2018年4月15日

メトロの駅名は語る 80

Pont Neuf
ポン・ヌフ(7号線)

「新しい橋」という意味のポン・ヌフですが、実は現存するパリ最古の橋。
当時は確かに色々な意味で新しい橋でした。

現存するパリ最古の橋、ポンヌフ。

歩道が設置された最初の橋であり、
セーヌ川の右岸と左岸をつなぐ最初の石造りの橋であり、
それ以前の橋のように、住居を建築しなかった最初の橋。

このように、新しい橋と呼ばれた理由がいくつかあります。

橋の建築を命じたのは国王アンリ3世で、1578年5月31日、国王自ら建築用の石を置いています。国王の母、カトリーヌ・ド・メディシスも息子に連れ添っていました。

橋の建築は、次の国王アンリ4世の時代にも引き継がれます。

新しい試みは、それ以前の橋のように家屋を建てないことと、通行人を守るために歩道を設けたことでした。この橋がセーヌ川の左岸と右岸をつなぐ、最初の石造りの橋でした。

橋の歩道の上の半円形の突き出した部分に、
屋根付きの店舗が置かれました。

店舗はその後、撤去されましたが、
半円形の突き出した部分は今でも残っていて、
そこからのセーヌ川の眺めはすばらしい。

住むための家は造らなかったとはいえ、今でも残っている半円形の張り出し部分に、店舗がありました。

食料品、雑誌や本、オブジェなどを売る屋外の店舗は大変な人気を呼び、パリっ子のお気に入りの場になります。

店舗は時代と共に撤去され、最後のブティックが姿を消したのは1854年とされています。

橋には給水塔があり、それ自体が立派な建造物でした。


右岸に近いところに給水塔がありました。
塔には、井戸のほとりで語り合う、イエスとサマリア女性のレリーフが描かれていました。そのために「サマリテーヌの噴水」と呼ばれていました。


井戸をはさんで語り合う
イエス・キリストとサマリア女性の
美しいレリーフがある給水塔。

聖書によるとその物語は・・・

ユダヤからガリラヤに行く途中、
イエスはサマリアの「ヤコブの井戸」の傍で休息します。

そうしている間にサマリアの女性が水をくむために、
井戸に近づきます。

その姿を見たイエスは「水を飲ませてください」と語りかけます。
ユダヤ人とサマリア人の間に交流がなかったので、女性は警戒します。

けれども、イエスと話をしているうちに、
もしかしたらこの人が、
もうじき訪れると噂されて救い主、キリストではないかと思います。

女性がサマリア人たちに語ると、
イエスに会うために多くの人が集まり、話に耳を傾け、
この人こそキリストだと彼の教えに信仰を抱くようになったのです。

サマリア女性はフランス語でサマリテーヌ。給水塔があった近くの右岸に、後にデパートが誕生し、サマリテーヌと名付けています。

ポン・ヌフを完成させたアンリ4世は、それから間もない1610年に暗殺されます。それを悼んだ王妃マリー・ド・メディシスは、1614年、橋の中央に亡き国王の青銅の騎馬像を設置させます。


ポン・ヌフ中央のアンリ4世の騎馬像。
公共広場に最初に造られた国王の像です。

ブルボン王朝を築いた偉大な国王の像を見るために、
人々はひっきりなしに集まり、
祭典を催すこともありました。1788年。

やがてフランスは革命に荒らされ、1792年、ポン・ヌフの騎馬像も破壊されてしまいます。

その後王政復古で王座に就いたルイ18世が、1818年、新たに偉大な先祖の騎馬像を造らせます。

1818年8月25日、ルイ18世列席のもとに、
アンリ4世の新しい騎馬像を祝うセレモニーが行われました。

現在見られる青銅の騎馬像は、このときのものです。