2017年7月1日

メトロの駅名は語る 47

Jaurès
ジョレス(5号線)

この駅名になったのは、社会主義者であり政治家のジャン・レオン・ジョレス。
学業を終えた後、しばらくの間教師を務めていたジョレスは、 26歳の若さで議員に選出され政治家の道を歩みます。

フランスの重要な社会主義者で政治家の
ジョレス。
労働者の味方であり、差別や権威、不正に対する強固な態度を示す彼は、フランスを二分したドレフュス事件で一躍名を語られるようになります。

ドレフュスの裁判。
1894年、陸軍参謀本部のユダヤ人大尉ドレフュスがスパイ容疑で逮捕され、彼の無実を信じたジョレスは人種差別を激しく非難し、ドレフュスを徹底的に庇護したのです。作家エミール・ゾラも同様でした。
世論は有罪、無罪の二つに分かれますが、12年後、ドレフュスは無罪判決を勝ち取り名誉を挽回します。

街頭で雄弁に演説するジョレス。1913年。
この一年後に暗殺されます。
1902年には社会党設立者との一員となり、1904年には共産党の機関紙「リュマニテ」を発行。現在は党から独立した新聞になっていますが、ジョレスが創立者

1914年7月31日、
モンマルトル通りのカフェ「クロワッサン」で食事中に、
暗殺されたジョレス。
後年に当時の様子を再現したデッサン。

1914年、狂信的な愛国者ヴィランによってパリ市内のカフェで暗殺され、55歳で生涯を閉じた彼は、10年後にフランスの偉人たちに捧げられるパンテオンに葬られます。

1755年に、
パリの守護聖人サント・ジュヌヴィエーヴに捧げる教会として建築。
革命時に偉人たちを祀る墓所にすると決定。
1795年、国のために偉業を成した人々が眠るパンテオンになりました。


ミッテランが大統領に選ばれた1981年、社会党のシンボルである赤いバラを一輪手にしながら、ジョレスが眠るパンテオンにひとりで入って行きました。今でもフランスで語られてるほど感動的な場面でした。