2021年12月1日

パンテオン入りした初の黒人、ジョゼフィヌ・ベーカー

アメリカ生まれの黒人 ジョゼフィヌ・ベーカーが、有名な歌手だったことは知っていたけれど、フランス国籍を持ち、第二次世界大戦のときのレジスタントであり、危険なスパイ活動を自ら希望しておこなっていた英雄だったことは、まったく知らなかった。

パイロットの資格も持っていたジョゼフィヌ・ベーカー。
フランス空軍のユニフォームに身を包む凛とした姿。1948年

最近、テレビや雑誌がジョゼフィヌの特集を組み、こうしたことが分かったのです。なぜ、今、彼女のことが注目されているかというと、パンテオンに祀られるからです。この、フランスの偉人たちの墓所に眠る女性は非常に少なく、彼女は6人目。それだけでなく、初めての黒人でもあるために大きな出来事なのです。テレビは実況でセレモニーを中継。もちろん大統領のジョゼフィヌを称える言葉で始まりました。

アメリカの貧民街で生まれ、差別や貧乏に屈しることなく、強い意志で人生を切り開き、10代半ばころに歌手としてデビューしたジョゼフィヌは、19歳でパリの舞台に立つようになります。エキゾチックな容姿、奇抜な衣装、ダイナミックでのびのびとした歌声でフランス人を魅了し、大きなセンセーションを起こしました。

子供時代のジョゼフィヌ。

舞台に立っていた10代半ばのジョゼフィヌ。

パリ・モンマルトルの有名な劇場
「カジノ・ド・パリ」に出演していたジョゼフィヌのポスター。1930年

自分をこれほどまでに寛大に受け入れたパリを、フランスを彼女は「私の国」と呼び、愛し、歌い、長年暮らします。その「私の国」をナチス・ドイツに占領されると、ジョゼフィヌはいてもたってもいられなくなります。最前線の兵士たちの士気を鼓舞するために、彼らの前で歌っただけでなく、レジスタント運動に加わり、名声を活用して機密書類を運んだり、敵の高官に接触して重要な情報をフランスに伝えていたのです。

戦後はいろいろな国の12人の戦争孤児を養子として迎えたり、人種差別撤退運動に加わったり、舞台に立ったり、幅広い活躍をし、1975年にアーティストのキャリア50周年記念のショーをパリでおこないます。多くの著名人が拍手をおしみなく送った4日後、脳溢血で突然68歳の生涯を閉じたのでした。

ドルドーニュ地方の古いシャトーを購入し、
そこで戦争孤児たちを育てていましした。その中には日本人も一人いました。
シャトーの庭でくつろぐジョゼフィヌ。1961年

同じアメリカ女性のモナコのグレース公妃と特別に親しく、時間があるときにはモナコ公室の別荘で過ごしていた ジョゼフィヌは、モナコの墓地に葬られました。そして今、フランスに大きな貢献をなした女性として、パンテオンに祀られる栄誉に輝いたのです。

遺体は遺族の希望でモナコの墓地に眠ったままで、彼女のゆかりの地の土がパンテオン入りする棺に納められました。ジョゼフィヌが生まれたミズリー州のセントルイス、こよなく愛したパリ、12人の養子たちを育てていたドルドーニュ地方、そしてモナコの墓地の4ヵ所の土です。