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フェルセンが愛用していた薬局
サントノレ通り115番地 |
マリー・アントワネットとフェルセンは、離れているときは頻繁に手紙を書いていました。その貴重な手紙を保管しているのはパリの国立古文書館。
マリー・アントワネットはオーストリア人でドイツ語が母国語だし、フェルセンはスウェーデン人なのでもちろんスウェーデン語。
ところが2人の手紙はすべて、フランス語で書かれていたのです。
当時ヨーロッパでは、王家の人や貴族は皆フランス語を学んでいました。
マリー・アントワネットはわがままで、遊んでばかりいたように様々な本に書かれていますが、
フランス語はきちんとマスターしていたのです。
フランスに嫁いだ後、母マリア・テレジアに書いていた手紙も、すべてフランス語。
しかも間違いもなく、美しい文体。こうなると彼女を見直さなければならない。
革命が起き、危険な状態に置かれるようになっても、マリー・アントワネットとフェルセンの間の文通は続いていました。けれども彼女の文は乱れたり、書き直したりが多くなる。そうした手紙を目にすると、いかにせっぱつまった心境だったかと、心が痛みます。
徐々に状況が悪化。ついに王妃はタンプル塔に捕らわれの身として暮らすようになってしまう。
監視がきびしく、マリー・アントワネットはもはや手紙を書くことなど不可能。けれどもフェルセンはそうした王妃のために、多分勇気付けるために、手紙を書き続けていたのです。
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多くの手紙を書きあっていた
マリー・アントワネットと
フェルセン |
ところが普通のインクを使用すれば、監視に見つかったときの危険はきわまりない。それは王妃の立場を悪化するかもしれない。
そのためにフェルセンは、あぶり出しインクを使用していたのです。彼がそのインクを買っていたのはパリの中心にある薬局で、それが、驚くことに何と今でも健在。
もちろんオーナーの交代は何度かあったとはいえ、当時の装飾の一部が天井や壁に残っているという貴重なお店。
今でも薬局です。
1715年創立というから、2世紀以上の歴史がある建物。外観は当時のまま。歴史の重みがある真っ只中で、オーナーが貴重な記録を見せてくれました。そこには、タンプル塔のマリー・アントワネットに宛てて手紙を書くために、
フェルセンがこの薬局であぶり出しインクを買っていたと、書かれていました。
愛する人からの手紙を、マリー・アントワネットは無事に受取ったのだろうか。その手紙を極秘のうちに火にかざして読んだのだろうか。
それを確かめる手立てはない。けれどもこの薬局にいると、そうした場面が見えるように思えるから不思議。
このように、パリの魅力はつきないのです。