カンポ・フォルミオ(5号線)
ナポレオンの名声を一挙に高めた、カンポ・フォルミオ条約にちなんで名が付けられました。
フランス軍とオーストリア軍の間で結ばれた カンポ・フォルミオ条約。 右上に「ボナパルト」のサインがあります。 |
無敵のナポレオン・ボナパルトにひれ伏すオーストリア軍。 |
調印後オーストリア司令官と握手を交わす若いナポレオン。 |
イタリア方面軍総司令官に選ばれたナポレオンと その妻ジョゼフィーヌ。 |
北イタリアのほとんどを支配していたオーストリアは、度重なる敗戦で大きな打撃を受け首都ウィーンまで脅かされます。
オーストリア支配下にあった、 イタリアのヴェローナ近くのアルコレ橋を、 旗を振りかざしながら軍の先頭にたって渡るナポレオン。 兵士たちはその勇敢な姿に戦闘心をかきたてられ、 力の限り戦い、勝利をものとします。 |
これによって、フランスを攻撃するために結ばれていたオーストリア、スペイン、イギリスなどを中心とした第一次対仏同盟は崩れます。
快勝したフランスはオーストリア支配下にあった南ネーデルランド(現在のベルギー、ルクセンブルク)や、北イタリアのロンバルディア、イオニア諸島を手にします。
戦勝国フランスは領地が増えただけでなく、占領地から多額の賠償金や貴重な美術品が次々本国に送られ、その度に国中が喜びにわきます。
総司令官ナポレオン・ボナパルトは英雄として称えられ、帰国したときには熱狂的に迎えられました。
フランスの皇帝の座に就いたナポレオン。 35歳の若い皇帝でした。 |
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