2018年4月2日

メトロの駅名は語る 78

Chaussée・d'Antin=La Fayette
ショセダンタン=ラファイエット(7、9号線)

ショセ・ダンタン通りとラファイエット通りから生まれた駅名。

沼地ばかりだったために、土を盛って道路にしたショセ・ダンタン通りには、
国王ルイ15世の時代に豪奢な館がいくつも建築されました。

ダンタン公爵。(1665-1736)
高位の貴族で、ルイ14世、ルイ15世の時代に活躍。
フランス各地に複数のシャトーを持っていた大富豪。

そのひとつはダンタン公爵の大邸宅。彼の名は1712年に道路名になり、公爵の大邸宅は後年、ギャラリー・ラファイエット・デパートになります。

18、19世紀には蒼々たる富豪ばかりが暮らし、夜ごと夜会が開かれ華やかな社交が繰り広げられていました。

当時の社交界の花形は、美貌の誉れ高いレカミエ夫人。彼女が夫と暮らしていたのもショセ・ダンタン通りの邸宅でした。

レカミエ夫人(1777-1849)
16歳の時に42歳年上の銀行家レカミエと結婚。

類まれな美貌と豊かな教養で、多くの崇拝者がいて、
その一人が作家シャトーブリアン。
彼との愛は作家が世を去るまで続きました。
優美な邸宅のレカミエ夫人の憩いの間。
館のダイニングルーム。



オペラ座の踊り子でプリンス・スビーズの愛人だった、マリー=マドレーヌ・ギマールの館は、ネオ・クラシックの重厚な趣の建物でした。

マリー=マドレーヌ・ギマールの邸宅。

一方ラファイエット通りも、ショセ・ダンタン通りと同じように、歴史に残る邸宅が豪奢な姿を見せていました。

道路名は、ルイ16世の時代にアメリカ独立戦争で大活躍した、ラファイエット将軍を称えるもの。

ラファイエット将軍(1757-1834)

彼は由緒ある貴族出身で侯爵の称号を持っていましたが、アメリカの独立に共鳴し、志願してアメリカに渡ります。

独立が実現しフランスに戻った彼は「新大陸の英雄」と呼ばれるようになります。

ラファイエット通りにあった銀行家未亡人の館。1778年。
オランダ王妃オルタンスの邸宅。1899年に取り壊し。

邸宅の入り口はラフィット通りにあり、
その広大な庭園がラファイエット通りまで続いていました。

オルタンスはナポレオンの最初のお妃ジョゼフィーヌが、
亡き夫ボーアルネ子爵との間に持った娘。

ナポレオンとの絆を強めたいと思ったジョゼフィーヌは
娘をナポレオンの弟ルイと結婚させます。

ルイは兄によってオランダ国王に就任。
オルタンスとの間に生まれた3男が、第二帝政を築いた後のナポレオン3世です。


このような歴史をたどると、この界隈のかつての華やぎが伺えます。
当時の建造物が何も残っていないのが、とても残念。