2017年3月3日

カルティエ ステキな新作発表

またパリコレの季節到来。
パリが本来のパリらしい華やかさを放つ季節です。

カルティエの象徴的モチーフ、パンテールの華麗な時計。
そうした中でカルティエのニュー・コレクション発表がありました。
マドレーヌ教会近くのホテルが今回の会場。
毎回異なった場所というのも、アイディア豊富なカルティエならでは。
いつも驚きがあり刺激的です。

テーブル上にジュエリーをディスプレイ。
特に目立つ存在のバッグ。
ジュエリーの留め金つきのクロコダイルです。
作品はふたつの階に展示。
テラスもあり、そこでドリンクやスイーツを味わいながら談笑を楽しめるのは、社交の街パリにぴったり。 個性的でしかも落ち着きがある服装の人が多く、こうした場でセンスが磨かれるのですネ。

カクチュスのモチーフのバングル。
もう、見ているだけで興奮状態。
イエローゴールド、ダイヤモンド、ラピスラズリの
私が一番気に入ったジュエリー。
ジュエリーはゴージャスで品格があり、それでいて繊細。時計、リング、ネックレス、バングル、それに留め金が高価なジュエリーのクロコダイルのバッグもある。

特別スタジオも設置して、
歌手になったつもりでの記念撮影もあり。
中身の濃い楽しいひとときでした。
夢の世界を目の前にして、細胞がはしゃぎ、活気をおび、原稿がはかどりそう。

2017年3月1日

メトロの駅名は語る 27

Parmentier
パルマンティエ (3号線)

ルイ16世の時代の農学者であり、薬剤師だったアントワーヌ・パルマンティエの名が駅名になっていますが、彼の名は日本人にはあまりお馴染みではありません。
けれどもパルマンティエは、誰にも親しまれているじゃがいもを普及した重要な学者なのです。 

18世紀の偉大な農学者アントワーヌ・パルマンティエ。
18世紀に悪い気候が続き、農作物が被害にあっていたときに、 パルマンティエは寒さに強く、しかも、やせた土地でも立派に育つじゃがいもの生産をうながし、それによって1785年、ルイ16世の時世の最悪の飢饉も逃れることもできたのです。

 じゃがいもを普及するために、パルマンティエは様々な工夫をしますが、そのひとつは畑を兵士に守らせ、いかにも貴重な食べ物であるかのように見せかけたことです。

ルイ16世に
じゃがいもの花をプレゼントするパルマンティエ。
また、ルイ16世にじゃがいもの花をプレゼントしました。王はきれいに咲いているその花をボタンホールにさして歩いたり、マリー・アントワネットの帽子につけたりし、 じゃがいもの普及に協力したのでした。このように優しい心を持つまじめでおとなしい国王が、なぜ革命の名のもとに処刑されなけれがならなかったのでしょうね。
 
可憐なジャガイモの花。
じゃがいもというとルイ16世を思い出します。
それにしても、きれいなお花を咲かせるのですね。マルシェやスーパーに並んでいるのしか見たことがなく、お花が咲くことも知りませんでした。

メトロの駅名の連載を書きながら、たくさんのことを学べます。

2017年2月27日

鳥に人気のムッシュー

パリコレの準備たけなわのチュイルリー公園で、鳥たちに大人気のムッシュー。
あちらからこちらから、カモメが白い羽を精一杯広げながら、ひとりのムッシューめがけて近寄っている。

気持ちよさそうに空を飛ぶカモメ。
うらやましい。
見るからに温厚そうなその人は、気をつけて見ると手に何か持っている。
そう、パンなのです。
それをめがけてカモメや鳩、カラスが大挙して寄ってくるのだけれど、こうした様子を見るにつけ、彼らの間には情報交換があるにちがいないと思わずにはいられない。

ムッシューの頭にカモメがとまった劇的な瞬間。

2017年2月25日

メトロの駅名は語る 26

République
レピュブリック (3,5,8,9,11号線)

当初、三角形の小さな広場にすぎなかったのが、現在見られるような大きな広場になったのは、ナポレオン3世の第二帝政時代でした。

1827年の広場。
中央に噴水がありシャトー・ド広場と呼ばれていました。
ナポレオン3世の時世に、3200人収容可能兵舎が広場近くにありました。必要な際に多数の兵士を集合させ、直ちに目的地に向かって移動できるよう、広場には7本の幅広い道路も創られます。

名前が変りレピュブリック広場と呼ばれるようになりました。
共和国を象徴する、人民のための広場です。
広場の名がレピュブリックとされたのは1889年。それが後にメトロ名にもなります。
中央には共和国を象徴する9,50メートルのブロンズのマリアンヌ像が置かれ、現在は共和国の名のもとに、様々な集会が行われたり、デモ行進の発着、終着の場となっています。

フランスの共和政が始まったのは革命のときで、1792年。
その後ナポレオンの第一帝政、王政復古、ナポレオン3世の第二帝政、共和政などめまぐるしい政変があり、現在は第五共和政。

大統領の挨拶は常に「共和国万歳、フランス万歳」で終わります。
なぜか、その言葉を聴くたびに感動します。

2017年2月24日

パリの犬たち 116

信号をまつのは退屈なの
さっきからず~とまっているのに、ちっとも信号がかわらないの。

こういうときは、どうすればいいの?
えッ、まつしかないの?
時間のむだだワン。

もったいないから、宝探しをしようかな。
でも、こんなところにいいものがあるはずないわね。

2017年2月21日

ギメ美術館、着物展


東洋美術品の宝庫、ギメ美術館で「江戸時代の着物の変遷」を開催。
そのヴェルニサージュが 2月20日に行われました。

江戸時代を訪問しているようで、
ご一緒した多津子さんと歓声をあげました。
江戸の初期1611年に「いとう呉服商」として創業し、その後拡大に拡大を続けてきた松坂屋は、歴史的価値がある着物を多数保存。その数は驚異的で5000を超えるとのこと。その中から約120点を選んで今回公開。(展覧会半ばに展示作品の入れ替えがあります)

展覧会のアートディレクターを務めたコシノジュンコさん。
彼女のバイタリティーにはいつも驚かされます。
コシノジュンコさんがアートディレクターを務めたこの展覧会は、松坂屋の貴重な着物と、着物の影響を受けた西洋のデザイナー、例えばイヴ・サンローラン、クリスチャン・ディオールの作品なども展示してあり、とても興味深いです。

松坂屋秘蔵の江戸時代の着物は、多くのフランス人を魅了。
「すばらしい」「日本ならではの文化」と絶賛の声があがっていました。
松坂屋が呉服店として栄えていた時代の絵や浮世絵、屏風などもあり、会場にさらなる雰囲気を放っています。

ジュンコさんと賢三さんは文化服装学院の同期生。
ひときわ注目を浴びていたジュンコさんの作品前で記念撮影。
創業したのはフランス国王ルイ13世の時世。フランスの象徴となっているヴェルサイユ宮殿は存在していなくて、ヴェルサイユは狩猟の森だったことを思うと、今でも継承されている日本の着物文化の奥深さが分かります。

Musée Guimet
6 Place d'Iéna
75116 Paris
5月22日まで 

2017年2月20日

メトロの駅名は語る 25

Temple
タンプル (3号線)

この近くには、フランス革命の際に国王一家が幽閉されていたタンプル塔があり、後年、それが取り壊され今はタンプル公園になりました。
この名から駅名が決まりました。

頑丈な石の壁に取り囲まれたタンプル騎士団の本拠地。
もともとこの地には、タンプル(テンプル)騎士団の拠点があり、豪勢な居館がありました。

キリスト教徒による第一回十字軍が、11世紀末に聖地エルサレムを手に入れると、それを守るために騎士修道会がいくつか作られます。そのひとつがタンプル騎士団。彼らは他の騎士団と同じように、修道士であり戦士でもありました。

第二回十字軍に参加した国王ルイ7世は、タンプル騎士団の業績を高く評価し、
当時パリの東近郊にあった広大な土地を寄贈します。後年パリが拡大され、その土地はパリ市内になります。

1240年から壁で取り囲んだ城砦のような建造物を創り、そこを拠点として勢力を増し、多額の寄付を受け、莫大な財産を持つようになります。
財産管理の安全性を知ったフランス国王や貴族たちは、タンプル騎士団に財産を預けたほど有力な騎士団でした。

ところが14世紀のフィリップ一世が、国王以上に裕福で有力な騎士団に激怒し、不法な罪状で騎士たちを捕らえ、財産を没収し、騎士団は廃止され、領地と建物は聖ヨハネ慈善修道会のものとなります。
タンプル騎士団の敷地内には、
高さ50メートルの大塔と、それにぴったりつく小塔も建築されました。
そこに、革命で捕らえられたルイ16世一家が幽閉されていました。
時が流れ、18世紀にルイ16世の末弟アルトワ伯の息子が、その修道会代表となり彼所有となります。その後革命の時代を迎え、修道会は廃止され、塔にルイ16世一家が幽閉されたのです。

タンプル塔の国王一家。
左から、国王の妹、国王夫妻の王女、マリー・アントワネット、
王子に勉強を教える国王。
 ナポレオン皇帝は、この忌まわしい歴史が刻まれているタンプル塔を嫌い、1808年、取り壊す命令を出し、後年に公園がつくられたのです。
一説では、王家の人々の巡礼地になるのをナポレオンが恐れ、壊させたともいわれています。