久々に左岸のサン・ジェルマン・デ・プレに行ったら、閉まっているブティックが数件あり、フランスの経済不振をしみじみと感じました。やはり、さみしい。特に、友人とショッピングを楽しんだブティックやティータイムを過ごしたカフェがなくなっているのには、心が痛みました。
そんな中で、晴れやかな気分になったのは、サン・ジェルマン・デ・プレ教会前。大勢の人が集まって、明るい話し声や笑い声も響いている。結婚式か洗礼式があったのでしょうか。
サン・ジェルマン・デ・プレ教会前で、幸せそうに語り合う人々。 |
ふと、教会の左手を見ると、小さな広場があり、そこに「ジュリエット・グレコ広場」と書いてある。ああ、そうだ、ここは以前は別の名がついていたけれど、グレコが93歳で生涯を閉じた翌年の2021年に、広場に彼女の名を冠したのだった。命日の9月23日に。
パリ最古のこの教会は、ロマネスク様式で、後にゴシックを加えた貴重な建造物。 |
教会の左にある「ジュリエット・グレコ広場」 規模は小さいけれど、 華麗な花を咲かせる木や新鮮な緑の植木、ベンチもあり、 憩いの場として愛されています。 |
ジュリエット・グレコといえばもっともフランス女性らしい歌手。黒い服、黒いヘア、そして、あの独特な多くを語る手の動き、すくい上げるかのような歌い方。サン・ジェルマン・デ・プレ界隈の文芸人と交流を深め、ジャン・コクトーやジャン・ポール・サルトルなどとも親しく、知的魅力を発揮し、新時代のミューズと崇められていた女性。
1950年の若いジュリエット・グレコ レジスタンス運動にも加わった信念の持ち主でもありました。 |
黒の服しか着なかったグレコ。 特有の声、歌い方、手の動きで世界中を魅了。 |
彼女を語る時、サン・ジェルマン・デ・プレを思い浮かべないではいられない。この地に彼女の名を冠した広場があるのは、ごく自然なこと。
広場を取り囲む鉄柵のプレートに、 彼女の名、生まれた年、生涯を閉じた年、 そして、歌手であり女優と書かれています。 |
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