2022年8月11日

ラクダの思い出

 テレビのドキュメンタリーをみていたら、何と、フランスにラクダを飼っている女性がいて、時折ツーリストが乗るのだと語っていた。自分で絞ったミルクでチーズを作る様子も紹介していた。ミネラルが豊富で栄養たっぷりなのだそう。厳しい気候の中で暮らす遊牧民たちは、ラクダのミルクで健康を保っているとも言われている。

ふっさりしたまつ毛のラクダは、大きな瞳がとびきり愛らしい。それに、いつも微笑んでいるような口を、ひっきりなしにモグモグさせているのも、愛嬌があっていい。その女性はラクダを家族同様に可愛がっている。

その番組をみていて、「そうだ、私もラクダに乗ったことがあった」と、突然思い出し、アルバムをひっくり返したら、3ヵ所でラクダに乗ったことが判明。いずれもアラブの国での体験。

生まれて初めてラクダに乗ったのは、エジプトのサッカラ。
紀元前2600年代に建築された世界最古のピラミッドがあり、
大学で美術史を学んだときから夢見ていた、階段ピラミッドを目前にしたときには、
身震いしたほど大感激。

サッカラのピラミッドを考案したのはイムホテップ。
彼は第三王朝のファラオ、ジェセルに忠実に仕えた人物で、医者であり、神官。
主君ジェセルのために設計したのがこのピラミッド。
ギザの3大ピラミッドは後年に建築され、
サッカラの階段ピラミッドの影響を受けているとされている。

ラクダが手足を折っている状態で乗ったときには、嬉しくて仕方なかったけれど、立ち上がると想像していたより、はるかに背が高く、思わず悲鳴を上げてしまったほど怖かった。ラクダはまず後ろ脚で立ち上がるので、乗っている私の体は勢いよく前のめりになる。その後前脚をのばすと、急に地面から大きく離れる。その上、よく見るとラクダの脚はかなり細くて長い。これで万が一走ったら、すごいスピードにちがいない。ヘルメットを被っていないし、振り落とされたらどうなるかと、ますます怖い。幸いなことにラクダ使いが手綱をしっかり握りながら、澄んだ瞳で微笑んでくれたので、騒ぐ心が落ち着いたのを今でも覚えている。

その後ラクダに乗る機会に恵まれたのはモロッコのタンジェ。フランス人が大好きな街で、別荘を持っている人が多い。そこにはマラケッシュやフェズのように、訪問する名所もなく、ただひたすらヨーロッパを離れ、北アフリカ特有の文化に身を委ねたい人が毎年集まる。自分の別荘が自慢で、お互いに招待し合い、夜を徹して語ったり踊ったりするのがタンジェでのヴァカンスの過ごし方。

別荘を持っているフランス人の友人が複数いるので、そこで、気ままにヴァカンスを過ごすのは、実に快適。そんなときに、ラクダに乗って近辺を散策する。タンジェのラクダは、どちらかというと、ヨーロッパ人に慣れている感じ。砂漠の中の唯一の交通機関というより、遊び相手。

好天気の日には、はるか彼方にスペインがちらっと見えるタンジェ。
パリからわずか2時間半ほどの飛行距離に、
ヨーロッパと全く異なる文化が守られているのが、大きな魅力。
多分、ツーリストがほとんど行かないのが幸いしているのだと思う。


もっとも強く印象に残っているのは、シナイ半島。紅海に面したホテルに泊まっていたある日、モーゼが神から十戒を授かったと言われるシナイ山と、そのふもとにある聖カタリナ修道院を訪問すうツアーに参加。聖カタリナ修道院は、6世紀に建築されたキリスト教の世界最古の修道院。

シナイ山に向かう途中の岩の間に見えた唯一の木。
ほどんど枯れているこの木がある所を、
ベドウィンはオアシスと呼んでいる、とガイドさん。
そういえば、小さな水たまりがある。

見渡す限り、ゴツゴツした岩山が続く中、2時間ほどしたころに見えてきたシナイ山は、厳しい表情をしている。その界隈はどこを見ても岩ばかり。時は、モーゼの時代から止まっているように思える。時は、ここにはないのだ。この地が生まれたときから、その状態のまま何千年も、荒涼とした厳しい自然のままでいるにちがいない。昼間だったからいいものの、暗い中では恐怖で震え上がったはず。

ラクダは砂漠の中をゆったりと歩くと信じていたので、
岩山の急な斜面を、何事もないようにおりているのを見てびっくり。
しかも人を乗せている。文句も言わずに指示に従っているラクダに、
急に愛着がわいてきた。

バスを降りた私たちの周りに、ラクダとラクダ使いが集まってきたときには、生き物の息吹を感じてほっとした。ガイドさんが誰がどのラクダに乗るか、テキパキと決める。全員が乗ったのを確認したガイドさんが先頭に立って、いよいよ見渡す限り岩山が続く中をラクダで行進。緊張と感動の一瞬。

とにかく、落ちないようにしなくてはと、そればかり頭の中で繰り返す。何しろ以前、馬から落ちたこともあるので・・・・


誰がどのラクダに乗るか話し合い中。
その間、おとなしくしくしている、賢そうなラクダたち。

自分一人でラクダの手綱をひいているように見えるけれど、
実際には、頼りになるラクダ使いがいる。

まるで、映画の一場面。
ラクダと言えば名作中の名作、「アラビアのロレンス」を思い出す。


ハプニングに見舞われることもなく、無事にラクダに揺られる散歩を終え、ホテルに戻るバスの窓から、再び岩と砂の光景を見る。どこまでも続く岩山。人を突き放すような厳しさしかない。そうした岩山のふもとで、テントを張り、いつ来るかわからないツーリスト相手の、お土産を売っている光景が見えた。その近くでラクダが下を向いている。交通機関がない土地では、荷物を運んだり、人を乗せたりするラクダは貴重な存在なのだ。下を向いているのは、ご褒美においしい食べ物をもらっているのかな、と一瞬思った。そうであってほしいと、強く思った。

行けども行けども、赤い岩山が続いている荒涼とした風景。
そのふもとでテントを張って、何やら品を売っている。
右隣りでラクダが下を向いている姿に、なぜか、ほっとした。
食べ物かお水を飲んでいるように見えたからだ。

いろいろな国で、いろいろな体験をするにつけ、自分は何も知らないのだと、ひしひしと感じないではいられない。旅をすればするほど、ますます地球が広がるように思える。