2023年4月26日

ルイ16世&マリ-・アントワネット、チュイルリー宮殿での生活展

ルイ16世一家がヴェルサイユ宮殿で革命家たちに捕らえられ、パリのチュイルリー宮殿で暮らすようになったのは、1789年10月6日。その日から厳しい監視のもとに不自由な生活を送っていた国王一家は、1792年8月10日、民衆がチュイルリー宮殿を襲撃し、タンプル塔に幽閉されます。その間の約1000日間のチュイルリー宮殿での王家の人々の生活を絵画、デッサン、家具、手紙などで伝える貴重な展覧会を、マレ地区のフランス国立公文書館で11月6日まで開催。

フランス国立公文書館はマレ地区で最も美しい旧貴族館で、ロココ様式の豪奢な建物。王政華やかな時代には、文芸人を招いての社交が繰り広げられていましたが。革命で没収され、現在は中世からの歴史上重要な多くの古文書を保管しています。通常は研究者が利用しますが、ときおり、テーマを決めて、その中から一般の人が見れるようにイヴェントを催すのです。

貴族館だった時代の豪奢な階段。展覧会会場は2階です。

国王一家がチュイルリー宮殿で使用していた家具。
左はマリー・アントワネットが愛用していた肘掛け椅子。
この宮殿に暮らすようになった際に、
ヴェルサイユ宮殿の家具が運ばれたのです。

幸運をもたらすとされていたマリー・アントワネットのペンダント。
琥珀の中に蜘蛛が入っています。

マリー・アントワネットとルイ16世の妹の共通の趣味は刺繍。
これは二人の合作の一部。
家族で楽しんでいたゲーム。

チュイルリー宮殿の庭園を散策する国王一家。
常に看守付きでした。

ルイ16世の妹がオーダーしたドレスの布見本。
これが最後のオーダーでした。

チュイルリー宮殿内で描かれた王妃のポートレート。
シンプルなドレスに身を包むマリー・アントワネットですが、
気品がほとばしっています。
マリー・アントワネットが極秘で書き送っていたフェルセンへの手紙。
一部は解読できないように後に加工されいます。

几帳面なフェルセンは、王妃から受け取った手紙と、
自分が王妃に送った手紙の日付を記入していたのです。


「マリー・アントワネットとフェルセン、真実の恋」を書いていた時に、
資料を読むために何度も足を運んだフランス国立公文書館。
当時と比べると、工事で内部はかなり変わりましたが、外観は当時のまま。
私にとっては、なつかしい思い出がある特別な公文書館です。

2023年4月23日

ジュリエット・グレコ広場

 久々に左岸のサン・ジェルマン・デ・プレに行ったら、閉まっているブティックが数件あり、フランスの経済不振をしみじみと感じました。やはり、さみしい。特に、友人とショッピングを楽しんだブティックやティータイムを過ごしたカフェがなくなっているのには、心が痛みました。

そんな中で、晴れやかな気分になったのは、サン・ジェルマン・デ・プレ教会前。大勢の人が集まって、明るい話し声や笑い声も響いている。結婚式か洗礼式があったのでしょうか。

サン・ジェルマン・デ・プレ教会前で、幸せそうに語り合う人々。

ふと、教会の左手を見ると、小さな広場があり、そこに「ジュリエット・グレコ広場」と書いてある。ああ、そうだ、ここは以前は別の名がついていたけれど、グレコが93歳で生涯を閉じた翌年の2021年に、広場に彼女の名を冠したのだった。命日の9月23日に。

パリ最古のこの教会は、ロマネスク様式で、後にゴシックを加えた貴重な建造物。

教会の左にある「ジュリエット・グレコ広場」
規模は小さいけれど、
華麗な花を咲かせる木や新鮮な緑の植木、ベンチもあり、
憩いの場として愛されています。


ジュリエット・グレコといえばもっともフランス女性らしい歌手。黒い服、黒いヘア、そして、あの独特な多くを語る手の動き、すくい上げるかのような歌い方。サン・ジェルマン・デ・プレ界隈の文芸人と交流を深め、ジャン・コクトーやジャン・ポール・サルトルなどとも親しく、知的魅力を発揮し、新時代のミューズと崇められていた女性。

1950年の若いジュリエット・グレコ
レジスタンス運動にも加わった信念の持ち主でもありました。

黒の服しか着なかったグレコ。
特有の声、歌い方、手の動きで世界中を魅了。

彼女を語る時、サン・ジェルマン・デ・プレを思い浮かべないではいられない。この地に彼女の名を冠した広場があるのは、ごく自然なこと。

広場を取り囲む鉄柵のプレートに、
彼女の名、生まれた年、生涯を閉じた年、
そして、歌手であり女優と書かれています。

2023年4月16日

ヴァンクリーフ&アーペルに咲き誇る花々

ヴァンドーム広場のヴァンクリーフ&アーペル本店は、今、花盛り。春らしい淡い色合いの花々が、いくつもあるショーウィンドーの周りを取り囲んでいて、体の奥深くまで届くような清涼感をあたり一面に放っています。

愛らしい花々がいっぱいのヴァンクリーフ&アーペル。

ヴァンクリーフ&アーペルといえば、気品あふれるアルハンブラが象徴的で、イギリス皇太子妃キャサリンもご愛用。四葉のクローバーに着想を得たこのジュエリーでわかるように、このメゾンは自然をモチーフとしたジュエリーが多いのです。

花咲く中に身を置いて、
ショーウインドーに見入る幸せな午後のひととき。

ショーウインドーの中にもお花がいっぱい。
ジュエリーは気負のないフラワーモチーフのペンダント。
さわやかさが満ちていて清々しい。

パリはレストランやカフェを造花で華々しく飾るのが大流行していますが、ヴァンクリーフ&アーペルの花飾りは別格。広い野に咲く、けなげな花たちへの深い愛情がひしひしと伝わってくるのです。大自然の中で、何の規則にもとらわれずに,伸び伸びと可憐な姿を見せる花たちに心が癒されます。

2023年4月12日

エジプト熱を掻き立てたのはナポレオン

 ナポレオンのエジプト遠征がなかったら、エジプトの4000年にも及ぶ歴史は、もっと長い間埋もれていたかもしれない。


若き日のナポレオン・ボナパルト将軍

宿敵イギリスの海軍力の強さから、フランス軍が本土に攻め入るのは不可能と判断しナポレオンは、その代わりにイギリスにとって重要なエジプトに打撃を与えることを考えます。皇帝になる前の将軍の時代で1798年のことでした。

当時、インドとの交易がイギリス経済に大きな役割をはたしていて、その通過点にあるエジプトは要地だったのです。そこをフランスが占領し、イギリスに大々的な打撃を与えるのが目的でした。

ナポレオンのすぐれた点は、単なる戦いでなく、古代エジプトを徹底的に調査し、世界にその前代未聞の長い歴史と文化を伝えることも考えたことです。そのために、160人の学者や専門家を同行させ、膨大な緻密な資料をもとに「エジプト誌」が完結したのです。

エジプトへ向かう軍艦オリアン(オリエント)で、
学者たちに演説する総司令官ボナパルト。


1809年刊行の「エジプト誌」第一巻。
遠征に同行した画家ドノンの手による表紙。

これによって、埋もれていた古代エジプトは息吹を吹きかえし、それ以来、エジプトへの関心は高まる一方になったのです。良く知られているように、遠征隊が持ち帰ったロゼッタストーンに刻まれていた難解なヒエログリフを、後年にフランス人シャンポリオンが解読に成功し、古代エジプトの多くの謎を解くのにも役立っています。

ピラミッドを前にしたボナパルト。


ドノンが描いた、ラムセス2世が建築させたルクソール神殿のオベリスク。
この右手のオベリスクが現在コンコルド広場にあります。


このように、フランスとエジプトの関係は非常に深く、その上、1974年にラムセス2世のミイラの保存処置をするために選ばれたのはフランス。かつての偉大な国王に敬意を表し、まるで生きている王のように迎えたのでした。今回ラ・ヴィレットのラムセス2世展で、棺を展示していますが、これはエジプトのフランスへの感謝の意の表れ。展覧会はアメリカやオーストラリアにも巡回しますが、棺の展示はフランスのみ。いろいろな意味で画期的な展覧会です。機会があれば、また行ってみたい。パリにいながらエジプトの文化に触れるために。

2023年4月8日

圧倒されるラムセス2世展

4月7日から9月6日まで、パリのラ・ヴィレットでラムセス2世に関する大規模な展覧会が開催されています。昨年この企画をしったときから待ちこがれていたので、初日に、早速足を運びました。
エジプトには3回行っているけれど、あれほど広大で、気が遠くなるほど長い歴史がある国は、何回行っても見切れない。現に今でも発掘が行われていて、新事実が明らかになっている。こうした展覧会で、専門家の説明を読みながら鑑賞できるのは、正しい知識を得られるので、とても貴重。しかも目の前で見られるだから、すばらしい。
展示品は170を越え、もっとも貴重なのはラムセス2世の棺。90歳近くまでの長い人生で、67年も君臨していたラムセス2世は、後世に残る巨大な建造物を多く残しているし、その栄華の輝きは今なお衰えることはない。

アブ・シンベル、カルナク、ルクソール、エジプトを代表するこうした巨大建造物のどれも、ラムセス2世によるもの。そうした破格の王に関する展覧会。事前から予約が殺到し、訪問者は記録的数字になると予想されています。では、いざ、ラムセス2世の世界へ。

会場内に入るとすぐに、アブ・シンベル神殿の巨大なパネルが目の前に。
ここですでに圧倒され、身も心もエジプトにいる錯覚をおこします。

そこから左の部屋に入ると、大きなスクリーンがあり、簡潔なエジプトの歴史とラムセス2世の偉業をたたえる映像と、フランス語の解説。ある程度の知識を頭に入れて、先に進むといよいよ本格的な展示会場入り。

ラムセス2世の大きな頭部の像がお出迎え。
予想以上に整った温厚な顔でちょっとびっくり。

すべての展示室の壁は黒一色。だから迫力満点。
現実から遠く離れ別世界にひたります。
誰もが熱心に解説を読んでいるのに関心。
他の人に迷惑をかけないように、はなれているのが印象的。

若かりしころのラムセス2世。整った理知的な顔が王者にふさわしい。

敵の捕虜に威勢をふるう若きラムセス2世。
偉大な王をエジプトに授けた母上。

鷹の頭のオーナメントがある豪華なネックレスとベルト。

気品ある仮面。純金かと思ったら、木製の金張り。

クライマックスのラムセス2世の棺。


顔はラムセス2世ではなく、別人。盗難や破壊から守るための処置。



当初は『王家の谷』に埋葬されましたが、
年月が経つにつれ土砂や洪水で破損がひどくなり、盗難もあったために2回移転し、
極秘で行われたために、後年に行方がわからなくなり、1881年にやっと発見。
盗賊が王家の人々の棺から盗んだ品を骨董品店に売ったことから、
ラムセス2世の棺だけでなく、約50人の王族のミイラや棺がある場所がわかったのです。
『王家の谷』から遠くないデイル・エル・バハリでした。

いろいろと学ぶことが多く、充実した内容で感激と感動続きでした。興奮状態で会場を後にし、またあの壮大な建造物と熱い空気に触れたいと思うばかり。

以前に訪れたラムセス2世が建築させた、カルナク神殿のスフィンクス参道。

2023年4月6日

長寿大国フランス

 フランスには100歳以上の人が3万人もいると発表がありました。フランスの人口は日本の約半数だから、これは驚くべき数字。しかも毎年増えているそうで、統計によると2040年には7万人以上になるそう。

人類史上もっとも長生きしたフランス女性、ジャンヌ・カルマン。
40歳ころの写真。122歳で生涯を閉じました。

100歳以上の人は女性が圧倒的に多く86%。これは世界的な傾向なので、フランスに限らないけれど、女性にとっては心強い。医学的なことは何もわからないけれど、元気で長生きした女性の共通点にひとつは、チョコレート大好きということ。それに含まれているポリフェノールの抗酸化作用がアンチエイジに効果があり、カカオが多いのを定期的に食べるのがいい。赤ワインが好きなのも長寿者の共通点。これにもポリフェノールがいっぱい。

ヨーロッパでもっとも100歳以上の人が多いフランスは、人生の生き方も左右しているように、私には思えます。年に5週間の有給休暇が認められているし、保険制度も充実している。不満があれば、はっきり述べるからストレスもたまりにくい。デモやストライキが、そのいい例。個人主義だから、他の人の目を気にしないで、自分好みに生きる。日常生活を美しく飾る心掛け、お洒落やおしゃべりもフランス女性が好きなこと。

いろいろな要素があるけれど、元気で長生きするのは、誰もが願っていること。100歳以上の高齢者が世界で一番多いのは日本ですが、フランスも頑張っています。

2023年4月3日

セルフサービスの電動スクーター、9月1日から禁止

パリ市内でのセルフサービスの電動スクーターが、夏で禁止になります。4月2日に投票があり、89%が反対したのです、個人が持っている電動スクーターは別で、これは今まで通り使用可能。

以前から、スピードを出して我が物顔に走る、危険な電動スクーターに反対する人が多く、これで少し安全。禁止されている二人乗りも結構多かったし、車との接触事故も多く、怪我だけでなく、死亡事故さえあったパリ。使い終わった後、セーヌ川に投げ入れる人までいて、迷惑だらけ。

パリ市民だけでなく、ツーリストもこのフリーの電動スクーターを愛用していたようですが、車道で車の間をクネクネと縫いながら走ったり、歩行者も信号も無視するマナー違反の態度にうんざりしていただけに、今回の投票は両手をあげての歓迎。

業者との契約上、すぐには実施されず、新学期、つまり9月から完全に姿を消すそう。それまでは、今までと同じように、気を付けなければ。

予定では9月1日から姿を消すそう。
ヨーロッパの他の国も同じような決定をするかもしれない。

イースター、だからチョコレートがいっぱい

 今年のイースターは4月9日。この前後にはヨーロッパ人が大移動します。キリスト復活をお祝いするこの重要な祭日を挟んで長い休暇をとり、国境を越える人が多いのです。

気候もいいし、デモやストライキがあっても気にならない。パリには見るべきモニュメントがたくさんあるし、ブランド製品も勢ぞろい。お料理も、ワインもおいしい。美術館もこれに合わせて特別展覧会を企画。盛りだくさんなこの時期に,パリに行かないわけにはいかない、とツーリストでにぎわうパリです。

17世紀までクリスチャンは、キリスト復活前の四旬節の間は、食べ物を極力減らしていて、卵を食べることも禁止。でもその間にも、ニワトリは卵を産み続けていたので、四旬節が終りイースターの日になると、卵をたくさん食べたり、プレゼントしていたのです。卵といっても殻にキレイな絵を描いたりしていたのですから、アートのような卵が多かったようです。また、卵は再生、復活を象徴しているからだとも言われています。いずれにしても、イースターと卵は密接な関係があるのです。

19世紀になると空にした卵の殻の中にチョコレートを入れるアイディアが生まれます。それはどうやら、チョコレートメーカーが考えたようです。

今では卵だけでなく、ウサギやニワトリ、魚、お花、パリのモニュメントなど、何でもチョコレートで作られていて楽しい。趣向を凝らしたイースターチョコのご紹介。

村上隆さんの笑顔のお花みたい。楽しさいっぱいのイースターエッグ。

黄色いお花畑で待つチョコが、メルヘンの世界へ招きます。

ジュエリーのように煌びやかなミニエッグの箱入り。

本物の卵が入っているような箱がユニーク。一見ウズラ卵に見えました。

イースターチョコ専門コーナーでは、
大小の手ごろなプライスのチョコが買えます。

子供のころ楽しんだ家族合わせのゲームを思い出します。

フクロウさん、カメさん、アヒルさん、クマさん、皆かわいい。
ピンクの背景のモニュメントも、とてもお洒落でキレイ。

アヒルさんの行進。顔の表情が豊かでチャーミング。

いつまでも同じ籠に入っているのがイヤだから、
そっぽを向いているのかしら。

インパクト満点のディスプレイ。


人気があるお店の前のにぎわいと、長い列。
皆、おいしい食べものとなるとじっと我慢して並ぶのですね。