偉大な俳優アラン・ドロンが8月18日早朝に、パリから約100キロのロワレ県ドゥシーにある自宅で、家族に見守られながら88歳の生涯を閉じました。ここ数年間、病と闘っていたことは報道で知られていたけれど、フランス映画界を長年照らしていた華やかな輝きが消えたような寂しさはぬぐい切れない。当然、大統領をはじめとし各界の人のオマージュは後を絶たない。亡くなった当日の夜のニュースは、30分のすべてを彼に捧げていて、いかに稀有な人であったか改めて感じさせた。
24歳の美しいアラン・ドロン。 |
アラン・ドロンの名を世界中に知らしめた 不朽の名作「太陽がいっぱい」1960年。 共演はマリー・ラフォレ。 |
大先輩の俳優ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラと。 |
幸運にも数回お会いする機会に恵まれた際の一番深く印象に残っているのは、高田賢三さんと一緒にレストランでディナーをいただいたときのこと。賢三さんと私は日本人らしく、時間より早めに到着し、アラン・ドロンを待っていると、突然、私の携帯が鳴りボティーガードが約5分遅れると言う。わずか5分遅れるだけのことなのに、と、その律儀さに驚くばかり。ドアが開き、アラン・ドロンは華やかさをまといながら、風を切るように颯爽と歩いて席に向かう。眩しいほどのオーラが全身からほとばしっていたのが、今でもくっきりと目に浮かぶ。
「ボク、夢見ているみたいだ。《太陽がいっぱい》を観た時から憧れていたんだからね」アラン・ドロンの隣に座っていた賢三さんは、嬉しさで顔をほころばせながら言う。
食事の途中でアラン・ドロンは、
「ケンゾー、わかるだろう?」
と言いながら、急に賢三さんに体を擦りよせる。何のことかわからないでいると
「香水ケンゾーを付けているのさ」
今日のためにケンゾーの香水を買って付けたことは、あきらかだ。世界中にその名を知られているほどの著名人が、このような心遣いをするのか、何と繊細な人か、と感激しないではいられなかった。シンプルで話題が豊富で、宝石のようなひとときでした。
アラン・ドロンとの貴重な一枚。 レストランとは別の機会のときの写真。 |
映画界の伝説の人アラン・ドロンは、亡き後、自宅の庭の愛犬たちの近く葬って欲しいと望み、その許可もすでに取っていたし、自分のためのチャペルも建築させていたという。生前、絶え間なく騒がれていたので、今後は静かに休みたいのでしょう。どうぞ安らかに・・・・
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