ルーヴルは、優れた絵画や彫刻を多数展示している美術館。それは、誰でも知っていることで、その鑑賞のために、連日、長い行列が出来ている。
でも、いつも、残念に思っていることがあるのです。それは「サモトラケのニケ」の左後にある「アポロンの間」あるいは、「アポロンのギャラリー」の存在を知らない人が多いこと。この部屋の歴史も装飾も重要だし、何よりも、歴代の王侯貴族が実際に身に付けていたフランスの宝飾品を展示しているのに・・・・と私は大不満。
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フランスの君主たちのコレクションや、 国王、王妃などが着用した稀有なジュエリーを鑑賞できる「アポロンのギャラリー」 |
まず、「アポロンのギャラリー」の建築を命じたのは、かのルイ14世。
「偉大な国王は、立派な建造物を後世に残すべきです」
などと、全面的な信頼を寄せていた宰相マザランが語ったようで、ルイ14世は壮麗なヴェルサイユ宮殿建築だけでなく、自分の騎馬像を中央に置いた広場をパリ市内に建築させたりして、幾世紀にも渡って「歴史上最大の国王」と崇められたかったのです。
そうしたル14世が、当時、居城としていたルーヴル宮殿内に、レセプションを開く大広間を設けることを思いつき、建築家ルイ・ル・ヴォーと画家シャルル・ル・ブランに約60mの長いギャラリー建築を依頼します。
天井には神話が描かれ、壁は肖像画や彫刻で飾られ、金箔が至る所で華麗な輝きを放つこの回廊は、太陽王ルイ14世にちなんで「アポロンのギャラリー」と呼ばれ、後年、ヴェルサイユ宮殿の「鏡の回廊」のモデルとなります。
ここに国王のコレクションや、外国君主からの贈答品が展示されるようになったのは、1861年。ナポレオン3世による第二帝政が最盛期を迎えていたころ。
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17世紀以降の代々のフランス国王が、 外国の君主たちから受け取った贈答品が、ガラスケースの中に展示されています。
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16世紀末にイタリアで製作された、色とりどりの大理石のモザイクテーブル。 金箔を施した重厚な脚は、1850年作。 |
この部屋の圧巻は、何と言っても宝飾品。
ルーヴル美術館の様々な部屋に展示、あるいは保管されていた、王家の人々が実際に着用していた数点のジュエリーは、2020年にリノベーションされた「アポロンのギャラリー」に集められ、それぞれが競うように華麗な輝きを散りばめているのです。
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ルイ15世が戴冠式で使用した冠。 貴石はその後取り外され、レプリカがはめられていますが、 それ以外は、すべて当時のまま。国王が使用した、現存する唯一の冠。 |
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フランス革命を生き延びたルイ16世とマリー・アントワネットの間に生まれた王女は 後に結婚しアングレーム公爵夫人となり、再び宮廷生活を味わいます。 彼女のブレスレットとベルト飾り。 ルビーとダイヤモンドのゴージャスなジュエリー。
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ナポレオンの2番目のお妃、マリー・ルイーズのパリュール。 |
展示されている数々の宝飾品には、それぞれ貴重な物語が潜んでいる。その中でもっとも興味深いのは、ルイ15世が戴冠式で被った王冠を飾っていた「ル・レジャン」と呼ばれる140、64カラットのダイヤモンド。
これは後に王冠から外して保管し、ルイ16世が王冠や帽子飾りにしたり、マリー・アントワネットがブローチにしたり愛用していました。
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140,64カラットのダイヤモンド「ル・レジャン」
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このダイヤモンドが発見されたのは1698年、インドの南でした。「ル・レジャン」と名付けられたのは、ルイ14世の甥、オルレアン公フィリップ2 世が購入したため。彼はルイ14世が逝去した時から、5歳の年齢で国王になったルイ15世の摂政を務めていたのです。「摂政」はフランス語で「レジャン」。それがこのダイヤモンドの名の由来。
革命の際に他の宝石共々盗まれましたが、幸いなことに翌年に無事に発見。時が流れ、革命の混乱の中から彗星のごとくに出現したナポレオンが、第一統領になったときに「ル・レジャン」を買ったのです。何かとブルボン朝と張り合っていたナポレオンは、皇帝になる戴冠式で、剣の先にこのダイヤモンドをつけます。
王政復古で王座に就いたシャルル10世も、ナポレオン3世のお妃ウジェニーも使用したダイヤモンド。こうした比類なき歴史を刻む「ル・レジャン」を「アポロンのギャラリー」で、間近に見れるのはほんとうに素晴らしいこと。
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これほどの宝物を展示している「アポロンのギャラリー」は 閉館の時間に合わせて重厚な扉がビシッと閉まります。 |
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幻想的なライティングの中で国の宝物を鑑賞していると、 王朝時代にタイムスリップしたような錯覚を起こす。
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かつてのフランスの豊かさ、優れた美的感性、緻密な職人技に感嘆しないではいられないこの宝物庫を見逃すのは、あまりにももったいない。