ポン・ヌフ(7号線)
「新しい橋」という意味のポン・ヌフですが、実は現存するパリ最古の橋。
当時は確かに色々な意味で新しい橋でした。
現存するパリ最古の橋、ポンヌフ。 歩道が設置された最初の橋であり、 セーヌ川の右岸と左岸をつなぐ最初の石造りの橋であり、 それ以前の橋のように、住居を建築しなかった最初の橋。 このように、新しい橋と呼ばれた理由がいくつかあります。 |
橋の建築を命じたのは国王アンリ3世で、1578年5月31日、国王自ら建築用の石を置いています。国王の母、カトリーヌ・ド・メディシスも息子に連れ添っていました。
橋の建築は、次の国王アンリ4世の時代にも引き継がれます。
新しい試みは、それ以前の橋のように家屋を建てないことと、通行人を守るために歩道を設けたことでした。この橋がセーヌ川の左岸と右岸をつなぐ、最初の石造りの橋でした。
橋の歩道の上の半円形の突き出した部分に、 屋根付きの店舗が置かれました。 店舗はその後、撤去されましたが、 半円形の突き出した部分は今でも残っていて、 そこからのセーヌ川の眺めはすばらしい。 |
住むための家は造らなかったとはいえ、今でも残っている半円形の張り出し部分に、店舗がありました。
食料品、雑誌や本、オブジェなどを売る屋外の店舗は大変な人気を呼び、パリっ子のお気に入りの場になります。
店舗は時代と共に撤去され、最後のブティックが姿を消したのは1854年とされています。
橋には給水塔があり、それ自体が立派な建造物でした。 |
右岸に近いところに給水塔がありました。
塔には、井戸のほとりで語り合う、イエスとサマリア女性のレリーフが描かれていました。そのために「サマリテーヌの噴水」と呼ばれていました。
サマリア女性はフランス語でサマリテーヌ。給水塔があった近くの右岸に、後にデパートが誕生し、サマリテーヌと名付けています。
ポン・ヌフを完成させたアンリ4世は、それから間もない1610年に暗殺されます。それを悼んだ王妃マリー・ド・メディシスは、1614年、橋の中央に亡き国王の青銅の騎馬像を設置させます。
ポン・ヌフ中央のアンリ4世の騎馬像。 公共広場に最初に造られた国王の像です。 ブルボン王朝を築いた偉大な国王の像を見るために、 人々はひっきりなしに集まり、 祭典を催すこともありました。1788年。 |
やがてフランスは革命に荒らされ、1792年、ポン・ヌフの騎馬像も破壊されてしまいます。
その後王政復古で王座に就いたルイ18世が、1818年、新たに偉大な先祖の騎馬像を造らせます。
1818年8月25日、ルイ18世列席のもとに、 アンリ4世の新しい騎馬像を祝うセレモニーが行われました。 |
現在見られる青銅の騎馬像は、このときのものです。
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