2018年11月29日

メトロの駅名は語る 107

La Muette
ラ・ミュエット(9号線)

かつてこの近くにあったラ・ミュエット城がこの駅名の起源です。

中世の時代からラ・ミュエットは、国王のお気に入りの狩猟の地でした。ブローニュの森に隣接しているので獲物が豊富だったのです。そこには他の狩猟地と同じように休息用の建物がありました。

簡素な狩猟の館を瀟洒なシャトーにしようと思い立ったのは、16世紀の国王シャルル9世。王はそのシャトーを妹マルグリットとアンリ・ド・ナヴァール(後のアンリ4世)の結婚祝いにプレゼントします。

結婚した王妹マルグリットとアンリ・ド・ナヴァール。

ところが夫妻は後年に離婚し、アンリ4世はマリー・ド・メデイシスと再婚。マルグリットは二人の間に生まれた王太子にシャトーを寄贈します。1606年のことで王太子は5歳。後にルイ13世を名乗った人です。

18世紀のラ・ミュエット城。

18世紀半ばにルイ15世がシャトーと庭園の増築を大々的に行わせ、国王は定期的に滞在するようになります。その庭園から国王の公式愛妾ポンパドゥール夫人が暮らすシャトー、ベル・ヴューが見えるのでした。

ルイ15世の時代のシャトーと庭園。

1764年、後のルイ16世所有となり、オーストリアからお嫁入りしたマリー・アントワネットが結婚式前日に宿泊。翌日、ここから結婚式のためにヴェルサイユ宮殿に向かったのです。その夜の晩餐会の席で、結婚後、宮廷での地位をめぐって争い合うルイ15世の最後の公式愛妾デュ・バリー夫人に出会ったのです。


弟マクシミリアン・フランツ大公が、
フランスを訪問した際に迎えたのは、ラ・ミュエット城でした。

居城からさほど遠くなく、儀式に悩まされることもないラ・ミュエット城は、マリー・アントワネットのお気に入りで、頻繁に利用していました。

1783年、ルイ16世の時世には、
熱気球モンゴルフィエールの実験が、
庭園で行われました。

革命でシャトーは破壊され、家具調度品が売却されただけでなく、広大な土地は分割され売られました。

貴族が暮らしていた1900年代の建物。

その後、土地の所有者が数回代わり、1921年、アンリ・ド・ロスチャイルド男爵が分割された土地の一部を購入し、18世紀風の館を建築させます。

第二次世界大戦の際にはドイツ海軍の本部が置かれ、1948年、売却されOECD本部が購入。現在にいたっています。

このように多くに歴史を刻んだラ・ミュエット城。その名はメトロ名として永遠に残るのでしょう。でも、旧体制の時代のシャトーの痕跡がまったくないのは、とても残念です。

2018年11月26日

パリの犬たち 186

あれから1週間

パパが連れてきた新しいお友だちと、1週間一緒にいるけれど、
まだ打ち解けないワン。
ボクのお気に入りの場所は取り返したけれど、
まだ一緒に遊ぶ気にならな~い。

エッ、仲良くなる努力をしなくてはいけないって?
でも、ほら、毛並みもちがうし年もちがう。
趣味もちがうみたい。
どうしたらいいのかなぁ。
今夜しっかり考えてみるね。このまま冷戦を続けるわけにはいかないもんネ。

2018年11月25日

シャネル ニューショップ

約3年の年月をかけて工事が行われていた、シャネルの新しいブティックが11月24日にオープンしました。シャネルの原点ともいえるカンボン通りの19番地です。

若い頃のココ・シャネル。

ココ・シャネルが帽子専門店「シャネルモ―ド」をオープンしたのは1910年、カンボン通り21番地でした。日の出の勢いで大成功をおさめた彼女は、1918年には31番地の建物全体を購入。洋服、香水、帽子、アクセサリーなどを取り扱うブティックを開き、その階上を住まいとしていました。その部屋は現在もシャネルが使用していた当時のまま保存しています。


87歳のシャネル。
自立心を持ち、人生を自ら力強く生き、
それでいて常にエレガントに装っていたシャネルは、
今でも世界中の女性たちに多くの影響を与えています。

そこからサントノレ通りに向かう地にある3つの建物をつないで、今回の新しいブティックが生まれたのです。

17、18、19世紀に建築された、異なる様式を損なうことなく誕生したシャネルは、今の時代に即したピュアなラインと色合いで、店内には清々しさが漂っています。

アーティストの偉大なメセナでもあったココ・シャネルに敬意を表して、コンテンポラリーアーティストの数々の作品が飾られているのも興味深い。それらが18世紀の階段と美しいハーモニーをかもし出しているのは、さすが、歴史、芸術に深い造詣を持つ建築家ピーター・マリノならでは。


サントノレ通りから見たシャネルのニューショップ。
右角を曲がるとカンボン通り。

住所はカンボン通り19番地ですが、ブティックはサントノレ通りへと続いていて、3 フロアーに及ぶ1500m²という広さ。気軽に入ってショッピングを楽しめるのがとてもいい。

2018年11月21日

ディオールからのクリスマスプレゼント

とてもステキなプレゼントが、クリスチャン・ディオールから届きました。アドヴェント・カレンダーです。

ディオールから贈られたクリスマスプレゼント。
豪華なアドヴェント・カレンダーです。

さっそくサロンの暖炉の上に飾りました。

18世紀を代表するトワル・ド・ジュイ風のモチーフが一面に描かれている、
3つ折りのノエルならではの豪華なカレンダー。

18世紀にもてはやされた
トワル・ド・ジュイ風のモチーフが描く
アヴェニュー・モンテーニュのディオール本社。
歴史、優しさ、夢、エレガンスが漂っています。

ディオール本社の窓がひとつ一つ開くようになっていて、その中にはもちろんチョコレート。クリスマスまで毎日、日付に合わせて窓を開けて、極上のチョコレートを味わえるのかと思うと自然に顔がほころびます。
メルシーディオール💓💓💓

ルイ16世によって王立製作所となったトワル・ド・ジュイの布地は、18世紀の風景や人物、動物などのロマンティックなモチーフがほとんど。マリー・アントワネットやジョゼフィーヌもすっかり虜になり、愛用していただけでなく、マニュファクチュールを自ら訪問したほど。

19世紀末の我がアパルトマンのサロンにぴったり。
心に豊かさと幸福が勢いよく広がります。

18世紀をこよなく愛していたクリスチャン・ディオールは、1947年まで店舗の壁をトワル・ド・ジュイで飾っていたほど。それ以来メゾンと密接な関係を保っているトワル・ド・ジュイ。クリスマスが終わっても、我がサロンのメイン装飾としてこのカレンダーを飾っておくつもり。

2018年11月20日

パリの犬たち 185

ご機嫌ななめだワン

きのうから、ボクと同居している犬がいるの。
でも、ぜんぜんうれしくない。
かえって迷惑だワン。
だって見てよ。
ボクのお気に入りのおもちゃをひとり(?)じめしているんだよ。
それに、派手な毛もボクの好みではない。
目が疲れる。

これから毎日一緒に暮らすのかな~~
ちょっと暗い気分だワン。

2018年11月19日

クリスマス カラフルなデパートの飾り


パリのデパートはすでにクリスマス一色。賑わいが一層増すのがこの季節。
急に真冬の寒さ到来で震えあがっていますが、胸に暖かさを抱きながら二つのデパートを見てきました。

ギャラリー・ラファイエット・デパート

ガラス張りのクーポールの下に飾られた
巨大なクリスマスツリー。
色が頻繁に変わっていつまで見ていても飽きません。

エントランスを入ると目の前にプレゼントの箱の山。
ショッピング意欲がわきます。

すべてのショーウインドウに自動仕掛けのおもちゃ。
平和、幸せ、楽しさが飛び跳ねています。


オ・プランタン・デパート

エスカレーターの脇のクリスマスツリーから
品格ある輝きが放たれています。

エントランスではお馬さんがお出迎え。
メルヘンの世界に招かれたよう。


ショーウインドウでは動物たちが楽しげにケーキ作り。
腕をグルグル回しながら、またたく間にケーキが完成。

クリスマスはやはりいい。パリの街に通常と異なる輝きが生まれ、心が豊かになります。

2018年11月18日

メトロの駅名は語る 106

Ranelagh
ラヌラック(9号線)

この駅名は近くにあるラヌラック公園にちなんでいます。

16区の住民の憩いの場、ラヌラック公園。

イギリス、アイルランドの貴族であり政治家のラヌラック郷の名を冠しているこの公園は、自然をこよなく愛したラヌラック郷のロンドンの邸宅の庭園が発想原です。

ラヌラック郷 (1641-1712)

ラヌラック郷は人生を横臥した人で、2度結婚し6人の子供に恵まれました。建築に大きな興味を抱いていた彼は、パリのアンヴァリッドを模倣した、負傷兵収容のチェルシー病院がロンドンに建築された際、大々的な資金援助を行い、管理職にもついていました。

パリのアンヴァリッドを模倣したロンドンのチェルシー病院。
その右がラヌラック郷が暮らしていた館。

館の広大な庭園は現在公園になっていて、フラワー・ショーが開催されます。

その隣に自分の家ラヌラック・ハウスを設け広大な庭園も生まれました。現在は館は姿を消しましたが庭園が残っていて、チェルシー病院所属の公園となっています。

ラヌラック郷はまた、ウインザー城があるバークシャーにラヌラック・スクールも創設しています。この地方でもっとも古い歴史を誇る名門校です。

2018年11月16日

パリで体感する日本の美

「ジャポニズム 2018」で日本ム―ドが漂うパリで、日本の美とおもてなしを誇るホテル雅叙園東京が11月15日、忘れえぬイヴェントを行いました。

今年創業90周年を迎える老舗ならではの日本風おもてなしが、いかなるものかを実際に体感していただきたいというのが、このイヴェントの趣旨。

その会場に選ばれたのは、旧貴族館がもっとも多く集まっているパリ7区。近くに首相官邸、イタリア大使館、ロダン美術館などがある超一等地の建物です。18世紀に建築された当時の重厚な門が深く印象に残ります。

料理長の包丁さばきに感嘆するフランス人たち。
四季を表現する繊細なお料理は、優れたアート。
後方の組子の衝立が雅の世界へ招きます。
卓越した絵画のような洗練を極めたお吸い物。
高尚感が体の隅々まで届きます。

料理長による魚の芸術的なカット、出汁の取り方などが目のまえで繰り広げられ、改めて唯一無二の日本人の精神が込められた和食の価値が伝わります。

木寺駐仏日本大使ご夫妻。
大使がご自分でクリエイトした組子細工。お見事。

会場のいたるところに組子細工の衝立があり、日本情緒が漂っています。細かくカットしたヒノキを釘を使わないで組み立てる工芸品は、日本ならでは。

「ジャポニズム 2018」で頻繁にお会いする高田賢三さんと。


18世紀の建物の中はコンテンポラリーなインテリア。
新旧の融合に違和感を感じないのが不思議。
ピアノの演奏がアンビアンスを盛り上げます。
暗くなっても去りがたく、会場の外でも談笑が続きます。

こうした中で味わうにぎり寿司、お吸い物も極上のお味。「和敬清心」で名を成しているホテル雅叙園東京は、他で味わえない格式ある接待をします。それをパリで体感できるのはこの上ない贅沢。しかもたった一夜だけというのですから、記憶の奥深くに残る思い出となります。

2018年11月12日

メトロの駅名は語る 105

Jasmin
ジャスマン(9号線)

フランス南部にある町アジャンで,仕立て屋の息子として生まれたジャスマンは当初、へアースタイリストになるつもりで見習いを始めました。けれども、時とともに歴史や文学、特に詩への関心が高まり、1822年、発表した作品が評判を呼び、それ以降立て続けに本が出版されます。

ジャスマン(1798-1864)
本名はジャック・ボエ

ロワール川以南で中世に使用されていたオック語に愛着を抱き、その言葉で著作していました。旅をしながら自ら朗読する形を取り、自分の名とオック語を広めていきます。

オック語が話されていたフランス南部地方が、王国フランスに合併したのは13世紀。オック語はフランス語でラングドック。南にあるこの地方は現在ワインで有名です。

2018年11月8日

天皇誕生日祝賀レセプション

天皇のお誕生日をお祝いするレセプションが11月7日、今年もパリ中心にある在仏日本大使公邸で行われました。

木寺昌人駐仏大使のご挨拶。
流暢なフランス語に皆、感服。

日仏の国歌が響きます。

アカペラで歌う両国の国歌の後、木寺昌人大使のフランス語でのご挨拶。日仏の様々な面での重要なつながり、友好、フランス各地で開催されている「ジャポニスム 2018」など、いつもの通りユーモアを交えての演説に大拍手。その後天皇陛下の長寿、健康をお祝いする乾杯の声が一斉に上がり、大使公邸に華やぎが広がりました。

木寺昌人大使、高田賢三さんとの会話がはずみます。

久しぶりにお会いする旧知の友人とひとときを過ごすのは、ほんとうに楽しい。


公邸のお庭に大きなテントを張って、
その中にいくつものテーブルが設置されています。

お寿司、牛丼、海老天ソバ、焼うどん・・・
種類豊富な日本酒、ワイン。


食後のお抹茶サーヴィスが日本への思いを深めます。

今回で平成天皇のお誕生祝賀は最後になるので、感慨もひとしおです。いつもは洋服で出席していますが、今年は特別の年ですのでお着物にしました。

2018年11月7日

ビートルズのマネ?

ある晴れた日、公園をお散歩していたら、4羽のカモが一列に並んで道路を横切っているのが見えました。

カモの行進。

あれ、これってどこかで見たような光景・・・
すぐに思い出しました、ビートルズの4人が横断歩道を横切っているあの光景。それとまったくと同じではないですか。偶然とはいえ驚きです。


2018年11月4日

皇妃ジョゼフィーヌの息子の旧邸宅訪問

ナポレオン皇帝の妃ジョゼフィーヌは浪費家として知られていますが、彼女は身に付ける物以上に、室内装飾に多くのお金をかけていました。

そうした彼女がことのほか関心を抱いたのが、息子ウジェーヌ・ド・ボアルネが買ったセーヌ川近くの18世紀の貴族館。ジョゼフィーヌは彼女特有のセンスを発揮し、息子の館の装飾に熱中します。

ウジェーヌはジョゼフィーヌの最初の夫アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵との間に生まれた長男で、頭脳明晰で軍人の勇気と指導力を持つ好青年。義父ナポレオンから副ローマ王の地位を授けられます。

ウジェーヌ・ド・ボアルネ (1781-1824)

母ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (1763-1814)
ナポレオン・ボナパルトと再婚し、後に皇妃になります。

父アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵 (1760-1794)
革命が終わる数日前に処刑。

ウジェーヌが購入し暮していた館は、第二次世界大戦後にドイツに寄贈され、現在駐仏ドイツ大使公邸になっています。数年前にも訪問しましたが、今回はリニューアルが完全に終わり、ジョゼフィーヌの卓越した感性を至る所で味わうことができました。

ウジェーヌ・ド・ボアルネの館。現在はドイツ大使公邸。

典型的な18世紀の貴族館。
エントランスのエジプト装飾が、ナポレオン時代の威勢を示しています。

ナポレオン史学会が主催したこの特別訪問は、ドイツ大使夫人のご挨拶で始まり、解説員の詳しい説明つき。各部屋には著名な家具師による歴史的に重要な椅子やソファがありまます。通常、このような重要な家具は触れてはいけないのに、「どうぞ、お掛けください」などと言われ、おずおずと腰かけて説明に聞き入りました。

広々としたホール、マホガニーの光沢が重厚な美しさを見せる図書室、ウジェーヌ愛読の無数の蔵書、シャンデリアと金箔で絢爛豪華なサロン、優美な装飾の音楽の間、落ち着いたトーンのベッドルーム、造花に囲まれたユートピアのようなバスルームなど、どの部屋も洗練の極みが漂っていて、圧倒的な美を築いた第一帝政様式に心を奪われました。

ウジェーヌの妃はバイエルン王女で、ふたりは睦まじく7人の子供に恵まれます。中でも、美貌の誉れ高い長女ジョゼフィーヌはスウェーデン・ノルウェー王国のオスカー王子に嫁ぎ、後年王妃となり、その子孫が現在のスウェーデン国王です。


ウジェーヌの妃、
オーギュスタ=アメリー・ド・バヴィエール (1788-1851)

長女ジョゼフィーヌ (1807-1876)
現在のスウェーデン国王の先祖。
このような歴史上重要な人が足跡を残したかと思うと、階段ひとつにしても貴重に感じられます。パリに現存する第一帝政時代のもっとも美しい館と絶賛されている館です。