バジリック・ド・サン=ドニ(13号線)
フランス歴代王家の人々の埋葬地、サン=ドニ大聖堂近くの駅名。
フランス王家の人々の埋葬地、 サン=ドニ大聖堂。 |
サン=ドニ大聖堂の起源は、フランスの守護聖人とされているサン=ドニ(聖人ドニ)の遺骸を奇跡的に発見した7世紀にさかのぼります。
言い伝えによると、サン=ドニの元の名はディオニシウスで、パリにキリスト教を布教するために245年にローマから送られ、セーヌ川の中程にあるシテ島に、2人の伝道者エレウテルス、ルスティクスと共に暮らしていました。3人は熱心に伝道を続けていましたが、250年に捕まり、パリの北の丘モンマルトルで斬首されます。モンマルトルは「殉教者の丘」という意味で3人の伝道者の殉教に由来します。19世紀に想像で描かれた ダゴベルト1世(603-639) |
ディオニシウスは切られた自分の頭をかかえながら伝道を続け、パリの北に向かい、そこで息たえたと言われています。彼はエレウテルス、ルスティクスと共にその地に葬られ、7世紀に偶然発見されたのです。それをしった当時の国王ダゴベルト1世は大いに感激し、修道院を建築させ、サン=ドニ修道院とし、その礼拝堂に3人の伝道者を手厚く葬ります。
自分の頭を抱えるサン=ドニ。 |
礼拝堂は636年に立派な教会になり、639年1月19日、病のためにサン=ドニ修道院でダゴベルト1世が没すると、彼が建築させた教会に埋葬され、それが後世にサン=ドニ大聖堂となります。
このようにしてメロヴィング朝の4代目の王ダゴベルト1世が、サン=ドニ大聖堂に葬られた最初の国王となったのです。それ以降、カロリング朝、カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝の王族たちの墓所となり、多くの訪問者を迎えています。
訪問者にとってもっとも興味深いのは、ヴェルサイユ宮殿で華麗な宮廷生活を営んでいたブルボン家の人々の地下埋葬場でしょう。特に、革命の犠牲となったルイ16世とマリー・アントワネットのお墓は見逃せないようです。処刑後コンコルド広場近くにあったマドレーヌ共同墓地に葬られていたお二人は、王政復古で王座に就いたルイ16世の弟ルイ18世により、国王、王妃にふさわしい儀式が執り行われ、サン=ドニ大聖堂に安らぎの場を見出しました。1815年1月21日、処刑から22年経った国王の命日でした。
マドレーヌ共同墓地からサン=ドニ大聖堂に向かう、 ルイ16世とマリ―・アントワネットの壮麗な葬列。 |
ブルボン家の地下埋葬場。 |
1144年に建築されたサン=ドニ大聖堂は、フランスが誇るゴシック建築初期の建造物です。ゴシック建築は12世紀にはじまり16世紀のルネサンス建築までの間、フランス各地でもてはやされただけでなく、ドイツやイギリス、イタリアにも影響を及ぼしています。
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