2024年3月9日

マリー・アントワネット自叙伝 22

戴冠式、プティ・トリアノン

ルイ15世が世を去って約1年後の1775年6月11日、夫が正式にフランス国王の座に就く戴冠式が執り行われました。その前日に豪華な馬車で向かったのは、パリの北東にあるランスという町。歴代のフランス国王の戴冠式は、ランスにあるノートルダム大聖堂で行われているのです。


フランスを含める広大なフランク王国の最初の国王クロヴィスが、6世紀にランスの教会で聖別を受けたのが始まりだそうで、この儀式を終えて正式に国王として認められるのです。もちろんクロヴィス国王の時代の教会はとても小さかったのですが、13世紀になると、ゴシック建築の立派な大聖堂になりました。微笑む天使の像がエントランスにある大聖堂です。


壮麗なカテドラルでの戴冠式はとても厳粛で華麗で、涙を抑えられないほどの素晴らしさでした。ノートルダム大聖堂は、ゴシックの美しさが十分あふれているのに、ルイ16世の戴冠式にふさわしくすべきだと、様々な装飾がなされていました。壁や柱はタペストリーで覆われ、それだけでも豪華なのに、居並ぶ貴族たちは金糸銀糸の正装。ご夫人方も煌びやかなドレスばかりで、まるで色彩の洪水。

壮麗な戴冠式がランスの大聖堂で執り行われました。
厳粛で華やかで、感動で涙が浮かんだほどでした。

夫は20歳で正式にフランスの国王になったのです。

戴冠式は国王のみが行うので、私は女官たちと2階から見ていました。祝福の言葉と塗油が数回繰り返され、ルビーやエメラルドが煌びやかな輝きを放つ冠を授かり、白テンを施したブルーのマントーをまとった国王が誓いの言葉を立派に述べたとき、身震いするほど感動しました。


その後、いつもの通り公開の晩餐会があり、それが終わると国王と私はお祝いに集まっている人々に挨拶するために、町中へと入って行きました。護衛兵はわずかでしたが、危険をまったく感じませんでした。誰もが笑顔と拍手で迎えてくれて、自分たちの国王夫妻を大歓迎していることを心身で感じていました。この幸せに満ちた日の出来事は、お母さまにすぐに報告しました。

私は女官や貴族夫人たちと
2階から式の様子を見ていました。

 

ルイ15世が逝去された1774年のことでした。つまり、ランスでの戴冠式の前年ですが、私が王妃になったお祝いに、夫が素晴らしいプレゼントをしてくださいました。ヴェルサイユ宮殿と同じ敷地内にある、こじんまりしたプティ・トリアノンです。それをいつか自分の別荘にしたいとずっと思っていたのです。でも、前国王が存命中はかなわないことでした。というのはプティ・トリアノンは、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人のために建築されたからです。残念なことにポンパドゥール夫人は、その完成を見ることなく世を去ってしまいました。ですからプティ・トリアノンは、その後愛妾になられたデユ・バリー夫人の館となったのです。でも、ルイ5世とデユ・バリー夫人はその館よりも、近くにある大きいグラン・トリアノンを愛用していました。そのために私がプティ・トリアノンを手にしたとき、ほとんど手つかずの状態だったのです。

ネオクラシックのプティ・トリアノン。
大きさにもクラシックな建築様式にも魅了されました。

自分の館であるからには、自分好みのインテリアをすることができる。それを知った私は、プティ・トリアノンの装飾に夢中になってしまいました。儀式、儀式のヴェルサイユ宮殿には、本物の生活はないのです。すべてが公開で、人々に見せる劇のような生活。毎日毎日王妃の役割を上手に演じなければならないのです。別邸があれば、そこでひとりの女性としての生活を楽しめる。護衛兵やうるさい監視役のいない普通の生活。それにどれほど憧れていたことでしょう。プティ・トリアノンを、あの、懐かしいシェーンブルン城のようにしよう、と私すぐに決心しました。


そうです。プティ・トリアノンを小シェーンブルン城にするのです。そう思うだけで興奮してしまいました。それからというもの、私は自分らしいスタイルを生み出すことに情熱の全てを捧げるようになりました。


 夫からプティ・トリアノンの鍵を受け取った時、びっくりしました。というのは、

「マダム、貴方は花がお好きです。これは余から貴方への花束です」

と言いながら渡して下さったプティ・トリアノンの鍵には、531個ものダイヤモンドが輝いていたのです。

これほど素晴らしいアイディアを持っている人だと、今まで思ってもいなかったので、急に夫への愛情が高まりました。内気で自分の心の内を開けない夫がデリケートな人だとわかって、とてもいとおしく思えました。私の前ではモジモジするばかりで、優しい言葉をかけてもらったこともなかったのですが、これで彼がいかに私を愛しているかわかりました。今後はもっと優しくしてあげなくてはと心で誓いました。女性は宝石に弱いのです。


ルイ15世の時代に建築されたプティ・トリアノンは、ネオクラシックで均整が取れた美しさがあるので、それ自体には手を加えないことにしました。そのかわり、中の装飾は思い切って私好みにしようと、最初から思っていました。


この館はプライベートな場なので、金箔などの豪華な装飾は、はぶくことにしました。壁には優しいカーブを描く花柄の装飾をほどこし、家具の脚は下に行くに従ってほっそりするシンプルなラインで、フェミニンなスタイルにしたい。それが私の希望でした。後にこの家具のスタイルを「ルイ16世様式」と呼ぶようになりますが、本来は「マリー・アントワネット様式」とするべきだと思うのですが・・・


天井も清々しい感じにしたかったので、絵は描かないで白地を多くし、シャンデリアもできるだけシンプルにし、それを下げる部分にリボン装飾をしてアクセントを入れよう。親しい人だけ招待し、儀式はいっさいなし。夫も私の許可なしでは入れない。だからベッドルームは私一人用で、夫のは、なし。子供が生まれらたら3階を子供部屋にしよう。このようにいろいろ構想を練るのは楽しいことでした。この時期はプティ・トリアノンのインテリアのことだけ考えていました。何しろ、私の小さなシェーンブルン城なのだから、愛情の込め方も格別だったのです。

お気に入りの貴族夫人や女官たちと、くつろぐサロンは特に大切。
シンプルで気品あるインテリアにこだわっていました。

シャンデリアもシンプルにし、
フェミニンな雰囲気を出したいので、
天井からリボンで下げることに。

夫はここには泊らないので、
ベッドは私一人用。モチーフはもちろん大好きなピンクのバラの花。

 

正式に王妃になった私の年金は、今までよりずっと多くなりました。ですから館のインテリアだけでなく、周囲に広がる庭園にもお金をかけることができたのです。

私がプティ・トリアノンの城主になったとき、庭園はルイ14世の時代のままでした。つまり、ヴェルサイユ宮殿の庭園と同じように、幾何学様式の堅苦しいものだったのです。せっかく自由な生活を送れると思っても、庭園がこれではと、行動派の私はすぐに動きました。


プティ・トリアノンはフランス式建物だから、その近くにはフランス庭園を少し造る。でも、大部分は自然を重んじるイギリス式庭園にする。それに、ちょっとだけ中国趣味も入れよう。小さい島と小川も造り、その周りは自然らしさが特徴のイギリス式庭園にし、小川には木の橋もかける。人工的な洞窟も欲しい。夜にイルミネーションをともして踊ったり劇を演じたら、きっと幻想的でステキ。見晴台もあった方がいいし、ギリシャ風の神殿もロマンティックでしょう。それは「愛の神殿」と呼ぶことにしよう。館の周囲にはバラをたくさん植えて、その甘い香りがいつも漂うようにしたい。

小川に取り囲まれた小さい島を造って、
その中央に「愛の神殿」を置いてロマンティックに。


洞窟を造るのもミステリアスでいい。
そこではイルミネーョンの中で劇を演じる。

次々に浮かぶアイディアに、毎日浮き浮きしていました。