2024年4月24日

マリー・アントワネット自叙伝 26

 母になりました

 1778年12月18日の真夜中を少し過ぎた頃でした。陣痛を感じた私はすぐに女官長ランバル公妃を起こしました。公妃は夫を呼びに行かせ、あわてふためいた夫は、急いで支度をして私の寝室に入ってきました。信じられないかもしれませんが、国王夫妻の寝室は別々なのです。

ヴェルサイユ宮殿の王妃の寝室。

朝方3時ころ、親族や貴族に「王妃のご出産が近づいています」と、華々しく連絡されたようです。それを知って、待ち望んでいた時がいよいよきたかと、皆、興奮しながら急いで身支度を整え、南の庭園が一望できる私の寝室に向かった、と後で女官から聞きました。


驚いたことにフランス王妃の出産に、親族と貴族が立ち会う習慣があったのです。本当にびっくりです。信じがたいことです。なぜこのような習慣があったかというと、子供はたしかに王妃から生まれ、それを責任ある地位にいる人たちが見届けたと記録する必要があったからなのです。フランス人はずいぶん疑い深いのです。好奇心に満ちた数10人が、この大イヴェントを少しでもよく見ようと、家具の上に乗ったりカーテンをよじ登ったり。例え由緒ある貴族でも、いざという時には、このように恥も外聞もないのです。


押し合う人で、ベッドの周囲を囲んでいた背の高い屏風が倒れそうになったこともありましたが、幸いなことに、夫が事前に丈夫なコードでしっかり縛っておいたお陰で、悲劇にはなりませんでした。いつもは判断が鈍いのに、このときの夫の機敏の良さにちょっと感動しました。

大勢の貴族たちが見守る中で、最初の子供を出産。
生まれのは女の子でした。

真冬だというのに、部屋は熱気で息苦しい。でも、王妃ともあろう人が陣痛のいたみで大声を出すわけにはいかない。ハプスブルク家の名誉にかけて、王妃にふさわしくしなくてはと思いながら、見事に耐えました。


お昼近くに生まれた子供は女の子でした。この出産のときの医師はドクター・ヴェルモン。ヴェルモン神父さまのお兄さまです。子供が生まれたのは11時35分だったそうです。私は気を失っていたので、何時だったか知りません。ぐったりした私を見て、新鮮な空気が必要と思ったヴェルモン医師の言葉にすぐに応じたのは夫。天井まで届く重いドアを夫が力任せで開けたと聞いて、頼りがいがある面を知った思いでした。


生まれたばかりの王女は、その日のうちに宮殿の王立礼拝堂で洗礼を受け、マリー・テレーズ・シャルロットと名づけられ、通常はマダム・ロワイヤルと呼ばれることが決まりました。国はお祝いムード一色。王女とはいえ、とにかく子供が生まれて心から安心しました。

王妃としての自信もわいてきました。ほんとうによかったと心の底から思いました。

生まれたのは王女で、
マリー・テレーズ・シャルロットと名付けられました。

お母さまには、すぐに王女誕生を知らせました。王子でなかったので、ちょっとがっかりしたようです。でも、これで私が子供を産めることがわかったので、安心したようです。私がまだまだ若いので、この後もどんどん子供を産めると思ったのでしょう。

女官に抱かれる王女。


子供が生まれても、王妃の役割は相変わらずあるので、一日中娘と一緒にいることはできません。しかも私のお部屋は宮殿の2階にあり、マリー・テレーズ・シャルロットのお部屋は1階なので、行き来するのも大変でした。でも、母になった喜びは、日に日に増していきました。