パリの官庁関係の建物のほとんどは旧貴族館、と以前ブログに書きましたが、フランス銀行も同じ。ナポレオン・ボナパルトが第一執政だった時代に設立したフランス銀行が置かれている建物も、他の旧貴族館同様に歴史は長く、ルイ13世に時世の17世紀にさかのぼります。
貴族の館だった時代の「黄金の間」の豪華さは、 目を見張るばかり。 |
国王ルイ13世の国務卿を務めていたラ・ヴリリエール侯爵は、1653年にフランソワ・マンサールに広大な豪奢な館の建築を依頼します。ルイ13世、ルイ14世の時代に活躍したマンサールは、バロック建築のもっとっも優れた建築家。
マンサールがラ・ヴリリエール侯爵の依頼で建築した館。 侯爵の名前はフランス銀行前の道路名になっています。 |
ルイ13世の国務卿だった ルイ・フェリポー・ド・ラ・ヴリリエール(1599-1681) |
彼が依頼主ラ・ヴリリエール侯爵のために実現した館は、豪勢極まりないもので、中でも40mもの長いギャラリーは賞賛の的でした。イタリアとフランスの絵画を多数コレクションしていたラ・ヴリリエール侯爵は、ギャラリーの両サイドに名画を飾り、8mの高い天井には壁画を描かせ、まるで美術館の一室のよう。記録によると、侯爵が所有していた絵画は250点もあったというから、破格のコレクター。その数点は現在、ルーヴル美術館所蔵になっています。
トゥールーズ伯爵(1678-1737) |
その館をトゥールーズ伯爵が購入したのは1713年で、ルイ14世の時代。彼はルイ14世と愛妾モンテスパンの間に生まれた認知された息子で、5歳の時にすでにフランス提督の称号を持ちます。ラ・ヴリリエール侯爵の館を買ったトゥールーズ伯爵は、当時の最高の建築家ロベール・ド・コットに改築を命じロココ風にします。その時ギャラリーの羽目板に金箔が施され、金色に輝くようになり、「黄金のギャラリー」あるいは「黄金の間」と呼ばれます。
けれども革命の際に荒らされ、絵画も家具もすべて没収され、何と国立印刷局になった時期もあった。ところがナポレオン・ボナパルトが1800年にフランス銀行を創設し、1811年から旧トゥールーズ伯爵邸にフランス銀行本部を置くことになったのです。
1852年1月29日、「黄金の間」で開催されたフランス銀行の総会。 |
「黄金の間」はその後数回修復されましたが、貴族館だった面影は一部残っています。このギャラリーでは時々コンサートやソワレが開催され、11月末のコンサートでは、ピアノ、オペラ、お琴、尺八の演奏と狂言がありました。フランスのロココ様式の中での日本の伝統芸術の雅なパフォーマンス。忘れがたいひとときでした。
「黄金の間」にふさわしい煌めき。 |
コンサートが終り拍手と花束を受ける出演者たち。 |