2016年1月7日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 45

町長の家で食事中に
役人が拘束状を手に入ってきた場面の風刺画。
身動きできない状態に
陥った国王一家。
6月21日朝7時。チュイルリー宮殿では、国王の侍従がベッドが空になっていることに気がつき、あわてふためいて報告。引き続き王妃、王女、王子の姿も見えないことがわかり、逃亡が発覚します。

国民軍司令官ラファイエットの命令で、直ちに追跡隊が四方に送られ、その内のひとつが国王一家がヴァレンヌに向ったことを知り、6月22日朝5時30分その町に到着。

国王一家が町長の家にいることが分かり、2階へと駆け上がり、住民たちもその後に続いてなだれ込みます。

ショワズールが護衛隊と共に遅ればせながら到着していたとはいえ、国民議会が発した逮捕状があるからには、国王といえども従わなければならない。
民衆たちも国王一家を逃すまいと、バリケードを作る。
ヴァレンヌ町長の家で
屈辱を味わうマリー・アントワネット。
それでも、ヴァレンヌでブイエ率いる護衛隊と出会う手筈が整っていたので、彼らが到着したら、何とかこの窮地から逃げられるかもしれない。国王一家はそのような期待を抱いていました。にもかかわらず、一向にブイエは姿を現さない。

7時45分、ついにあきらめた国王はパリに戻る決心をする。
もしも、ショワズルとブイエの部隊が一緒に力を合わせたら、その場を切り抜けてベルギーへと逃亡できたはずでした。
けれども、いくつもの不手際が重なり、国王一家はパリへと引き戻される運命を辿るのです。

ブイエ
ショワズル

2016年1月6日

ギャレット・デ・ロワ

友人のアパルトマンでギャレットをいただいたし、
王冠までかぶってご機嫌な日でした。
フランスでの新年の楽しみのひとつは、ギャレット・デ・ロワを食べる習慣があること。
最近は種類も豊富だけれど、やはり昔からあるアーモンドが入ったパイのギャレットが一番好き。

それを切り分けて、中にフェーブが入っているのにあたった人が、王冠をもらえるし、幸せも手に出来るというお遊びが単純でいい。

キリスト教にちなんだお祝いだけれど、世界の祭日も輸入している日本でも、もうお馴染なのではと思いつつ、3切れも食べてしまった新年です。

2016年1月5日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 44

行く手をさえぎられた国王一家の馬車。
国王逮捕で歴史に名を残した
ドルーエ。
この豪華な馬車に乗っているのは国王一家だと直感的に悟ったドルーエは、次に通る町ヴァレンヌで詳しく調べようと、馬を走らせます。

ヴァレンヌに着いた彼は、革命に賛成する人を大急ぎでかき集め、馬車が到着するのを待ち、その姿が見えると勢いよく襲いかかったのです。

ヴァレンヌ町長のソースが呼ばれ、ドルーエがパスポートを調べるようにと目を光らせながら言う。
町長が見たところパスポートに異常はない。自分の町で騒ぎを起こして欲しくなかったソースは、そのまま通そうと思う。ところが、ドルーエは町に留めておくことを執拗に要求する。

それではお疲れでしょうからと、食糧品店を経営する町長ソースは、住まいの2階に旅人が休めるよう準備をします。
民衆に取り囲まれ身動きできない状態に
追い込まれました。

国王一家としては一刻も早くその場を逃れたかったに違いありません。けれども住民が集まり、馬車を取り囲んでいるために、身動きできない。

きっとその内、衛兵たちが大挙して到着するだろう。案ずることはない。本来はシャロンで合流し、その後護衛にあたるはずだったショワズルが駆けつけるだろうし、ヴァレンヌから護衛にあたることになっているブイエも兵士と到着するはずだ。
町長が言うように長旅で疲れているから、味方が到着するまで休むとしよう。楽観的なルイ16世はそう判断する。

国王は細い階段をのぼって2階へと向う。
王妃も子供たちも、王の妹もそれに従います。
取り押さえられた国王一家の馬車。

ヴァレンヌの町長ソース。
マリー・アントワネットにとって、それは初めて味わう屈辱でした。こんなボロボロの家で休むですって、ハプスブルク家に生まれ、フランス王妃となったこの私が?
崩れそうな階段をのぼっているときにも、彼女は凜とした態度を保っていました。

急に空腹を感じたルイ16世は何か食べるものをと要求します。ワインも欲しいと付け加える。
粗末なテーブルの上に食べ物が並べられると、国王はいかにも満足げに口に入れる。彼はいかなるときにも旺盛な食欲があるのでした。その傍らでマリー・アントワネットは、一切手をつけようともせず、夫を厳しい目で見つめていました。

2016年1月4日

パリ 北駅

北駅を巡回する
機関銃を手にした兵士たち。

ロンドンに住む親戚の子が、パリでのヴァカンスを終えユーロスターで帰るので、北駅まで送ってきました。

荷物が多くて大変だからというのもあるけれど、新年が始まったばかりの北駅の様子をしりたかったこともある。

クリスマス装飾がまだ残っていたのも、複数の兵士が機関銃を持って巡回しているのも、思っていた通り。

駅にはキレイな
クリスマス装飾が残っています。


いつもより華やかな飾りと、厳しい警備があるので、旅行客も安心した表情。大きなトランクの行列も、子供たちの騒ぐ声もいつもと同じ。壁際の床の上で暮すホームレスの姿も同じ。

ただ、ユーロスターの乗り場に行くまでのコントロールは、通常より回数が多い。
こうした事にも、もうすっかり馴れました。

とはいえ、旧建築が続くパリの街を、武器を持った兵士が団体で歩いているのを見ると、映画の世界を生きているような錯覚を起こすこともあります。特に、第二次世界大戦をテーマとした映画を。
あれから70年経っているのに、タイムスリップした感じ。

2016年1月3日

パリの犬たち 57

ウィンドーばかり見ている・・・
ネェ、いつまでそこにいる積りなの?
フン、返事もしてくれない。先に行こっと。

2016年1月2日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 43

チュイルリー宮殿を離れる国王一家。
王妃のためであれば自分の命に代えてでもと、フェルセンはマリー・アントワネットが希望する国外逃亡に全ての情熱を捧げます。
プロヴァンス伯

逃亡に必要な資金集めに始まり、大型馬車の注文、逃亡中の食糧、偽のパスポートの準備、信頼を寄せられる護衛兵の選抜・・・・
逃亡は1791年6月20日夜と決まり、
吟味に吟味を重ねた準備も無事に完了。

その日、いつもの変わらぬ生活を衛兵たちに見せるために、リュクサンブーク宮殿に暮していた王弟、プロヴァンス伯爵夫妻とゲームを楽しみます。

頃を見計らい、プロヴァンス伯爵夫妻はリュクサンブーク宮殿へと戻ります。彼らもその同じ日に、別のルートで国外脱出を企てていたのです。亡命先はドイツのコブレンツで、そこは亡命貴族が多数暮していました。
プロヴァンス伯爵夫人
無事にコブレンツに逃れたプロヴァンス伯は、革命を生き延び、1815年、王政復古でルイ18世を名乗ります。

国王一家は急いで逃亡のために偽装をします。国王は下僕に変装し、王妃はシンプルなドレスにヴェールつき黒い帽子、王子はプリンセスのドレスを嫌々に着て、王女も平服。同行する王妹エリザベットも
地味な服。

20日、真夜中を過ぎたころ、バラバラに宮殿を離れた一家は、無事にレッシェル通り近くに準備しておいた馬車に乗る。脱出に時間がかり、その時点ですでに予定より遅れ、それが致命傷になるのです。

21日、朝1時50分過ぎ、約2時間遅れで逃亡用の豪華な大型馬車に乗り換える。その後に、逃亡中の必需品が入っているもう一台の馬車が続く。

亡命の準備に
すべての情熱をかけた
フェルセン。
20時30分、ボンデイまで馬車を操っていたフェルセンが、そこで別れを告げます。それは、すべての準備をしたフェルセンが、万が一のときに危険だと思った国王の希望だったのです。

選り抜きの衛兵隊が途中から護衛にあたることになっていたので、逃亡は楽しい旅の雰囲気でした。ところが予定していたシャロンでも、サン=メノーでも、護衛にあたる兵の姿が見えない。

あまりの遅れに、待機していた衛兵隊が、予定が変更されたに違いないと勝手に判断し、部署を離れてしまったのです。軍服でうろうろしている彼らを、住民たちが不審に思い始め、いずらくなったのも解散した理由のひとつでした。

護衛もなく、不安にかられながらサント=ムヌウを通り過ぎようとしていた二台の馬車は、目立って立派でした。それを不審に思った人がいました。サント=ムヌウの駅長ドルーエです。彼の鋭い勘が、国王一家が国外逃亡を図っているに違いないと睨んだのです。

この28歳のドルーエが、歴史を大きく変えるのです。

2016年1月1日

2016年 元旦


あけましておめでとうございます。
2016年が皆様にとって、平和で、幸せと輝きに満ちた年でありますように。

昨年は様々な出来事があったパリですが、
高校の必修科目で哲学を学び、自分の考えを持つフランス人は、
精神的強さも持っているようで、
人生をいかに有意義に生きるか、前向きの姿勢を保っています。

彼らの人生を愛するエスプリをパリからお送りします。
今年もブログも本もよろしくお願いいたします。