アンディ・ウォーホルによるイヴ・サンローラン。 サンローラン存命中から本社に飾ってありました。 |
それを人生の大きな目標のひとつにしていたベルジェは、細部に渡って吟味に吟味を重ねながら計画し、工事が進む様子を誰よりも楽しみにしていました。
アートをモードに取り入れたサンローランは 美術品のコレクターでした。 |
お元気な姿を見せていたときに語るベルジェは誇らしげであり、それ以上に嬉しさを隠しきれないといった、晴れやかな表情を浮かべていたのが思い出されます。
「一番好きな色はと聞かれたら、躊躇することなく黒と答えます」 と語っていたサンローラン。 |
サンローランがクリエイトし続けていた 正統派エレガンス。 |
彼なしではメゾン「イヴ・サンローラン」はこれほどの飛躍をしなかったことは、世界中が認めていること。
『私のメゾンへのオマージュ』と呼ばれる作品。 「ある日、ムッシュー・サンローランから電話があり、 素晴らしいシャンデリアを買ったので、 それを表現する刺繍をしてくださいと頼まれました」 と、ルサージュが裏話をしてくださったことがあります。 それを思い出しながら目の前にその作品を見るのは 大きな感動です。 |
中でも、2010年にプティ・パレ美術館で開催した「イヴ・サンローラン展」は、亡きサンローランへの最大のオマージュと言えるすばらしさでした。
デッサンも多数展示されています。 |
そうしたベルジェがもっとも力を入れていたのは「イヴ・サンローラン ミュージアム」設立でした。
ゴージャスなアクセサリーの展示方法が独創的です。 |
サンローランのアトリエ。当時のまま残っています。 |
アトリエのシンプルな机。 後ろに友人だったベルナール・ブュッフェが描いた 若き日のサンローランのデッサンが見えます。 |
マラケッシュのミュージアムは、おふたりが格別に愛着を持っていた別荘マジョレル庭園に隣接し、10月半ばにオープンします。サンローランはこの別荘でほとんどのクリエーションをしていました。
この二つのミュージアムの完成とオープニングを誰よりも待っていたピエール・ベルジェでしたが、その数日前の9月8日に静かに旅立ちました。
オープニング・パーティー出席の殿方は皆、黒い服装。 サロンの壁にはサンローランのモノクロ写真が飾られています。 |
サロンでドリンク片手に談笑。 メゾンの人はほとんど知り合いなので、 まるで親しい友人に再会したかのように楽しい。 |
扉を開けたばかりのパリの「イヴ・サンローラン ミュージアム」に展示されているのは、正統派エレガンスの真骨頂の作品ばかり。感嘆しないではいられません。
「モードは去る、スタイルは残る」と語っていたサンローラン。彼は彼の彼だけがクリエーションできるスタイルを確立しました。展示作品を見ていると、彼のスタイルのアイデンティティが伝わってきます。
それゆえにベルジェは
「代理人によるオートクチュールなど存在しない。意味がない」
と、サンローラン引退と同時にオートクチュールに終始部を打ったのです。
その中から代表作を選んでパリのミュージアムで展示しているほか、デッサン、アクセサリー、貴重な記録映像もあります。
もっとも感動するのはサンローランのアトリエ。
壁際には本が高く並べられ、彼が使用していた机や、鉛筆などが当時のまま保存されています。
イヴ・サンローラン ミュージアム。 ナポレオン3世の第二帝政時代に建築された邸宅。 インテリアは当時の様式を重んじていて、 歴史と文化に造詣が深く敬意を表していた サンローランとベルジェの配慮が伝わってきます。 |
サンローランと言葉を交わしたのも、握手をしたのも、愛犬と通路を歩く姿を見たのもこの旧邸宅だった。
何度も訪れたベルジェの事務所も、この建物の階上にあった。
様々な思い出が去来し、しばらくその場を離れられませんでした。
今は「メゾン イヴ・サンローラン」ではなく、「イヴ・サンローラン ミュージアム」なのだ。イリュミネーションの中の文字がはっきりとそれを語っている。
サンローランのエレガンスはフランス文化でした。 |
人は去り、建物と思い出だけがいつまでも残る。
きっとこのミュージアムを訪れるたびにノスタルジーにかられるでしょう。
Musée Yves Saint Laurent
5 avenue Marceau
75116 Paris
01 44 31 64 00
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