2021年10月21日

文化省でのセレモニー

今年の「もっとも美しい本」に選ばれた作品の授賞式がありました。招待状を受け取り、セレモニーが文化省内であると知った時からワクワク。なにしろ文化省は、歴史的建造物の中にあるのだから。

長い歴史を刻むパレ・ロワイヤル。
中央と左が国務院。文化省は右の建物の一角にあります。

フランスの官庁関係の建物の多くはパリ中心にまとまっていて、有力な貴族たちが贅沢な暮らしを営んでいた旧邸宅がほとんど。革命で荒らされたとはいえ、その後の修復により、かつての装飾が再現され、まるで美術館かシャトーのよう。文化省に行くのは3回目。中に入るたびに、フランスの文化遺産の豊かさを感じないではいられないほど素晴らしい。

国が文化・芸術を保護することの重要性を最初に説いたのは、17世紀のルイ14世の財務長官コルベールでした。国の理解と援助を受けられたので、フランスでこの分野の発展がめざましかったのでしょう。けれども革命でそれは消滅します。

その復活に数世紀もかかり、第二次世界大戦の英雄シャルル・ド・ゴールが大統領に就任した1959年に文化・通信省を設立し、初代文化大臣に作家アンドレ・マルローが選ばれます。

リシュリュー枢機卿の時代の館。

文化省はルイ13世の宰相リシュリュー枢機卿が建築させ暮らしていた、現在のパレ・ロワイヤルの一角にあり、建物自体が重要な歴史を刻んでいます。リシュリュー亡き後、館はルイ13世に寄贈され、その後ルイ14世が子供時代を送り、ルイ14世が弟オルレアン公にプレゼント。それ以降はオルレアン家所有になります。やがて老朽化した17世紀のリシュリューの時代の建物は一部を除いて姿を消し、オルレアン公フィリップ・エガリテが庭園を囲むように建物を建築。それも革命で荒らされ、19世紀の国王ルイ・フィリップの時代(在位1830ー1848)に大々的に修復。

政変でルイ・フィリップがイギリスに亡命し、皇帝ナポレオン3世の時世を迎え、ナポレオン1世の弟ジェロームがパレ・ロワイヤルに暮らすようになります。1871年にはパリ・コミューンによる火災で大きな被害をこうむりますが、直ちに修復作業が行われます。

このパレ・ロワイヤルの大部分を占めているのは国務院で、北西のヴァロア翼に1959年にド・ゴール大統領が文化省を設置したのです。文化省は唯一残っているリシュリュー枢機卿の時代の回廊の2階にあり、そこに行く階段が心が引き締まるほど重厚。

セレモニーが行われた文化省のグラン・サロン。

「もっとも美しい本」に選ばれたのは、ルイ14世の時代に活躍した彫刻家、アントワーヌ・コイセヴォックスに関する美術書。審査委員長のあいさつも、受賞者のあいさつも気持ち良いほど端的。その後審査員の紹介があり、このとき初めて錚々たる人々が集まっているのが分かりました。美術館館長や著名な美術評論家がほとんどなのです。もっとも驚いたのは、その中に前フランス大統領ミッテランの愛人で、長年オルセー美術館館長を務めた女性もいたこと。彼女がミッテランの娘を生み、長年表に出ないで育てていたことは、ミッテランの葬儀で明らかになり世界中に知れ渡りました。

「もっとも美しい本」に選ばれた本と、受賞者、審査員たち。

セレモニーの後はビュッフェ。ロゼのシャンパンが最高においしい。

知性がキラキラ輝いているような人ばかり。

壁にはめ込んだ鏡も燭台も置時計も、ため息がでるほどノーブル。

その後、ビュッフェで華やぎが一挙に広がり、ロゼのシャンパンもフィンガーフッドもおいしかったけれど、何か溶け込めない。日本人は他に誰も見当たらないし、知人もひとりもいない。皆、教養も知識も豊富で、いかにも話術に富んでいる感じ。服装もシック。なぜ、このような場に私が招待されたのか、不思議で仕方なかったセレモニー。最後まで謎は解けませんでした。

バルコニーからの夜景が心が震えるほどキレイ。
こうした光景は数えきれないほど見ているのに、その度に感動。