2020年11月13日

メトロの駅名は語る 159

Garibaldi
ガリバルディ(13号線)

イタリア統一で活躍した英雄、ジュゼッペ・ガリバルディを称える駅名

ジュゼッペ・ガリバルディ
(1807-1882
)

ニースに生まれたガリバルディの両親海上貿易を手広く行っていて、息子は牧師か医者か弁護士になって欲しいと思っていました。けれども活動的なガリバルディは学校での勉強が苦手で、15歳のときに父親を説得して船で働く仕事に就きます。

いくつかの航海の後、オーストリア支配からイタリアを独立させ、統一国家を築こうとする政治結社、青年イタリア党を結成したマッツーニとの出会いが、ガリバルディの運命を一変させます。
ガリバルディが大々的に評価されたのは1848年で、青年イタリア党の指揮のもとに、ローマ共和国が生まれたときでした。当時のフランス皇帝ナポレオン三世は、軍を派遣しそれをつぶそうと試みます。そのときローマの防衛の指揮を取ったのはガリバルディでした。
当初は優勢だったのですが、フランス軍の巻き返しにあい、ローマを離れヴェネツィアへと向います。その後アメリカに暮らしたり、航海で様々な国に行き,1859年にイタリアで再び独立戦争が始まると、北イタリアのサルデーニャ王国の軍に入り、快勝の結果、オーストリアはその地域をあきらめ退却したのです。
これによってイタリア統一の意気込みは一気に増したのでした。1861年、ついにイタリア王国が成立。その後もローマやヴェネツィアをイタリアに併合させる戦いで活躍を続けます。彼の最終目的は共和制にすることのようでしたが、その実現を見ることなく生涯を閉じました。