50年以上パリに暮らしていたデザイナー、高田賢三さんが10月4日、パリ近郊の病院アメリカン・ホスピタルで永遠の眠りにつきました。
賢三さんとの思い出は数限りなくあり、そのひとつひとつが今では大切な宝物のように思えます。賢三さんの業績は今更振り返る必要がないほど、世界中で知られています。女性たちに気軽に装う喜びを与えてくれた賢三さんは、作品と同じように親しみ深く、屈託のない大きな笑顔は、年齢に関係なく青年そのものでした。
賢三さんに最後にお会いしたのは、彼の81歳のお誕生日の2月27日でした。自宅に50人ほど招待して、ミュージシャンのライヴ、TOYOのシェフによる絶品、至る所に飾られた花々、顔なじみの親しい友人たち・・・会話がはずんだ楽しいソワレに顔をほころばせていた元気そうな姿が、思い出されます。
賢三さんのバースディ・パーティーで、 建築家のエドを囲んで記念写真。 賢三さんにお会いした最後になってしまいました。 賢三さんとマリアンヌと 3人でよくお食事をしたものです。 もちろんバースディ・パーティーに欠かせない人。 2月末にはこんなにお元気だったのです。 |
そのときにすでにコロナウイルスが話題になっていましたが、まだまだ深刻な状況ではないので、みな、賢三さんを囲んでおしゃべりしたり、時には踊ったり。その後コロナが加速度的に広がりフランスはロックダウンを発表。
その間お会いできないので、何度かお電話で「毎日、どうしてる?」などと話し会っていました。ロックダウンが解除されても、用心深い賢三さんはレストランにもほとんど行かないで、健康管理をしていたのです。でも、夏のヴァカンスくらいちょっと楽しみたいと、賢三さんは2ヵ所で夏を楽しみ、パリにもどってから、お電話でお話したのが9月半ば。それが賢三さんとの最後の会話でした。
「ファッションは楽しくなくてはいけない」と語っていた賢三さん。笑顔が飛び切りチャーミングで誰にも優しく、パリに住む日本人でもっともパリらしい人だった賢三さん。太陽のような存在だった賢三さんがいないなんて、実感が湧きません。パリも私も、その他賢三さんを知っている人は、みな、泣いています。
ご冥福を心からお祈りいたします。
2 件のコメント:
とても貴重なお話をありがとうございました。私は63歳で、パリに住むものですが、若いころはアンアンなどの雑誌で高田さんのファッションはいつも見ていました。そして、東京で山口小夜子さん出演のファッションショーもチケットを買って一生懸命行った記憶があります。高田さんが大きなお家からアパートに移られてから、私は、ボンマルシェの近くのバス停で待っている際にも、この目の前のビルのあのベランダのアパートは高田さんが住んでいらっしゃるのではないかな、こちらを見て下さらないかな、などと夫とよく話していました。TOYOに行けばお見かけできるのかななどとも、思ったりしていました。とても悲しいです。
日本でも皆泣いています。まだまだこれからなのに本当に残念です。
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