ナポレオンのエジプト遠征がなかったら、エジプトの4000年にも及ぶ歴史は、もっと長い間埋もれていたかもしれない。
若き日のナポレオン・ボナパルト将軍 |
宿敵イギリスの海軍力の強さから、フランス軍が本土に攻め入るのは不可能と判断しナポレオンは、その代わりにイギリスにとって重要なエジプトに打撃を与えることを考えます。皇帝になる前の将軍の時代で1798年のことでした。
当時、インドとの交易がイギリス経済に大きな役割をはたしていて、その通過点にあるエジプトは要地だったのです。そこをフランスが占領し、イギリスに大々的な打撃を与えるのが目的でした。
ナポレオンのすぐれた点は、単なる戦いでなく、古代エジプトを徹底的に調査し、世界にその前代未聞の長い歴史と文化を伝えることも考えたことです。そのために、160人の学者や専門家を同行させ、膨大な緻密な資料をもとに「エジプト誌」が完結したのです。
エジプトへ向かう軍艦オリアン(オリエント)で、 学者たちに演説する総司令官ボナパルト。 |
1809年刊行の「エジプト誌」第一巻。 遠征に同行した画家ドノンの手による表紙。 |
これによって、埋もれていた古代エジプトは息吹を吹きかえし、それ以来、エジプトへの関心は高まる一方になったのです。良く知られているように、遠征隊が持ち帰ったロゼッタストーンに刻まれていた難解なヒエログリフを、後年にフランス人シャンポリオンが解読に成功し、古代エジプトの多くの謎を解くのにも役立っています。
ピラミッドを前にしたボナパルト。 |
ドノンが描いた、ラムセス2世が建築させたルクソール神殿のオベリスク。 この右手のオベリスクが現在コンコルド広場にあります。 |
このように、フランスとエジプトの関係は非常に深く、その上、1974年にラムセス2世のミイラの保存処置をするために選ばれたのはフランス。かつての偉大な国王に敬意を表し、まるで生きている王のように迎えたのでした。今回ラ・ヴィレットのラムセス2世展で、棺を展示していますが、これはエジプトのフランスへの感謝の意の表れ。展覧会はアメリカやオーストラリアにも巡回しますが、棺の展示はフランスのみ。いろいろな意味で画期的な展覧会です。機会があれば、また行ってみたい。パリにいながらエジプトの文化に触れるために。
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