2023年1月27日

カルティエ 知と才の集結

 パリ本店のリニューアルを終えて、さらなる関心と評判を呼んでいるカルティエが、リッツパリで類まれなジュエリーを発表。素材のクオリティの高さ、アルティザンの緻密な技巧、そして、何よりも、画期的なアイディアに驚嘆しないではいられません。今回も、全てのジュエリーが煌めかせる知と技の素晴らしさに目眩を覚えたほど。「王の宝石商」カルティエは世界に誇るフランスの宝と言えます。

美しい流れを見せるエレガンス極まりないネックレス。
いつまでも記憶の奥に残る逸品。

ノーブルでコンテンポラリーなデザインのジュエリーウオッチ。
心に爽やかさが走る色合いが魅力的。


日本の幾世紀にも及ぶ伝統文化「帯」へのオマージュ。
日の出をモチーフとした卓越したネックレス。


技の素晴らしさに、感動で体が震えました。

アトリエの熟練のアルティザンの貴重な説明もありました。

展示会場に隣接したサロンで、
シャンパーニュや軽いランチのサーヴィスもあり、至れり尽くせり。



鯛料理とリッツに欠かせないマドレーヌのデザートを堪能。

リッチで幸せいっぱいのひと時でした。

2023年1月22日

草間彌生さん、ルイ・ヴィトンとコラボレーション

 日本を代表する現代アーティスト草間彌生さんが、ルイ・ヴィトンと二度目のコラボレーションを実施し、パリで大きな話題を呼んでいます。

シャンゼリゼのルイ・ヴィトンはカラフルな水玉模様が建物全体に飾られていて、楽しさ極まりない。しかも、草間さんが描いている最中の大きな像もあり、すごいインパクト。

この界隈を歩く人は皆、驚いた様子でルイ・ヴィトンの建物を見て、あまりの変貌にスマホで記念撮影する人ばかり。思い切った演出がパリに生気を与えています。

シャンゼリゼのルイ・ヴィトン。建物全体に水玉模様。
通りがかる人々の視線をとらえないではいない。
真剣な表情でと水玉模様を描く草間彌生さん。


建物だけでなく、旗にもドット。ルイ・ヴィトンの意気込みが伝わります。


カラフルなバッグのほか、トランクもあります。


スニーカーも楽しいけれど、ブーツのヒールのドットが個性的

春や夏に着たい服もたくさん。

店内ももちろん水玉模様。心が躍ります。

途絶えない行列。この界隈全体に新鮮で一味違う空気が流れています。

2023年1月15日

デュ・バリー夫人が暮らしていたヴェルサイユ宮殿の部屋

 ルイ15世がデュ・バリー夫人に出会ったのは1769年で、国王は59歳、夫人は26歳。王妃も公式愛妾だったポンパドゥール夫人も失っていたルイ15世は、特定の女性がいませんでした。

側近たちは代わる代わる、国王が気に入りそうな女性を紹介し、恩恵にあずかろうと必死になっていた時に、悪賢いジャン=バティスト・デュ・バリー伯爵が、自分の愛人ジャンヌ・ベキュを王に会わせる手はずを整えます。彼女はデュ・バリーの愛人だっただけでなく、多くの貴族相手の娼婦もさせられていたのです。つまり高級娼婦だったのです。

国王の公式愛妾になる女性は貴族の称号がなければならないとわかると、ジャン=バティスト・デュ・バリー伯爵は独身だった弟ギヨームを利用し、多額のお金と引き換えに書類上の結婚をさせます。このようにしてデュ・バリー伯爵夫人になった元高級娼婦は、ルイ15世を魅了し、公式愛妾の座に治まったのです。

ヴェルサイユ宮殿3階に暮らすようになったデュ・バリー夫人は、アートに造詣が深かっただけあって、家具もオブジェも彼女の趣向をこらしたものばかり。そのどれも品格があり夫人の高尚な感性が伝わってきます。すでに2度訪問し撮った写真が数枚あるので、ご紹介します。

親しい貴族夫人たちと、コンサートやゲーム、会話
を楽しんでいたサロンのひとつ。
フェミニン極まりないベッドルーム。この左手にドアがあり、
それを開けると国王の図書室に直接行ける木製の階段があります。

ベッドルームの暖炉の上に飾られているルイ15世の胸像。

奥まった所にある図書室。

デュ・バリー夫人が特に気に入っていたイス。
マリー・アントワネットと同じように、バラとピンクが好きでした。

セーヴル焼に愛着を抱いていて、多くの磁気をオーダー。
特にブルーが好きだったそう。

広々としたバスルーム。

別室で沸かしたお湯をバスタブに入れていました。

ルイ15世の2階の居室と、
3階のデュ・バリー夫人の部屋の行き来に使用していた階段のひとつ。


どの部屋も華々しさがなく、清涼ささえ感じられる装飾は、きっと国王に安らぎを与えていたことでしょう。階下の「見せるための宮廷生活」が、あまりにも豪奢だったから、ここはルイ15世にとって、ひとりの恋する男性の憩いの場だったに違いありません。

デュ・バリー夫人がここに暮らしていたのは約4年間。ルイ15世逝去にともない、宮殿から追放された彼女は、修道院に1年間暮らした後に、宮殿からさほど遠くないルーヴィシエンヌのシャトーに暮らします。亡き国王から生前にプレゼントされたシャトーです。

ルイ15世からプレゼントされたルーヴシエンヌのシャトーで、
デュ・バリー夫人は国王に感謝する豪華なソワレを催しました。
1771年9月2日。

その後革命が起き、ロンドンとルーヴィシエンヌを行き来していましたが、ルイ16世処刑を知り、自分のシャトーやジュエリーを没収されるのを懸念し、フランスに戻り、逮捕され死刑の判決が下されたのです。彼女は50歳になっていました。信じられないほど軽率ですが、子供の頃は修道院で暮らし、その後は貴族と結婚し、ついには国王の公式愛妾になったデュ・バリー夫人は、大した苦労も経験しなかった世間知らずだったといえるでしょう。彼女は貧しい人、気の毒な人に尽くす優しさを持つ女性でもあったのです。
                 

革命が起きた1789年のデュ・バリー夫人。
これが彼女の最後の肖像画で、マリー・アントワネットの
お抱え女流画家ヴィジェ=ルブラン作。
ヴィジェ=ルブランは革命が起きると直ちに国外に逃亡し生き延びます。
デュ・バリー夫人が4年間暮らしていたのは、右の3階の14部屋。
その真下の2階にルイ15世の居室があり、3つの階段でつないでいたのです。

2023年1月13日

ショパン終焉の部屋を訪問

以前ブログに書いたように、ピアノの詩人ショパンが生涯を閉じたのは、ヴァンドーム 広場12番地の館で、現在は高級宝飾店ショーメの本店です。

詳しいことは 6月3日のブログに書きました

昨年、ショパンが最後の日々を送り、息を引き取った部屋を訪問する予定だったのが、延期され昨日やっと実現しました。この部屋はショーメの回顧展やニュー・コレクション発表、パーティーなどで数回訪れましたが、いつも特別な装飾が施され、ショパンの時代の様子が感じられなかったので、今回は大きな期待を抱いていました。

ショパンの時代と変わらない階段。
かつての貴族館だけあって幅広い豪華な大理石の階段。
皆、ワクワクしながらのぼりました。


招待されたのは10人。しかもショパン専門家の解説付きとあって、内容豊かでとても感激しました。ショパンが暮らしていたのは、中庭に面した2階で、窓から太陽が差し込み、病で衰弱していたショパンは、大変気に入っていたのです。けれども日が経つに連れて健康が悪化し、オーナーの好意でヴァンドーム広場に面した大きなサロンに移り、そこにピアノを置き、静養していたのですが、力尽き、そのサロンで親しい人にかこまれながら、生涯を閉じました。

2階のサロン。この部屋でショパンは最後の日々を過ごしていました。
彼は最後まで健康を取り戻せると思っていたそうです。

高い天井、宮殿のような装飾。家具も立派だったようです。
ショパン愛用のピアノも置かれていました。


窓から均整が取れたヴァンドーム広場が一望できます。
ナポレオン皇帝が君臨する円柱を、ショパンはどう思っていたでしょう。
ナポレオンとショパンの故郷ポーランドは深い関係があるのです。

ヴァンドーム広場に面したサロンに移る前に、
ショパンが暮らしていた、中庭に面した部屋は2階にあり、
1階にはキッチンや世話をする人の部屋がありました。

貴重な逸話もたくさん知って、心が充分に満たされました。今後、ショーメの前を通る時は、今までと異なった想いをいだくことでしょう。

2023年1月9日

アンジェリーナ 創業120年記念の年

 パリでもっとも優雅なサロン・ド・テ「アンジェリーナ」。1903年創業なので、今年は120年の記念すべき年。そうでなくても連日長い行列ができるのに、いつもよりずっと多くの人が並んでいる感じ。もっとも、今は、ガレット・デ・ロワの時期なので、それもあって長蛇の列なのかも。

リヴォリ通りの名所となっているアンジェリーナ。

一年中、長蛇の列。

リヴォリ通りにサロン・ド・テをオープンしたのは、オーストリア人のパティシエ、アントン・ランベルマイヤーとその息子ルネ。すでに南仏で好評を得ていたので、首都パリにもと意を決して、1903年にベルエポックにふさわしい優美なインテリアの店舗をオープン。

創業した1903年のアンジェリーナ。
今も当時の面影が克明に残っているのが魅力。

メゾン特有のこってりとしたモンブランとホットチョコレートは、またたく間にお洒落なパリジェンヌ、パリジャンを魅了。それに加えてプルーストやシャネルが愛用していたとあって、その名は世界に轟くようになったのです。店名「アンジェリーナ」は義理の娘の名で、この名の響きがまたロマンティックで、エレガントなインテリアにぴったり。長い行列を作ってでも、やはり本店に入ってみたいもの。

ノーブルな雰囲気は心を躍らせるほど。

オーストリアのカフェの歴史は古く、ナンと1685年からあるそうだから、すごい。コーヒーやスイーツを口にしながら、着飾った紳士淑女の社交場になっていたからには、お味もインテリアにも、当然、それなりの工夫がなされていたのです。そうした事をガイドブックで読んでいた私は、ウイーンに行った時には何が何でも名高い「ザッハー」と「デーメル」に行くと張りきり、きちんと列に並んで順番を待ちました。

ハプスブルク家の人々がスイーツが大好きで、オーストリアのケーキが発達したと言われているから、オーストリア人経営の「アンジェリーナ」には、それまでパリになかったお味、サーヴィス、雰囲気があるのかもしれない。パリの中のウイーンなのか、と、ふと思う。デパートや美術館内にもあるけれど、やはり本店でないと本物を味わえないようで、困ったものです。

まるでパラスのような洗練を極めた内装。
近いうちにまた行きたい。

2023年1月6日

かわいそうなモミの木たち

 クリスマスには、たくさんの飾りを付けられ、褒められ、チヤホヤされるのに、新年になるともう役目は終わったとばかりに捨てられるモミの木。たくさんの立派な葉がついているというのに、人間に見放されて見向きもされないモミの木がかわいそうすぎる。今日も道端に無造作に捨てられているのを見て、心が痛みました。

役目は終わったと道端に捨てられるモミの木たち。

まだまだ若さいっぱいなのに、あまりにもかわいそう。

広大な土地で、同僚たちと一緒に成長し、心地よい香りをあたり一面に放ちながら、青春を楽しんでいたのに、クリスマスが近づくと、次々と切り倒され、バラバラに散って行ってしまう運命。

数日間賞賛された後は、急遽作られた不要なモミの木を捨てる場所に放り出され、まとめて粉砕され再利用されたり、暖炉の薪になったり。木を切るといろいろ非難されるのに、モミの木は別。私も以前は新鮮なモミの木を買って飾りを付けていましたが、ある時から、何だか残酷な気がして、止めました。今はプラスティックで充分だと思っています。

ちなみにフランスでモミの木を室内に飾るようになったのは、ルイ15世のお妃マリー・レクザンスカのお蔭で、1738年のこと。飾ったのはもちろんヴェルサイユ宮殿。でも当時はあまり興味を持たれなかったのです。宮殿の装飾があまりに煌びやかったからでしょうか。それから間もなくして、貴族たちが、さらに時が経ち、ブルジョワや一般の人がクリスマスにモミの木を飾るようになったのです。

19世紀末のアルザス地方のクリスマス・マーケット。
ツリーを買って、抱えながら家に向かう女性の姿が印象的。
当時は本当の木だけ。でも、今はプラスティックがあるから、
多くの人がそれに切り替えるといいのに、と思っています。

2023年1月3日

デュ・バリー夫人の映画、今年いよいよ公開。

ルイ15世の公式愛妾だったデュ・バリー夫人
1743-1793

 ルイ15世の公式愛妾と言えば、ポンパドゥール夫人とデュ・バリー夫人の名が必ずあがります。ポンパドゥール夫人は稀に見る才知ある女性で、政治が苦手の国王に代わって、多くの偉業を成した人。

一方、デュ・バリー夫人は優しさがある美貌に加え、ほがらかで、無邪気な性格で、政治に口をだすこともなく、ルイ15世は最後まで彼女を心から愛していたようです。そうした愛妾に常に身近にいて欲しかった国王は、ヴェルサイユ宮殿のご自分の居室の真上に、彼女のために14部屋も与え、直接行き来できる階段を設け、幸せな日々を送っていたのです。

このお二人を主役とした映画が去年から撮影されていて、今年、公開されます。肝心のデュ・バリー夫人を演じるのは、マイウェン・ル・ベスコ。実力ある女優から監督になった話題の女性で、今回は監督でありデュ・バリー夫人役もつとめます。そしてルイ15世役はジョニー・デップ。フランス映画なので、全編フランス語だそうですが、彼はフランスに長年暮らしていたから、言葉も問題もないでしょう。

フランスの栄華を語るヴェルサイユ宮殿。
訪問するたびに高揚感を覚えます。

撮影の多くはヴェルサイユ宮殿で行われていて、何と、私がデュ・バリー夫人の居室を訪問した休館日に、ジョニー・デップがルイ15世の扮装で演じていたのです!!! 私が目にした撮影は、旧体制の時代には貴族しか入れなかった「大理石の中庭」。ジョニー・デップ扮する国王が、豪華な馬車に乗る場面。その周囲を着飾った貴族たちや護衛兵が取り囲んでいて、18世紀そのもの。馬もピカピカに磨かれていて、何となく高貴な感じがする。こうしたこともあり、映画の完成が待ち遠しい。

ヴェルサイユ宮殿の3階に暮らすようになったデュ・バリー夫人。
27歳。

ルイ15世が公式愛妾に与えた部屋は宮殿の3階にあり、多額の年金を受け取り、自分好みの装飾をさせ、優雅な日々を送っていたデュ・バリー夫人でした。けれども、1774年、国王逝去によりヴェルサイユ宮殿から追い出され、修道院で暮らした後、生前にルイ15世からプレゼントされた、宮殿近くのルーヴシエンヌのシャトーに落ち着きます。それを許可したのはルイ16世。デュ・バリー夫人から求められ、いとも簡単に希望を叶えたルイ16世は、やはり人が良すぎる。

亡き国王の愛妾が暮らしていたヴェルサイユ宮殿の部屋は、役人たちが分割して使用していたために、革命の際に難を逃れます。宮殿のその他の部屋はすべて大きな被害を受けたのに、これは奇跡としか言えないほど、貴重です。

とは言え、時と共に老朽化し、いくつかの企業の寄付金により修復が行われ、やっと完了。各部屋の家具調度品はすべて彼女のオーダー。洗練を極めたそうした品の数点は、夫人が宮殿から追い出された後、貴族たちが争って購入したそうだらか、いかに素晴らしかったか。

デュ・バリー夫人の居室も映画撮影に使用されたと思うけれど、実際にその場面を見ていないので何とも言えない。私がアイフォンで撮った写真が何枚もあるので、後日、ブログで紹介します、お楽しみに。

ヨーロッパの君主の羨望の的だったヴェルサイユ宮殿。

そういえば、今年はルイ16世、マリー・アントワネット、そしてデュ・バリー夫人が処刑されてから230年の年。3人に関する行事がいろいろあるでしょうが、この映画もそのひとつなのでしょう。となると、あれこれ見てまわるので私も忙しい。

2023年1月2日

2022年から2023年へ

 一年の終わりの12月31日は、フランスではサン・シルヴェストルと呼びます。シルヴェストルは3世紀のローマ教皇で、亡くなったのが335年12月31日でした。当時のローマ帝国のコンスタンティヌス皇帝が、帝国の首都をローマからビザンティンに移したために、ローマの司教だったシルヴェストルが実権を握るようになったのです。そういえば、前ローマ教皇べネディクト16世が亡くなったのは2022年12月31日でした。

この日の夜には、毎年エッフェル塔や凱旋門で花火が打ちあげられますが、コロナのために2年間、それもなく、寂しいサン・シルヴェストルでした。今年は3年ぶりに華やかな祭典となり、凱旋門ではライブがあったり花火も華やかに打ち上げられ、大変な賑わい。情報によると約100万人も集まったそう。外国からのツーリストも多く、この日のためにわざわざ飛行機でパリにきたのです。

何が起きるか予想がつかないので、シャンゼリゼのブティックは用心のために頑丈なバリケードで守り、警備も厳重。でも集まった人々は、はち切れそうな笑顔で新しい年を迎えました。

厳重な警戒。ブティックはバリケードで防衛。

フランスの3色旗が凱旋門にうつり出されると大歓声。
ごもっとも。

煌びやかな花火が立て続けにあがり、
その美しさに感動し、誰もがフランス愛国者になる一瞬。

シャンゼリゼ全体からカウントダウンの大合唱か空高く舞い上がり、
5,4,3、2、1そして0になった途端に
2023年の文字が凱旋門に現われ、熱狂は最高潮。

2023年1月1日

明けましておめでとうございます!


2023年が皆様にとって良い年であるよう、心から願っています。