パッシー(6号線)
以前はパリ近郊の村だったパッシー。その名が駅名になっています。
このパッシー村がパリの仲間入りをしたのは1860年のこと。
それまでは、風車がいくつもあるのどかな村で、それに魅了されて多くの著名人が暮らしていました。
フランスの文豪バルザックが暮らしていた家。 |
同じようにイタリア人の作曲家ロッシニーは有名な美食家で、引退後は料理に夢中になり、レストランを開き、多くのレシピも残しました。
彼もパッシーに暮らしこの地で86歳の生涯を閉じます。
ベンジャミン・フランクリンが住んでいた豪邸。 庭園から見た館。 |
駐仏アメリカ大使だったフランクリンは、フランスがアメリカ独立戦争を支援するようルイ16世に嘆願します。
100ドル紙幣の肖像画になっている ベンジャミン・フランクリン。 |
セーヌ川を見下ろせる最高の地に建築されたパッシー城。 19世紀に敷地が分割され、今は面影は残っていません。 |
そのひとつが、現在のラジオ局からアヴェニュー・モザールまで続く広大な敷地の中に建築されたパッシー城。18世紀からブランヴィリエ城と呼ばれていた壮麗なシャトーです。
14世紀に建築され、貴族や銀行家、実業家が贅をつくした生活を送ったのち、1826年に敷地が分割されました。
ランバル公爵夫人が住んでいた邸宅。 後年にトルコ大使館になる、それ以前の館の写真。 |
マリー・アントワネットがもっとも信頼を寄せていた ランバル公爵夫人。 |
ランバル公爵夫人は革命が起きた際にロンドンに渡ります。けれども国王一家が心配のあまりパリに戻り、逮捕され、犠牲になります。
彼女のパッシーの館は荒らされ、家具は売り払われます。
革命後、病院になったり富豪の館になったり、起伏に富んだ運命をたどり、現在はトルコ大使公邸になっています。
19世紀に姿を消した道路。 この界隈に後年にパッシー広場が生まれます。 |
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