2025年3月6日

ジャンヌ・ダルクの最初の肖像画

「フランスを救った少女」「オルレアンの乙女」と呼ばれるジャンヌ・ダルク。彼女の19歳の短い生涯は、多くの書物や雑誌、新聞などの記事、そして映画でしられているので、今さらここで書く必要はないと思う。けれども、ジャンヌ・ダルクが実際にどのような容姿だったかはわかっていない。ところが、国立古文書館が彼女の最初の肖像画を展示することになり、幸運にもそのヴェルニサージュに招待されたので、ここではジャンヌ・ダルク肖像画について語ります。

昔、肖像画を描いてもらうのは、王侯貴族とか高位の聖職者のみだった。だから、無名で爵位も何もないジャンヌ・ダルクの生前の肖像画があるわけがない。今回、国立古文書館で展示しているのは、彼女の最初の肖像画で、1429年5月10日に描かれたデッサン。

フランスの王朝が始まって以来の、
重要な記録、書類を保管している国立古文書館。
この建物の最も古い部分は14世紀にさかのぼり、
その後、高位の貴族が館を建て、ルイ14世の有能な軍人スービーズ公が
瀟洒な館に建て替え、その子孫が代々典雅な生活を送っていました。
ところが革命が起き、国に没収され、
ナポレオンが皇帝になったときに、国立古文書館になったのです。

ジャンヌ・ダルクの最初の肖像画は、パリ議会書記官であり顧問だったクレマン・ドゥ・フォーカンベルグが、記録簿の端に突発的に描いたもの。イングランドに包囲されていたオルレアン開放のために、ジャンヌ・ダルクが指揮をとり、大激戦の結果勝利を得たのは5月8日。その2日後に、オルレアン開放の記述をし、その日英雄となったジャンヌ・ダルクを、ページの開いている箇所に描いたのだった。

もちろん、ジャンヌ・ダルクを目の前にして描いたのではなく、想像なので、勇ましい姿ではなく、女性らしくドレスを着て、長い髪で、左手に立派な剣を、右手に旗を持っている。いずれにしても、彼女の生前中に描かれた唯一のデッサンなので、貴重極まりない。ジャンヌ・ダルクの姿を素早く描いたクレマン・ドゥ・フォーカンベルグの記録簿は、国立古文書館の奥深くに保管していて、通常、見るのは不可能。それだけに、目の前に展示されているのだから、感激もひとしお。

フォーカンベルグの記録簿。
この右ページの左上に、ジャンヌ・ダルクが描かれている。
非常に小さく、かなり傷んでいるが、
15世紀の貴重な空気が漂っているようで、感激しないではいられない。

デッサンはかなり小さく、6cm。
右手で持っている旗にはJHSと書いてある。
これはキリストと神の命令で、武器を持つようにという意味だそう。
左手の剣は先が鋭く両刃なっている。
ドレスはウエストを絞ったデコルテ。
デッサンはもちろん、美しい文字も
ジャンヌ・ダルクが活躍していた百年戦争の時代へと誘なう。
かつての有力な貴族の館だった面影は、今でも残っている。
その時代の豪奢なサロンが展示会場。

ジャンヌ・ダルクの肖像画は、
この3枚のパネルの下のカバーがあるガラスケースに入っていて、
見るさいにカバーを開け、その後直ちに閉じるようになっている。

パネルは左から、
ジャンヌ・ダルクに助けられ正式にフランス国王になったシャルル7世、
シャルル7世に紹介されるジャンヌ・ダルク、
1429年5月8日にパリ襲撃した際のジャンヌ・ダルク。

19世紀に描かれたジャンヌ・ダルクの肖像画。
15世紀風の様式で描かれている。
展示会場の隣の部屋には、1574年の記録簿があり、
驚くほどの分厚さに圧倒されました。


フランスの重要な資料を目の前にして、
心が豊かになった日でした。