2024年4月20日

エカテリーナ2世、愛人オルロフへの破格のプレゼント

ロシア女帝エカテリーナ2世(1762-1796)

 34年間ロシア女帝として君臨していたエカテリーナ2世が、情熱家で、公の愛人だけでも10人以上いたことはよく知られている。その中で、彼女が若いころに出会ったグリゴリー・オルロフへの愛は、格別だったようです。

ピョートル皇太子とエカテリーナ。
結婚した1745年のお二人。

ロシア皇太子ピョートルとエカテリーナが結婚したのは1745年で、ドイツ貴族の家に生まれたエカテリーナは15歳、ピョートルは2歳上でした。絢爛豪華な結婚式を挙げたものの、夫は体に欠陥があり、彼女に触れることもなく、8年もの間、不幸な結婚生活を送っていました。こうなると、マリー・アントワネットと同じ運命のように思えてきます。外国からお嫁入りしたことも、結婚したときの年齢もほとんど同じ。長い間夫が原因で子供に恵まれなかったのも似ている。

若い頃のエカテリーナは、
ほっそりしていて、とてもチャーミング

エカテリーナがグリゴリー・オルロフと出会ったのは1760年で、皇太子妃の彼女は30歳、彼は25歳。エカテリーナは若い美男子が好みのようで、60歳を越えて30歳以上も年下の愛人を持ったことも度々ある。女帝の愛人になると、莫大な報酬と地位をえられるのだから、候補の美青年はいくらでもいたのです。

12年間、エカテリーナの愛人だった
グレゴリー・オルロフ(1734-1783)

近衛連隊に配属されていたグリゴリー・オルロフは、長身で、ガッチリした男らしい体格、整った顔。武力や戦略に比類なき才能を発揮するかと思うと、社交にも長け、出会う女性を一瞬のうちに魅了する全てを備えている。

エカテリーナの夫は、というと、ひ弱で、情緒不安定で、判断力に欠け、奇妙な行動をとり、無能呼ばわりされていたような人。第7代ロシア皇帝ピョートル3世になっても、側近からも国民からも信頼されず、ついにクーデターが起きる。その時大活躍したのがグリゴリー・オルロフと彼の兄弟でした。

それ以前からグリゴリー・オルロフと愛人関係になっていたエカテリーナは、クーデターで夫が惨めな最期を閉じた年の1762年には、彼の子供を身ごもっていて、同年に男の子アレクシを産み、伯爵の称号を与えます。それ以前の愛人セルゲイとの間にも男子パーベルが生まれていて、後に皇帝になります。バーベルは自分の父親はピョートル3世で、母の愛人の子ではないと生涯主張しますが、エカテリーナがセルゲイの子だと回想録に書いているので、これは動かせない事実。

エカテリーナが産んだオルロフの息子アレクセイ
(1762-1813)

6か月しか皇帝の座にいなかった夫亡き後、大国ロシアの女帝になったエカテリーナの寵愛を一身に受けていたオルロフは、女帝から伯爵、後には公爵の称号をもらっただけでなく、多額の報酬、館、土地、宝石などを受け取り、宮殿内に豪華な家具や絵画が飾られた居室も与えられ、至れり尽くせり。大理石を豊富に使用したきらびやかな宮殿さえも建てさせたのです。けれども、やがて、気まぐれで、若く有能な愛人なしで生きていられないエカテリーナは、彼を遠ざけるようになります。出会いから約12年後のことで、長続きした方です。

12年間もの長い間連れ添い、しかもクーデターの主導権を握り、女帝の地位につけてくれた大恩あるオルロフだっただけに、別れる際にエカテリーナは派手なプレゼントをします。今後、不自由なく暮らせしていけるだけの多額の現金、4000人もの農民、宮殿内の彼の居室で愛用していた家具など、できる限りの贈り物をします。

そうした中で、特に目立ったのは銀製品で、ルイ15世お気に入りのフランスで最高級の金銀細工師に製作を依頼。60人用の食卓セットで、700近い食器、80を越える燭台、コーヒ―ポットは40、もちろん、ナイフ、フォーク、スプーンもある。その数は全部で3000.製作に使用した銀は2トン。歴史に残るほど破格のプレゼントでした。

オルロフが1783年に世を去ると、彼ほど素晴らしい人はいなかったと嘆き、1週間ほど悲嘆に暮れていましたが、ある日、突然、彼にプレゼントした銀の食卓製品をオルロフ家から買い取り、国のものとします。けれどもロシア革命で、盗まれたり、外国に売られたりし、オルロフに贈った銀製品のほとんどは、行方がわからなくなります。

エカテリーナ2世がオルロフと別れる際に贈った、
銀の食卓製品の一部が、パリのニッシム・ドゥ・カモンド美術館に
展示してあります。
めまいを起こしそうなほど、
きめ細やかな細工。

ところが、奇跡的にその貴重な銀製品を手に入れた貴族がパリにいたのです。大銀行家コマンド伯爵で、その数点が、現在、ニッシム・ドゥ・カモンド美術館に展示されています。眩いばかりの輝きを放つ、ゴージャス極まりない銀製品。これが3000点もあったのだから、エカテリーナ2世が君臨していた18世紀のロシア宮廷の凄さは、想像を絶するほど。エカテリーナ2世のオルロフへの愛の深さが煌めいているような逸品です。

一方、女帝が産んだオルロフの息子アレクシは、初代ボブリンスキー伯爵となり、結婚し、5人の子供が生まれ、その子孫は実業家、政治家、学者として活躍。ロシア革命でフランスに亡命した人もいます。エカテリーナ2世はオルロフに何世紀も続く子孫まで与えたといえます。

また、ネヴァ川に面した30種類以上の大理石を使用した華麗な大理石宮殿も、エカテリーナ2世がオルロフのために建築させたネオクラシックの美しい建造物で、今はサンクトペテルブルクの美術館となっています。

ネオクラシックの優美な大理石宮殿

銀製品、アレクシの子孫たち、大理石宮殿は、エカテリーナ2世とオルロフの愛を今でも語り続けているのです。