Sèvre-Lecourbe
セーヴル=ルクルブ(6号線)
ユネスコ本部にもっとも近いこの駅には、1860年まであったセーヴル総徴税請負所と、19世紀の軍人ルクルブのふたつの名がつけられています。
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セーヴル総徴税請負所。1860年に解体され姿を消しました。 |
フランス大革命が起きる直前にパリを取り囲む壁が造られ、パリに入る商人から税金を取り立てていました。要所要所に50を超える総徴税請負所が建築され、そのひとつがセーヴル総徴税請負所。1860年にパリ市が拡大され、そのとき解体され今は何も残っていません。
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クロード・ジャック・ルクルブ(1759ー1815) |
クロード・ジャック・ルクルブは革命期の有能な将軍でしたが、その後権力の座に就いたナポレオンによって重要なポストからはずされていました。理由はルクルブがモロー将軍と親しかったため。
モローは当初はナポレオンの部下で、命をかけてルクルブと共に戦い英雄と称えられていました。けれども後に野心からナポレオンの敵となり、皇帝暗殺の陰謀に加わった嫌疑がかけられた人。
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ルクルブと親しく、
戦いを共に勝ち抜いてきた優秀な将軍モロー。 |
モローのために出世からはずされたルクルブでしたが、ナポレオンが失脚しエルバ島に流され、その後島から脱出し再び天下を取った時には、皇帝の役に立ちたいと自ら志願します。
1815年のワーテルローの戦いで連合軍相手に功績を成しますが、結局フランスは戦いを失い、健康を害したルクルブはそれから約半年後の10月22日、56歳の生涯を閉じます。
流刑地セント・ヘレナ島で、ナポレオンはかつての部下ルクルブを称える言葉を残しています。
「非常に勇敢な男で、フランスの有能な元帥であった。優秀な将軍になるすべての要素を持って生まれた人物である」
彼の名はエトワール凱旋門の内側に刻まれています。
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