひとつ買いました。
記念に買った花瓶は、アパルトマンのサロンのマントロピースの上で、あの忘れえぬブルーをたたえながら、毎日幸福感に包んでくれています。