皇太子妃になった日
5月16日朝、ラ・ミュエット城で朝早くに目覚めた私は、ヴェルサイユ宮殿へと向かいました。ウィーンに暮らしていたときから、何度も絵で見ていた華麗なヴェルサイユ宮殿に大きな憧れを抱いていたので、馬車が近づくたびに心が浮き立つのを抑えられないでいました。
ルイ15世からプレゼントされた絢爛豪華な馬車で、 ヴェルサイユ宮殿に到着しました。 思っていたよりずっと壮麗で、フランスの偉大さが伝わってきました。 |
宮殿の入り口に数えきれないほどたくさんの群衆がいるのを見た私は、馬車の素通しガラス越しに笑顔でこたえました。
「まあ、何て美しい!」
「まるでお人形さんみたいだわ」
「とってもチャーミング」
「こんなにステキな人が、皇太子妃になるなんて、フランスは幸せな国だ」
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歓迎されているのがはっきりわかった私は、この結婚を決めてくださったお母さまに感謝したほどでした。
朝10時ころ、宮殿正門の鉄の重々しい扉が両サイドに大きくあけられ、中庭に入り、馬車を降りた私は控の間に案内されました。そこで結婚衣装に着替えるのです。
ゴールドとシルバーの布地全体に、無数のダイヤモンドを散りばめたウエディングドレスを身に付け、丁寧にお化粧をし、支度を整えた私は、午後1時、ルイ15世と皇太子さまが待つ国王の執務室に向かいました。そこでお二人に深々と挨拶し、その後ゴールドの服で身を飾った皇太子さまが私の手を取り、国王の後に続きながら鏡の回廊に入りました。
身支度を整えた皇太子さまと私。 鏡の回廊を通って宮殿内の礼拝堂に向かいました。 |
73メートルもある鏡の回廊では、信じられないほど大勢の着飾った人々が待ち構えていました。357枚もの鏡が太陽光線を浴びてキラキラしているだけでもまぶしいのに、派手な服装とジュエリーの人々で輝きは頂点にたっしていて、めまいを起こしそうでした。でもしっかりと心を引き締め、動揺を見せないように満面の微笑みを保ちながら鏡の回廊を通り、礼拝堂へと入って行きました。
スイス兵が高らかに叩く太鼓の音に合わせながら礼拝堂に入ると、正面の祭壇の手前に、深紅のビロードのクッションがふたつ置かれているのが見えました。正方形のそのクッションにはゴールドの縁取りがあり、窓から差し込む太陽光線を受けて光っていました。
そこに皇太子さまと並んでひざまずき、ランスの大司教さまから祝福の言葉を受けました。その後、大司教さまが結婚指輪と13枚の金貨を清めました。コンピエーニュ城で私のサイズに合うのを選んだあのリングが、これでやっと私のものになるのです。金貨は何のためかというと、「花嫁さんを買う」という、16世紀から続いているとても屈辱的な慣習なのです。そのうちの10枚は神父さまたちのもので、残りの3枚が妻となる女性のためだそうです。
皇太子さまは私の薬指に結婚指輪をはめる前に、すぐ後ろに座っていた国王を振り返りました。国王は頭を縦に振り、リングをはめていいと許可を与え、無事に私の指におさまりました。
宮殿内の王立礼拝堂での、厳かで華麗な結婚式。 |
14 歳の私は何もわからないまま、フランス皇太子妃になりました。 感激もなく、ただ役割を果たしているだけでした。 |
ミサやオルガンの演奏が繰り返され、永遠に終わらないのではないかと心配し始めたころ、やっと結婚証明書にサインをするときがきました。まずルイ15世が署名なさり、ルイ・オーギュストさまがそれに続き、いよいよ私の番。文字にはわりと自信があったのに、この時はなぜかインクを一滴落としてしまったのです。そのために、大きなシミがついたまま、記録が残ってしまいました。
結婚証明書にサインしたとき、 うっかりインクを一滴こぼしてしまいした。 |
午後2時ころに結婚式が終わりホッとする間もなく、宮廷に仕える方々の挨拶を受けたのです。それが、これほどの人が必要なのかとあきれるほど多かったのです。
晩餐会は皇太子さまのご結婚のお祝いに、ルイ15世が宮殿内に建築を命じたオペラ劇場で行われました。どこまでも優しい国王。
そのオペラ劇場の舞台の上に長方形のテーブルを置いて、そこでお食事。私はてっきり大勢の人とご一緒の会食だと思っていたのです。ところがそうではなく、舞台上のテーブルで国王一家と高位の方だけお食事をし、それ以外の数千人の貴族たちは、空腹を抱えながら、その光景をじっと見ている奇妙な晩餐会でした。
これは14世が考えたことで、フランス国王の威勢を外国と国民に見せびらかせるために、外国大使や貴族、国民代表の前で着飾って豪華なお食事をしていたのです。見せびらかす食事であるからには、お料理が豊富で食器も豪華でなくてはならない。それでフランスの食文化が発達したと言われています。
オペラ座の舞台の上での公開食事。 着飾った多くの貴族たちが見ている中のでの食事に慣れていない私は、 ほとんど何も食べませんでした。 |
このような経験がなかった私は、お料理を口にするどころではありませんしたでした。向い側にいらした皇太子さまは、どれもこれもきれいにいただいていました。食欲旺盛な人なのだとその時知りました。
いつの間にか大嵐が吹き荒れ、予定していた花火は中止され、後日にすることになりました。
その後、結婚したばかりの皇太子夫妻のベッド入りを確認する儀式まであったのです。ランスの大司教さまがベッドを清めた後、国王が皇太子さまにゆったりした寝衣を渡され、私はシャルトル公爵夫人の手助けを受けながら着替えました。
支度が整い、ベッドに2人並んで横になり、天蓋から下がっているカーテンが閉められました。その後、貴族たちが先を争って寝室に入ってきて、これ以上入れないくらい集まると、カーテンが大きくあけられ、皇太子夫妻がそろってベッドに横たわっているのを確かめたのです。何もそこまで公にする必要はないのに、と純情な私は恥ずかしさで血が頭にのぼってしまいました。
儀式、儀式、そしてまた儀式の連続で、身も心も疲れ果てた日でした。でも、結婚記念に真っ白い大理石の私のプロフィールの浮き彫りや、金貨を造って下さったことには感謝しています。今後はフランス皇太子妃になった自覚を持たなければ・・・・
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