2020年9月27日

ヴァンドーム広場の円柱がキレイになりました

 ヴァンドーム広場界隈を歩いていたときに、偶然に見かけたのは、中央の円柱の汚れを除去している光景。このような作業は、多分、数年に一度しかしない、記録しておきたいと、我が忠実なiPhoneで写真を撮りました。

円柱の洗浄作業を見るのは初めて。
気づく人はいなく、
立ち止まって写真まで撮っていたのは私ひとり。9月19日の写真。

クレーンに乗っての、しかも小さなスペ―スの中での、しかも、歴史的建造物を扱う責任ある緻密な作業は、さぞかし大変なことだろうと、しばらくの間立ち止まって見ていたほどの緊張を感じました。

背が高いクレーンに乗っての、
責任とキケンを伴うデリケートな作業は印象的。

ナポレオンの戦史の中で、もっとも輝かしい勝利を得た1805年のオーストリア軍相手の「アウステルリッツの戦い」。ナポレオンはそれがよほどうれしく自慢だったようで、ルーヴル宮の内庭にカルーゼルの凱旋門を、そしてヴァンドーム広場の真ん中に記念柱を建築させたのでした。当然、その戦いの場面がどちらのモニュメントにも描かれましたが、 ヴァンドーム広場の円柱の緻密な浅浮き彫りは目を見張るほど素晴らしい。

アウステルリッツの戦いの場面が
細部に及んで浅浮き彫りで描かれています。

高さ44,3メートル、平均の直径3,6メートルの円柱は、98個の石を積み上げて造り、その周囲を戦いの場面を刻んだ425のブロンズプレイトが飾り、円柱の頂上まで螺旋形を描きながら続いています。全長280メートルのブロンズプレイトに使用したのは、強敵だったロシアとオーストリアの青銅の大砲約1200を鋳造したもので、「アウステルリッツの戦い」の大砲は約300だったとされています。

ナポレオンの栄光の象徴を華々しく力強く語る円柱、その洗浄作業の一部を見れたことは、私にとって意義あることでした。

すっかりキレイになりました。
9月26日の写真。

2020年9月21日

パリの犬たち 240

 どうしたのかな、人が増えてきた

ず~と人が少なくて静かだったパリなのに、
急にたくさんの人が歩くようになって、見ているだけでくたびれるワン。

夏の間、山や海でヴァカンスを楽しんでいた人が、
お仕事や学校に行くためにパリに戻ってきたらしい。

脚があちこちで好きなように動いているから、
しっかり気をつけないと、踏まれちゃう。
つかれるワン、そうだワン。

2020年9月14日

クリスチャン・ルブタン 新しいブティック

インパクトある靴で個性的な女性に圧倒的人気があるクリスチャン・ルブタン。コロナ問題がおきるまで、連日行列ができるほどでした。そのルブタンの大きなブティックが、真夏にサントノレ通り400番地にオープン。というより、以前あったエリゼ宮殿近くからヴァンドーム広場により近い場所に移転したという方が正しいかも。

サントノレ通り400番地の
クリスチャン・ルブタンの新しいブティック。

新しいブティックは3階建てで、1階、2階は女性専用で3階は男性用。床も壁も階段さえもすべてクリスチャン・ルブタン・カラーの赤。そうでなくても鮮やかな赤が刺激的なのに、クラフトペーパーで作った大きなアビシニアンのトラや、タイの象、マダガスカルのお猿さんたちがあちらにもこちらにも見え、エキゾチックな世界に飛び込んだような錯覚を起こします。

ユニークなこのブティックでは、靴はれっきとしたアートであることがわかります。独創的なデザインも大胆なカラーコーデも、そのままオブジェとして飾っておきたいくらい芸術性が高い。

パリで開催された靴の展覧会に出品された
ルブタンの驚異的な靴。


レッドソール(赤い靴底)が大きな特徴になっているルブタン。たしかに見えないようで見える靴底にまで気を配るのは、ひと味異なるおしゃれをしたい女性に欠かせない。歩くたびにかすかに見える靴底。それが深紅だから、後ろを歩いている人にドキッとする刺激を与える。まるで大切な秘密をちょっとずつ披露するようで、心に楽しみが生まれるはず。

ルブタンの靴のもうひとつの特徴はヒールが高いこと。そのために足の甲から踵にかけて長いラインが描かれ、脚が長く見えるのです。これこそ女性が理想とすること。だから行列ができる人気なのです。でも、お値段もヒールも高いのが悩み。クリスチャン・ルブタンの靴を履く喜びを味わえる日が、私にもいつか訪れるのでしょうか。

2020年9月10日

メトロの駅名は語る 157

Basilique de Saint Denis
バジリック・ド・サン=ドニ(13号線)

フランス歴代王家の人々の埋葬地、サン=ドニ大聖堂近くの駅名。

フランス王家の人々の埋葬地、
サン=ドニ大聖堂。

サン=ドニ大聖堂の起源は、フランスの守護聖人とされているサン=ドニ(聖人ドニ)の遺骸を奇跡的に発見した7世紀にさかのぼります。

言い伝えによると、サン=ドニの元の名はディオニシウスで、パリにキリスト教を布教するために245年にローマから送られ、セーヌ川の中程にあるシテ島に、2人の伝道者エレウテルス、ルスティクスと共に暮らしていました。3人は熱心に伝道を続けていましたが、250年に捕まり、パリの北の丘モンマルトルで斬首されます。モンマルトルは「殉教者の丘」という意味で3人の伝道者の殉教に由来します。

19世紀に想像で描かれた
ダゴベルト1世(603-639)

ディオニシウスは切られた自分の頭をかかえながら伝道を続け、パリの北に向かい、そこで息たえたと言われています。彼はエレウテルス、ルスティクスと共にその地に葬られ、7世紀に偶然発見されたのです。それをしった当時の国王ダゴベルト1世は大いに感激し、修道院を建築させ、サン=ドニ修道院とし、その礼拝堂に3人の伝道者を手厚く葬ります。

自分の頭を抱えるサン=ドニ。

礼拝堂は636年に立派な教会になり、639年1月19日、病のためにサン=ドニ修道院でダゴベルト1世が没すると、彼が建築させた教会に埋葬され、それが後世にサン=ドニ大聖堂となります。

このようにしてメロヴィング朝の4代目の王ダゴベルト1世が、サン=ドニ大聖堂に葬られた最初の国王となったのです。それ以降、カロリング朝、カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝の王族たちの墓所となり、多くの訪問者を迎えています。

訪問者にとってもっとも興味深いのは、ヴェルサイユ宮殿で華麗な宮廷生活を営んでいたブルボン家の人々の地下埋葬場でしょう。特に、革命の犠牲となったルイ16世とマリー・アントワネットのお墓は見逃せないようです。処刑後コンコルド広場近くにあったマドレーヌ共同墓地に葬られていたお二人は、王政復古で王座に就いたルイ16世の弟ルイ18世により、国王、王妃にふさわしい儀式が執り行われ、サン=ドニ大聖堂に安らぎの場を見出しました。1815年1月21日、処刑から22年経った国王の命日でした。

マドレーヌ共同墓地からサン=ドニ大聖堂に向かう、
ルイ16世とマリ―・アントワネットの壮麗な葬列。

ブルボン家の地下埋葬場。

1144年に建築されたサン=ドニ大聖堂は、フランスが誇るゴシック建築初期の建造物です。ゴシック建築は12世紀にはじまり16世紀のルネサンス建築までの間、フランス各地でもてはやされただけでなく、ドイツやイギリス、イタリアにも影響を及ぼしています。

2020年9月8日

パリの犬たち 239 

 ブルーが大流行なの。

パリはどこでもマスクをしないといけないの。
花柄やチェック、ドット・・・いろいろなマスクがあるけれど、
ブルーが一番人気。

パパはコーデにこだわる人。
だからブルーのマスクに合わせえてワタシのリードもブルー。
左を歩いているマドモワゼルもブルーのセーターね。
関係ない人だけど同じ趣味みたいだから、仲良しになろうかな。


話しかけてみようと思うけれど、ナンだかドキドキ。
ワタシのこと気に入ってくれるか、とってもシンパイだワン。


こういう笑顔だったらあやしまれないかもね。
トライしてみるわね。

2020年9月5日

パラスホテルが待っています

コロナウイルスのために3月から閉まっていたパラスホテルのほとんどが、9月上旬から再オープン。ル・ブリストルもル・ムーリスも、プラザ・アテネもクリヨンもリッツも、重厚な扉を開けて歓迎しているようで、街に明るさが戻ってきた感じ。

本来なら9月はいろいろなエヴェントがあり、夏前から予約が殺到するのに、どこもまだ閑散としています。もちろん外国からの宿泊客がほとんどいないためですが、それでも再オープンするのは、パラスホテルがパリの格を保つのに欠かせないから、と語るホテルのマネジャーもいます。ごもっとも。

ロックダウン以前の光景が見られて
とてもうれしい。
パリの優雅な景観にパラスホテルは欠かせない。
再オープンしたヴァンドーム広場のホテル・リッツ。


なにしろ、どのパラスホテルもパリの最高の地にあり、存在感を放つ大きさだし、外壁に優美なレリーフをほどこしたり、ギリシャ神殿のような趣ある列柱が歴史を語ったり、深紅のゼラニュウムをすべての窓辺に飾ったりしている。

色鮮やかなカ―ペットを敷き詰めたホールも廊下も宮殿のようだし、家具も最高級品ばかり。ホテルマン、ホテルウーマンはシンプルで清潔感あるユニフォームで微笑みを称えながら接待してくれる。中庭では色とりどりの花々に囲まれながら、パラソルの下で時を忘れてホテルご自慢の絶品やティーを楽しめる。気軽に、でも一味異なる個性的なクラブサンドイッチも味わえる。

このようにパラスホテルはパリの美しい景観に欠かせないし、本物のアール・ド・ヴィーヴルを体感できる。「パリ」という名称が放つ甘美な響きを、魅力を保ち続けるために必要なのです。アメリカ、中国、日本からの顧客を当分の間見込めない今、プライスを多少下げてフランス人とヨーロッパ各国からの利用者を待っているパラスホテル。やはりパリがパリであるために、いつも扉を大きく開けていてほしい。

2020年9月3日

メトロの駅名は語る 156

Mairie d'Issy
メリー・ディッシー(12号線)

パリの南西郊外にあるイッシー・レ・ムリノーが駅名の起源。当初この町はイッシーと呼ばれていましたが、1893年に近くにあったムリノー村と合わせて新しい町の名になったのです。

湿地にすぎなかったイッシーが栄えたのは、ブルボン家支流にあたるブルボン=コンデ家の分家、ブルボン=コンティがこの地にシャトーを建築した17世紀。3代目のコンティ公フランソワは国王ルイ14世の時世に軍人として輝かしい活躍をし、大コンティ公と呼ばれていました。

大コンティ公と呼ばれていた
フランソワ・ルイ・ド・ブルボン=コンティ。
(1664-1709)

大コンティ公がイッシーに土地を購入し、シャトー建築を命じたのは1699年。均整が取れたルネサンス様式のシャトーは美しく、1778年まで代々のコンティ公の住まいとなっていました。この年にシャトーは売却され、その後数人の貴族が城主となります。革命の際の城主は11世紀からの歴史あるシメイ家のプリンセスでしたが、捕らえられ処刑されイッシー城は国に没収されました。

歴代のコンティ公の住まいとなっていたイッシー城。
ルネサンス様式のエレガントな建物でした。
庭園はチュイルリー公園やヴェルサイユ宮殿庭園を手がけた
著名な造園家ル・ノートルが担当。

革命後ナポレオンが皇帝になりエルバ島に流刑されますが脱出し、1815年6月18日、ナポレオン率いるフランス軍と連合軍の間でベルギーのワーテルローで激しい戦いが展開し、フランス軍は連合軍に大敗。その後も戦いはフランス国内でも続き、1815年7月3日、連合軍側のプロシア軍がイッシーでフランス軍相手に戦い、勝利を得たのでした。その時フランス軍指令部はイッシー城に置かれていました。

1870年-71年には普仏戦争があり、1871年5月4日、パリコミューンによってシャト―は焼かれ姿を消してしまいます。その近くの町ムードンに暮らしていた彫刻家ロダンが、焼け残ったシャトーの断片を買ったおかげで、わずかながらイッシー城を偲ぶことができます。現在ムードンのロダン美術館の正面を飾っている、円柱とペディメント(建物の正面上部の三角形の壁面)です。

火災前のシャトー。
1871年、火災直後のシャトー。
この一部をロダンが買い、
現在ムードンのロダン美術館入り口で見られます。

一方ムリノーはムードンの地区のひとつで、神父ジャン・ド・ムードンがそこに畑を持っていました。ムードン家はパリの南西4キロメートルにある緑に恵まれた小高い地にある森ムードンを本拠地としていました。詳しい歴史はわかっていませんが、14世紀のロベール・ド・ムーランが国王フィリップ4世に仕え、貴族となったとされています。

メトロ名メリー・ディッシーはイッシーの市役所という意味で、国王ルイ5世の相談役二コラ・ボージョンの別邸だった建物が1895年から市役所になっています。ボージョンは複数の邸宅をパリや近郊に持っていました。そのひとつに現在のフランス大統領官邸エリゼー宮があります。美術品愛好家としても知られていて、コレクションの素晴らしさは、歴史に残るほどでした。イッシーの別邸は市役所にするために大々的に改造され、残念なことに当時の面影は消えてしまいました。

2020年9月1日

メーキャップにも変化が

 夏のヴァカンス後、コロナウイルス感染者が急激に増えて、屋外も屋内もマスク着用が義務化されたパリ。いままで屋外でのマスク使用は限られた場所だけだったのが全域となり、違反すると罰金135ユーロ。高いから、皆、しっかりマスクをしている。このアール・ド・マスク(私が勝手に作った言葉)は短期間にすっかり定着した感じ。いろいろなモチーフを楽しむ人もいますが、圧倒的に多いのはブル―のシンプルなマスク。その次は黒。

問題は屋内。会社勤めの人はひとり部屋で仕事をする人はマスクなしでもいいけれど、二人以上が同じオフィスにいる場合は、マスク着用が義務。

カラフルなメーキャップアイテム。
売り場に人の姿が見えません。

こうなると通勤のときも仕事場でもマスク、マスク。つまり一日中顔を見せることがない。なので、メーキャップも必要ない。元々パリジェンヌはファンデを塗らないで、チークをダイレクトにつけるのが好み。それに対してアイメーキャップは念入りにする。ただし、アイラッシュを付ける人は日本のように多くない。生まれ持ったまつ毛の長さや濃さが違うからでもあります。ほんとうに不公平。

コロナウイルスで売り上げの被害がもっとも大きいのは口紅。逆に伸びているのはアイメーキャップ製品。マスクをしていると、当然、視線は目に集中します。ということで、コスメティック業界にも変化がみられます。

そういえばテラス・レストランは9月末までだったのが、ナンとパリは2021年6月まで延長するそう。状況によって変更もありうるそうだけれど、経済がかなり不振だからか、コロナの猛威がそれほど長く続くのかわからないけれど、ちょっと不安。これではツーリストが来ないのも無理ない。