度重なる不手際
郊外の緑の中を家族そろって馬車で走れるのは、ちょうど気候もいい季節なので快適でした。うれしくてたまらない夫は、馬車から降りて歩いたり、驚いたことに村人と立ち話さえしたのです。変装していたので、身分を見破られることはないと信じ、大胆になっていたのでしょう。私はとてもその気にはなりませんでしたが、時々、馬車を降りて子供たちと歩くことはありました。名もない小さな村の住民たちは、国王や王妃の肖像画を見たこともなかったので、単に旅人だと思っていたのでしょう。それを強調するために、わざと目立つ大きなトランクを重ねて、馬車に積んでいたのです。中が空っぽのトランクさえあったのです。
モーの村を通り、モンミライユ村に着いたのはお昼ころで、あたりはすっかり明るくなっていました。快適な旅に満足していた私たちは、2時間以上の遅れをとっていたことに、全く気が付きませんでした。こじんまりした2つの村の後に通過するシャロンは、今までの村に比べて大きめの町で、その外れのポン・ドゥ・ソム・ヴェスルに、ショワズール公と40人の竜騎兵が待っていることになっていました。それ以降は要所要所に控えている兵士たちが、私たちをしっかり守りながら進むので、何の心配もないと、安心しきっていました。
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クロード=アントワーヌ=ガブリエル・ドゥ・ショワズール公爵 王立竜騎兵連隊大佐。 |
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王立竜騎兵連隊の章 |
シャロンで少数の人に身分を疑われたようでしたが、問題もなく通り過ぎ、馬車は快適にシャロンのはずれにあるポン・ドゥ・ソム・ヴェスルに向かいました。そこに待機しているショワズール公が、馬車の音が聞こえたら
「お待ちしておりました」と駆け寄ってくると誰もが信じていました。
それなのに・・・・
予期せぬ出来事が待っていたのです。
ああ、なんてこと! ショワズール公も、竜騎兵もいなかったのです!
計画では、ポン・ドゥ・ソム・ヴェスルで、有能な竜騎兵を導く30歳の若く有能なショワズール公が合流するはずだったのに、その気配がまったくなかったのです。一体どうしたのかと気が気でなかった私は、馬車の窓から少しだけ顔を出して、あたりを見回しました。義理の妹エリザベート王女さまも、護衛の姿が見えないかと、首をのばして外の様子を伺っていました。でも、彼女も「誰も見えないわ」と肩をすくめていました。
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比較的大きなシャロン。 この郊外の目立たないポン・ドゥ・ソム・ヴェルスで ショワズール公爵が竜騎兵たちと待機しているはずでした。 |
このまま同じ場所に長く留まっているわけにはいかないと判断した夫は、先に行くよう指示しました。次の町にも大勢の兵が待っている手はずが整っているから、さほど心配することはないと、何事も穏便に済ます夫は思っていたのです。夫のその言葉に一応は安心したのですが、なぜショワズール公と竜騎兵連隊が、計画通りに私たちの到着を待っていなかったか不思議だったし、怒りも感じました。後で知ったことですが、ショワズール公は兵たちと私たちの馬車が到着するのを待っていたのですが、あまりにも遅れたために、逃亡の計画に変更があったと勝手に解釈したのです。
武器を手にした大勢の兵士がいるのを、住民たちもいぶかしがっていたようです。それを危険と判断したショワズール公は、竜騎兵にそこから撤退し、ヴァレンヌに急ぐように命じたのです。ヴァレンヌの町から30キロほどの所にある小さな村ステネイに、ブイエ侯爵がドイツ近衛連隊と待機していて、必要な時にすぐにヴァレンヌに行くことになっていたからです。ですからショワズール公も、もちろんヴァレンヌへと向かったのです。
でも、それはパリで決定されたことに反する行為でした。ショワズール公の使命は、竜騎兵たちと共にポン・ドゥ・ソム・ヴェスルで国王一家が到着するまで待ち、次の町サント・ムヌーまで護衛し、そこで待機している兵たちに護衛を引き継ぎ、ショワズール公の軍はしばらくそこに留まり、追手がこないか見張っていることだったのです。それなのに、逃亡の計画に変更があったと自分勝手に判断し、軍人たちを退却させたのです。それだけではないのです。私に仕えていた髪結い師レオナールに、ショワズール公は予定の変更を先々の町に配置している軍に伝えるよう命じたのです。
実はパリを出発する前に、私はいくつかのジュエリーを亡命先に運ぶようにレオナールに頼み、ショワズール公の役に立つこともあるかも知れないと思い、公爵の命令に従うようにと言ったのです。そのためにレオナールはショワズール公と行動を共にしていました。レオナールは3兄弟で、3人とも髪結い師で最初は長男が私の担当だったのですが、彼はその後劇場や美容学校を経営し、末の弟ジャン=フランソワ・レオナールが私専門になっていました。3兄弟そろってレオナールと呼ばれていたので、混同する人が多いのです。
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髪結い師レオナール。 |
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髪を彫刻のように結い上げるのがレオナールの好みで、 私もとても気に入っていました。 |
怒りを覚えながらも、馬車は先に進む他ありませんでした。次の目的地サント・ムヌーでは必ず竜騎兵隊が待機していて、疲れた馬のかわりに元気いっぱいの馬を馬車につけ、それ以降は安心して目的地に行けることを祈りながら。
護衛すべき軍人たちがいないまま、馬車は次の町サント・ムヌーに向かいました。レオナールが間違った情報を伝えていたなどと夢にも思っていなかったので、計画通りに竜騎兵が待っているものだと信じていました。けれども、この町にも兵士たちの姿が見えなかったのです。その上、替え馬の手配を各宿場でするヴァロリーも、レオナールの通達を信じたのでしょう、その準備をしていなかったので、取り換える馬もいなかったのです。長時間走り続けている馬は、もう限界とばかりに呼吸を荒くしていました。
サント・ムヌーに入ったのは夕方7時半頃でした。住民たちが2台の馬車を不思議がり、遠慮がちに近づいてきました。
「外国に亡命したコンデ公が戻ったのかな~」
「こんな立派な馬車だから、きっとそうだ」
などとつぶやく町民の声も聞こえてきました。興味にかられた人々の人数がどんどん増えてきたときには、怖くて椅子の奥に身を潜めたほどでした。そのとき、衛兵指揮官ダンドワン侯爵が馬車にそっと近づき、小声で言ったのです。
「手はずに間違いがあったようなのです。これ以上私がここにいて疑惑を生むといけないので、このまま立ち去ります」
その後ダンドワン侯爵は、馭者に一刻も早く馬車を走らせるようにと命じました。侯爵はレオナールの言葉を信じて軍を退かせましたが、万が一を考え、彼だけ町に残っていたのです。
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過激な革命家jジャン=バティスト・ドルーエ。 |
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夫の肖像画が描かれている紙幣。 |
28歳の過激な革命家であり駅長のドルーエがそうした場に来て、たくさんの荷物を積んだ2台の馬車の旅人が、ただ者ではないと直感的に思ったようです。そういえば、馬車の唯一の男性が、紙幣で見かけた国王の肖像画に似ている、とも思ったようです。紙幣には、確かに夫の顔が描かれていました。替え馬を村や町で準備する役目を果たしていたヴァロリーが、馬の購入の際にその紙幣を使用していて、それをドルーエが見たのでしょう。後年、彼は紙幣は以前から自分が持っていて、ポケットに入れていたと語ったそうです。いずれにしてもドルーエは、紙幣で見た王の顔が、馬車の中にいる男性にそっくりだと疑ったのです。それでも確信がなかったので、ドルーエはその場では何も行動を起こさず、同じように熱烈な革命家ギヨームと連れ立って、見つからないように私たちの後をつけ、クレルモンまで行き、そこでその後ヴァレンヌへ向かうことを偶然耳にしたのです。馭者たちがヴァレンヌへ、と言っていたのを聞いたのだと思います。
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静かで平和なヴァレンヌ。 この小さな町が歴史に残るなどと、誰も思ってもいませんでした。 |
馬車の人物を調べるのはそのヴァレンヌでだ、と決意を固めたドルーエとギヨームは、近道を通り、急ぎます。もしもクレルモンでヴァレンヌ行きを知ることがなかったら、彼らは国王一家はヴェルダンに向かうと思っていたようです。ヴェルダンはフランス東北部にあるロレーヌ地方の大きな都市だからです。
こうした出来事が続いてる間に、パリでは大騒ぎが起きていました。私たちの逃亡が発覚されたのです。
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