ショセ・ダンタン=ラファイエット(7、9号線)
ショセ・ダンタン通りとラファイエット通りから生まれた駅名。
沼地ばかりだったために、土を盛って道路にしたショセ・ダンタン通りには、
国王ルイ15世の時代に豪奢な館がいくつも建築されました。
そのひとつはダンタン公爵の大邸宅。彼の名は1712年に道路名になり、公爵の大邸宅は後年、ギャラリー・ラファイエット・デパートになります。
18、19世紀には蒼々たる富豪ばかりが暮らし、夜ごと夜会が開かれ華やかな社交が繰り広げられていました。
当時の社交界の花形は、美貌の誉れ高いレカミエ夫人。彼女が夫と暮らしていたのもショセ・ダンタン通りの邸宅でした。
オペラ座の踊り子でプリンス・スビーズの愛人だった、マリー=マドレーヌ・ギマールの館は、ネオ・クラシックの重厚な趣の建物でした。
一方ラファイエット通りも、ショセ・ダンタン通りと同じように、歴史に残る邸宅が豪奢な姿を見せていました。
道路名は、ルイ16世の時代にアメリカ独立戦争で大活躍した、ラファイエット将軍を称えるもの。
彼は由緒ある貴族出身で侯爵の称号を持っていましたが、アメリカの独立に共鳴し、志願してアメリカに渡ります。
独立が実現しフランスに戻った彼は「新大陸の英雄」と呼ばれるようになります。
このような歴史をたどると、この界隈のかつての華やぎが伺えます。
当時の建造物が何も残っていないのが、とても残念。
ショセ・ダンタン通りとラファイエット通りから生まれた駅名。
沼地ばかりだったために、土を盛って道路にしたショセ・ダンタン通りには、
国王ルイ15世の時代に豪奢な館がいくつも建築されました。
ダンタン公爵。(1665-1736) 高位の貴族で、ルイ14世、ルイ15世の時代に活躍。 フランス各地に複数のシャトーを持っていた大富豪。 |
そのひとつはダンタン公爵の大邸宅。彼の名は1712年に道路名になり、公爵の大邸宅は後年、ギャラリー・ラファイエット・デパートになります。
18、19世紀には蒼々たる富豪ばかりが暮らし、夜ごと夜会が開かれ華やかな社交が繰り広げられていました。
当時の社交界の花形は、美貌の誉れ高いレカミエ夫人。彼女が夫と暮らしていたのもショセ・ダンタン通りの邸宅でした。
レカミエ夫人(1777-1849) 16歳の時に42歳年上の銀行家レカミエと結婚。 類まれな美貌と豊かな教養で、多くの崇拝者がいて、 その一人が作家シャトーブリアン。 彼との愛は作家が世を去るまで続きました。 |
優美な邸宅のレカミエ夫人の憩いの間。 |
館のダイニングルーム。 |
オペラ座の踊り子でプリンス・スビーズの愛人だった、マリー=マドレーヌ・ギマールの館は、ネオ・クラシックの重厚な趣の建物でした。
マリー=マドレーヌ・ギマールの邸宅。 |
一方ラファイエット通りも、ショセ・ダンタン通りと同じように、歴史に残る邸宅が豪奢な姿を見せていました。
道路名は、ルイ16世の時代にアメリカ独立戦争で大活躍した、ラファイエット将軍を称えるもの。
ラファイエット将軍(1757-1834) |
彼は由緒ある貴族出身で侯爵の称号を持っていましたが、アメリカの独立に共鳴し、志願してアメリカに渡ります。
独立が実現しフランスに戻った彼は「新大陸の英雄」と呼ばれるようになります。
ラファイエット通りにあった銀行家未亡人の館。1778年。 |
このような歴史をたどると、この界隈のかつての華やぎが伺えます。
当時の建造物が何も残っていないのが、とても残念。
コメントを投稿