2023年1月15日

デュ・バリー夫人が暮らしていたヴェルサイユ宮殿の部屋

 ルイ15世がデュ・バリー夫人に出会ったのは1769年で、国王は59歳、夫人は26歳。王妃も公式愛妾だったポンパドゥール夫人も失っていたルイ15世は、特定の女性がいませんでした。

側近たちは代わる代わる、国王が気に入りそうな女性を紹介し、恩恵にあずかろうと必死になっていた時に、悪賢いジャン=バティスト・デュ・バリー伯爵が、自分の愛人ジャンヌ・ベキュを王に会わせる手はずを整えます。彼女はデュ・バリーの愛人だっただけでなく、多くの貴族相手の娼婦もさせられていたのです。つまり高級娼婦だったのです。

国王の公式愛妾になる女性は貴族の称号がなければならないとわかると、ジャン=バティスト・デュ・バリー伯爵は独身だった弟ギヨームを利用し、多額のお金と引き換えに書類上の結婚をさせます。このようにしてデュ・バリー伯爵夫人になった元高級娼婦は、ルイ15世を魅了し、公式愛妾の座に治まったのです。

ヴェルサイユ宮殿3階に暮らすようになったデュ・バリー夫人は、アートに造詣が深かっただけあって、家具もオブジェも彼女の趣向をこらしたものばかり。そのどれも品格があり夫人の高尚な感性が伝わってきます。すでに2度訪問し撮った写真が数枚あるので、ご紹介します。

親しい貴族夫人たちと、コンサートやゲーム、会話
を楽しんでいたサロンのひとつ。
フェミニン極まりないベッドルーム。この左手にドアがあり、
それを開けると国王の図書室に直接行ける木製の階段があります。

ベッドルームの暖炉の上に飾られているルイ15世の胸像。

奥まった所にある図書室。

デュ・バリー夫人が特に気に入っていたイス。
マリー・アントワネットと同じように、バラとピンクが好きでした。

セーヴル焼に愛着を抱いていて、多くの磁気をオーダー。
特にブルーが好きだったそう。

広々としたバスルーム。

別室で沸かしたお湯をバスタブに入れていました。

ルイ15世の2階の居室と、
3階のデュ・バリー夫人の部屋の行き来に使用していた階段のひとつ。


どの部屋も華々しさがなく、清涼ささえ感じられる装飾は、きっと国王に安らぎを与えていたことでしょう。階下の「見せるための宮廷生活」が、あまりにも豪奢だったから、ここはルイ15世にとって、ひとりの恋する男性の憩いの場だったに違いありません。

デュ・バリー夫人がここに暮らしていたのは約4年間。ルイ15世逝去にともない、宮殿から追放された彼女は、修道院に1年間暮らした後に、宮殿からさほど遠くないルーヴィシエンヌのシャトーに暮らします。亡き国王から生前にプレゼントされたシャトーです。

ルイ15世からプレゼントされたルーヴシエンヌのシャトーで、
デュ・バリー夫人は国王に感謝する豪華なソワレを催しました。
1771年9月2日。

その後革命が起き、ロンドンとルーヴィシエンヌを行き来していましたが、ルイ16世処刑を知り、自分のシャトーやジュエリーを没収されるのを懸念し、フランスに戻り、逮捕され死刑の判決が下されたのです。彼女は50歳になっていました。信じられないほど軽率ですが、子供の頃は修道院で暮らし、その後は貴族と結婚し、ついには国王の公式愛妾になったデュ・バリー夫人は、大した苦労も経験しなかった世間知らずだったといえるでしょう。彼女は貧しい人、気の毒な人に尽くす優しさを持つ女性でもあったのです。
                 

革命が起きた1789年のデュ・バリー夫人。
これが彼女の最後の肖像画で、マリー・アントワネットの
お抱え女流画家ヴィジェ=ルブラン作。
ヴィジェ=ルブランは革命が起きると直ちに国外に逃亡し生き延びます。
デュ・バリー夫人が4年間暮らしていたのは、右の3階の14部屋。
その真下の2階にルイ15世の居室があり、3つの階段でつないでいたのです。